今年生誕100年を迎えた、20世紀の偉大なる作曲家 ピエール・ブーレーズ。2009年には「京都賞」を受賞し、ここ京都コンサートホールで彼の作品が演奏されるなど、京都とも縁の深い人物です。
ブーレーズの生誕100年を記念して、オリジナル企画「ブーレーズへのオマージュ」を開催します(11月8日)。
本公演の出演者であり、ブーレーズが設立した世界屈指のアンサンブル「アンサンブル・アンテルコンタンポラン」の専属ピアニストとして、約20年もの間ブーレーズと活動を共にした永野英樹さんにインタビューを行いました。その内容を前編・後編に分けてお届けします。
【インタビュー前編:ブーレーズについて】
―――ブーレーズは作曲だけでなく、指揮や著述など、音楽家としてのさまざまな姿がありますが、永野さんにとってブーレーズはどのような音楽家ですか?
私にとっては指揮者というよりもむしろ、作曲家としてのイメージの方が強かったですね。というのも、私は純粋にオーケストラよりもピアノが好きだったので、ピアノの曲を聴く方が多く、指揮者としての彼の姿をあまり意識したことがありませんでした。
実際、私がアンサンブル・アンテルコンタンポラン*に入ってブーレーズと一緒に仕事をした際、「頼まれたら指揮をしているけれど、自分は作曲家だと思っている。自分から率先してやっているのは作曲だ」というようなことを言っていました。ただ、最終的には指揮の仕事の方がずいぶん多かった気がします。
*アンサンブル・アンテルコンタンポラン
1976年にブーレーズが設立した、世界最高峰の現代音楽アンサンブル。
アンサンブルの活動や当時のエピソードなどは、2018年に開催した「京都コンサートホールのスペシャル・シリーズ『光と色彩の作曲家 クロード・ドビュッシー』」の永野英樹氏インタビューをご覧ください。
―――永野さんが感じられていたブーレーズ像と、ブーレーズが思っていた自身の姿は一致していたということですね。
そうですね。もっと怖い人だというイメージがあったのですが、それは予想に反していましたね。例えば、有名人なのに、サインを求められたときは割と気軽に応じて話もしていました。街を歩いていても彼に気がつかず通り過ぎている人も結構いたと思います。そういう部分ではスター意識というものはなかったように感じています。
―――今の話だけでも、ブーレーズに対するイメージがずいぶん変わりました。
アンサンブル・アンテルコンタンポランはブーレーズ自身が作ったアンサンブルですので、他のオーケストラよりも、ホームみたいに思ってくださっていましたね。アンサンブル・アンテルコンタンポランのメンバーと接するときは、彼もおそらく他のオケの人たちと接するよりもリラックスしていたのではないかと思います。
―――アンサンブル・アンテルコンタンポランで、永野さんは専属ピアニストとして20年ほどブーレーズと一緒に活動されていましたが、印象に残っている出来事はありますか?

彼の作曲のスタイルでもあるのですが、晩年はワーク・イン・プログレス**のスタイルで作曲をしていました。常に作品が進行形であり、“いまのところこの形でとどめているけれど、今後見直して気持ちが変わったら変化していくよ”というようなスタイルです。
おもしろい出来事としては、3台のピアノと3台のハープ、そして3つの鍵盤打楽器のための作品《シュル・アンシーズ》にまつわる話があります。この作品の元となったのは《アンシーズ》というピアノ・ソロの作品で、コンクールの課題曲として書かれたものです。《アンシーズ》の段階では5分くらいの曲だったのですが、数年後、《シュル・アンシーズ》になった時には30分くらいの長さの曲になりました。そしたら今度は《シュル・アンシーズ》に触発されたのか分かりませんが、《アンシーズ》の曲の長さが10分くらいに増えたんですね。そしたらまた《シュル・アンシーズ》の方もさらに変化していって…。
《アンシーズ》と《シュル・アンシーズ》に関しては、一番初めのバージョンから居合わせていたので、曲がどんどん新しく変わっていく場面に立ち会えたことは、とても貴重な経験でした。ブーレーズと共にいなければこのような経験はできなかったと思いますね。
**ワーク・イン・プログレス
進行中の作品という意味。創作の過程を公開して、聴衆の反応を参考にしながら作品を創り上げていく手法。
―――作曲家の手により曲が変化していき、そしてその過程・変化を見聴きできるという経験は、現代音楽ならではですね。
演奏家が同じ作品を10年後、20年後に演奏した際に解釈が変わるのと同じように、作曲家が作品を変えていくのは当然というようなことも、ブーレーズは言っていましたね。考え方も変わるよ、って。
―――ブーレーズの作品を本人と共に演奏することもあったと思いますが、作品や演奏方法について言葉を交わすことはありましたか?

ソロの作品を弾くときには直接聴いてもらい、アドバイスをもらったりしましたね。ソロの作品に限らず、“動きが大切”というブーレーズ独特の音楽の考え方がありました。面白かったのは、例えば早く弾くようなテクニック的に大変なところがあったとしても、それがずっと同じリズムで続くことはないんですね。必ずどこかでそのリズムを崩すところがあるんです。大変で複雑なリズムであってもずっとそれを繰り返していると定着し安定したものになってしまうのですが、ブーレーズはそれが嫌で、常に安定したリズムを崩すような動きを入れてくるんですよね。「魚が池で泳いでいるとき、ゆっくり泳いでいると思ったら急にスッと動くことがある。そういうイメージだよ。」とブーレーズが例えたことがありました。日本的だなと感じましたが、そういう時間や呼吸の考え方、音楽のとらえ方はブーレーズ本人だから説明できることであって、ブーレーズ以外には出せないイメージなのだろうなと思います。そういった出来事は他にもいろいろありました。ブーレーズと一緒に彼の作品を演奏することで、よりブーレーズの考え方を教えてもらったように思います。
―――プライベートでの親交はありましたか?
プライベートではなかったですね。ただ、彼はこれまで何人かいた(アンサンブル・アンテルコンタンポランの)音楽監督の誰よりも、私たちメンバーのそばにいてくれる方でした。例えば同じコンサートでソロやアンサンブルなど自分が指揮をしない曲があったとしても、必ず演奏を聴いていました。また彼がパリにいるときにアンサンブル・アンテルコンタンポランのコンサートがあると、必ず聴きに来ていました。そういう部分で、常にそばにいてくれている、という感じでしたね。
―――オーケストラと指揮者という関係よりも、仲間という関係性ですね。後編では今回のコンサートのプログラムについてお話を伺います。どうぞお楽しみに!
(2025年4月大阪にて 事業企画課 山元麻美)