元 京都市交響楽団 トロンボーン奏者 井谷昭彦 インタビュー(2026.11.8 京都コンサートホール×京都市交響楽団プロジェクトVol.7「京響創立70周年記念『小林研一郎×京響』」)

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お知らせ

京都コンサートホールと京都市交響楽団(以下、京響)が協働し、その魅力を多角的に発信する本シリーズ。今年開催するVol.7の指揮者は、京都市交響楽団の第8代常任指揮者を務めた小林研一郎です。

公演に向けて、当時から近年まで京響に在籍していたテューバ奏者・武貞茂夫さんと、トロンボーン奏者・井谷昭彦さんに、話を伺いました。

小林マエストロと京響にまつわるエピソード、そして小林マエストロの魅力、今回の演奏会の聴きどころなどを語っていただきました。ぜひご覧ください!

 

トロンボーン奏者 井谷昭彦さん/在籍期間 1983年4月~2024年3月
(聞き手:京都コンサートホール事業企画課)

――今日はお時間をいただきありがとうございます!

こちらこそ、今日はよろしくお願いいたします。小林マエストロに関するインタビューとのことでしたので、当時のパンフレットを持ってきましたよ!

 

 

――貴重な資料を拝見させていただきありがとうございます!京響を退団されてから2年が経ちましたが、現在はどのような活動をしていらっしゃいますか?

今は同志社女子大学音楽学科などで、後進の指導にあたっています。

 

――井谷さんが京響に入団された当時のことを教えてください。

私が京響に入団したのは、1983年の4月、京都市立芸術大学の4年の時でした。入団オーディションを受けたのは3年の3月だったと思います。プロのオーケストラのオーディションを受けるのは初めてでした。当時は自分の実力がどの程度か正直よく分かっていませんでしたが、京響は京都のオーケストラでしたし、大学の先輩も在籍されていたので思い切って受け、入団することができました。

 

――学業との両立はとても大変だったのではないでしょうか?

大変でしたね。オーケストラの練習を終えて、それから大学(当時は西京区の沓掛町)へ行って授業に出席していました。大学の先生方やオケのメンバーや事務局の方に配慮していただき、何とか卒業することができました。

 

――井谷さんが京響に入団された2年後の1985年4月に、小林研一郎さんが常任指揮者に就任されました。

当時の私は入団3年目で、まだまだ自分のことで精一杯。言われるがままついていくことに必死でした。当時の小林さんはすでにキャリアを築かれていて、私からすると大先輩です。練習場で個人的にお話しするなど恐れ多く、当時は言葉を交わすことすらほとんどありませんでした。

 

――小林マエストロが常任指揮者を務められた期間で、印象に残っている演奏会はありますか?

たくさんありますが、やはり小林さんの「常任指揮者就任披露―第275回定期演奏会」で演奏したマーラーの《交響曲第1番》でしょうか。小林さんは常任指揮者に就任されてから、マーラーの作品を数多く取り上げられました。「復活」(交響曲第2番)も演奏しましたし、常任指揮者を退任された後は《交響曲第3番》も一緒に演奏しましたね。

当時の私はまだ入団して間もなく、全てが初めて演奏する曲でしたので、当時のことは鮮明に覚えています。他には、チャイコフスキーの演奏がとても印象に残っていますね。《交響曲第5番》はかなりの回数をご一緒したと思います。

 

――井谷さんにとって、小林マエストロはどのような指揮者でしたか?

「炎のコバケン」という名のとおり熱い演奏をされる印象ですが、その一方で、ちょっといい演奏ができたら本番中でも「ナイス」と声をかけてくださったり、胸元で「Good!」とジェスチャーをしてくださったりと、とてもあたたかい人でした。すると、自分も「もっと頑張ろう」と思えるんですね。人の力を引き出すことが素晴らしく上手な指揮者です。

また、団員一人ひとりの名前を覚えていらっしゃいました。「井谷さん」と声をかけてくださったときは、とても嬉しかったですね。

それから、どんな曲もオーケストラのスコアが全て頭に入っていました。楽譜を見ずに小節番号まで指示されるんですよ。本当にすごい方です。

 

――井谷さんは京響の在籍期間約40年の間で、たくさんの指揮者の方々と共演されていますが、そのなかで小林マエストロの音楽の特徴や魅力は、どのようなところに感じられましたか?

やはり、旋律を歌わせるときの独特な「間」でしょうか。小林さんにしかない独自の感情が、音楽で表れていると感じますね。それから、音の長さにもすごくこだわって音楽づくりをされていました。旋律をどう歌わせるか、音をどう響かせるかということを、とても大切にされていた印象があります。

また、日本人ならではの素晴らしい感性を持っていらっしゃる方だと思います。国内はもちろん、海外でも活躍されていますが、日本の心・日本の歌心のようなものを持っていらっしゃる。それが、みなさんに愛される“小林さんの音楽”として表れているのかもしれません。

 

――ほかに特に印象に残っているエピソードはありますか?

モーツァルトの《レクイエム》を演奏した時のことです。私がこの作品を演奏したのは、小林さんの指揮が初めてでした。トロンボーンが活躍する箇所があるのですが、初めての演奏に私自身とても緊張していて、自分が何を演奏したのかも覚えていないくらいでした。

演奏が終わると小林さんが舞台に再び出てきて、花束を受け取られたのですが、その花束を「受け取りなさい」という感じで、私のほうにパッと投げてくださったんです。

「え?これ、もらっていいのかな?」と思いましたし、なにしろ自分がどんな演奏をしたのかも覚えていないくらい緊張していましたので、本当に嬉しかったですね。小林さんのあたたかさを感じましたし、「また頑張ろう!」という気持ちをもらいました。

 

――今回の演奏会当日は、井谷さんも客席で聴かれるご予定ですね。楽しみにしていることはありますか?

小林さんが常任指揮者を務められていた時から、オーケストラのメンバーも大きく変わっていますので、今の京響とどういう音楽を作られるのか、すごく興味があります。きっと、今のオーケストラのいいところを引き出してくださるのではないかと思います。以前と同じようなアプローチをされるのか、それとも今のメンバーに合わせて違うアプローチをされるのか、そこが楽しみですね。

 

――心温まるエピソードをたくさんお聞かせいただき、ありがとうございました!

(2026年8月 京都にて 事業企画課インタビュー)

 

井谷昭彦(トロンボーン)Akihiko ITANI, Trombone

京都市立芸術大学音楽学部卒業。音楽学部賞受賞。在学中の1983年京都市交響楽団に入団。

1991年度アフィニス文化財団の海外研修員としてドイツのハンブルクに留学。

2024年3月をもって京都市交響楽団を退団。現在、同志社女子大学学芸学部音楽学科嘱託講師、滋賀県立石山高等学校音楽科非常勤講師。

 

 

京都コンサートホール×京都市交響楽団プロジェクトVol.7 「京響創立70周年記念『小林研一郎×京響』」の詳細はこちら。(チケット完売)

元 京都市交響楽団 テューバ奏者 武貞茂夫 インタビュー(2026.11.8 京都コンサートホール×京都市交響楽団プロジェクトVol.7「京響創立70周年記念『小林研一郎×京響』」)

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京都コンサートホールと京都市交響楽団(以下、京響)が協働し、その魅力を多角的に発信する本シリーズ。今年開催するVol.7の指揮者は、京都市交響楽団の第8代常任指揮者を務めた小林研一郎氏です。

公演に向けて、当時から近年まで京響に在籍していたテューバ奏者・武貞茂夫さんと、トロンボーン奏者・井谷昭彦さんに、話を伺いました。

小林マエストロと京響にまつわるエピソード、そして小林マエストロの魅力、今回の演奏会の聴きどころなどを語っていただきました。ぜひご覧ください!

 

テューバ奏者 武貞茂夫さん/京響在籍期間 1985年6月~2019年3月
(聞き手:京都コンサートホール事業企画課)

 ――お久しぶりです!京響を退団されてから早7年が経ちましたね。

早いもので、今年で65歳になりました。長年勤めていた京都市立芸術大学の非常勤講師は、定年退職を迎えました。現在は大阪音楽大学、同志社女子大学、大阪教育大学でテューバ専攻生のレッスンをしています。

 

――武貞さんが京響に入団された当時のことを教えてください。

京響に入団したのは1985年6月です。当時は素晴らしいテューバ奏者の先輩方が全国でオーケストラ奏者として活躍されていましたので、どこのオーケストラもテューバ奏者のオーディションはほとんどありませんでした。そんななか、大学3年の終わり頃から、京響に時々エキストラで呼んでいただけるようになりました。その後、京響のテューバ奏者のポストに空きが出て、オーディションを受け入団しました。

 

――ちょうど小林研一郎さんが常任指揮者に就任された直後ですね。

そうなんです。小林さんとは京響における同期ですね!

私は入団したばかりでしたので、小林さんと親しくお話しさせていただくことが恐れ多く、話をする機会はほとんどありませんでした。小林さんは普段はどちらかというと穏やかな印象でしたね。でも、指揮台に立つと全然違うんです!とてもエネルギッシュでした。

 

――特に記憶に残っているエピソードを教えてください。

当時の京都市交響楽団(京響創立30周年誌より/最上列の右端が武貞さん)

ドヴォルザークの「新世界より」(交響曲第9番)を演奏した時のことです。この曲のテューバの出番は2楽章のたった8小節だけなのですが、小林さんは終楽章(第4楽章)の本来テューバがないところでも「演奏してください」とおっしゃったんですよ。小林マエストロバージョンがあるんです!

でも、本来ない音を演奏するのは、私としてはとても恥ずかしかったんですね。それである時、第2楽章が終わったらすぐにそっと練習場を抜け出そうとしたのですが、小林さんが指揮しながら振り返られて、「武貞さん、帰らないで!」と。結局、演奏することになりました。(笑)

ほかのエピソードもあります。確か北海道での演奏旅行だったと思うのですが、楽器紹介を交えながらベートーヴェンの「運命」を演奏しました。もちろんテューバは出番がないので、私は演奏するつもりはなかったのですが、「トロンボーンの1オクターブ下を吹いてください」と言われて演奏したことがありました。

小林さんには貴重な経験をたくさんさせていただきましたね。ご自身の音楽的な考えとスタイルをしっかりお持ちでいらっしゃるマエストロでした。

小林さんが常任指揮者を務められていた2年間は、ブルックナーやマーラーの交響曲などの大曲を取り上げることが多く、1日でメイン級の曲を何曲もリハーサルすることがありました。とても大変で必死でしたが、今振り返ると、オーケストラ奏者としての経験値を高められた2年間だったと感じています。

 

――武貞さんは小林さん以外の指揮者の方ともたくさん演奏されていますが、小林さんならではの音楽は、どのようなところに感じられましたか?

なんといっても旋律の歌わせ方でしょう。他の指揮者とは違う「小林節」を感じました。ちょっとした溜めであったり間であったり、マエストロならではの歌わせ方がありました。アグレッシブでありつつも、歌心を尊重したアプローチをされる印象でしたね。

 

――まさに「炎のコバケン」ですね。

本番はリハーサル時とお顔つきも全く違いましたし、よりエネルギーに満ちていました。その時の感情が音楽として溢れてくるような、そんな感じです。そしてそのエネルギーに、オーケストラ側も掻き立てられるんですね。

 

――現在使用している京響の練習場の建設にあたっても、小林さんの功績が大きかったと伺いました。

昔の練習場は本当にひどかったんです。窓ガラスは割れているし、空調の風で楽譜は飛ぶし、音響も空調も良くない。そのような環境のなか、小林さんは「まず練習場を良くしなければいけない」と、各所に一生懸命に働きかけてくださいました。小林マエストロが常任指揮者を務めている間に練習場は完成しなかったのですが、新しい練習場ができた時には、本当に喜んでくださったと聞いています(練習場の完成は1989年3月)。また、練習場だけでなくコンサート会場となる京都コンサートホールの建設にも力を注いでくださいました。

 

――今回のコンサートで小林マエストロは、チャイコフスキーの《ヴァイオリン協奏曲》と、ドヴォルザークの《交響曲第8番》を選曲されました。

どちらの曲も美しいメロディーが印象的で、歌わせ方が重要な作品です。言葉では言い表すことのできない小林さん独自の歌心を、この2作品ではより楽しんでいただけるのではないかと思います。音楽に感情が溢れた時の小林さんの表情にも、ぜひ注目してください。私も客席で楽しみたいと思います。

 

――貴重なお話をお聞かせいただき、ありがとうございました。

(2026年8月 ZOOMにて 事業企画課インタビュー)

 

 

武貞茂夫(テューバ)Shigeo TAKESADA, Tuba

1979年3月兵庫県立星陵高校卒業、1983年3月大阪音楽大学卒業。1985年6月京都市交響楽団入団。在団中の1990年にミュンヘンへ留学。2019年3月に京都市交響楽団を退団。

京都市交響楽団在団中、ジャパンブラスコレクション、京響メンバーによる金管アンサンブル等、室内楽活動や尼崎吹奏楽団、京都府立大学オーケストラ等アマチュア団体定期演奏会等のソリストとしても参加。管打楽器コンクールテューバ部門の審査にも長年参加。

指導者としては以下の大学にて、オーケストラ(日本、アメリカ、ドイツ)・自衛隊音楽隊・プロ吹奏楽団の奏者を数多く育てる。

2026年3月、長年にわたり非常勤講師を務めた京都市立芸術大学を定年退職。現在は大阪音楽大学、大阪教育大学、同志社女子大学で非常勤講師を務める。

テューバを森本 努、石崎一夫、唐川集三、Robert Tucci 各氏に師事。

 

 

京都コンサートホール×京都市交響楽団プロジェクトVol.7 「京響創立70周年記念『小林研一郎×京響』」の詳細はこちら。(チケット完売)