【光と色彩の作曲家 クロード・ドビュッシー特別連載①】ドビュッシーとパン(牧神)

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京都コンサートホール

2018年に没後100年を迎えるフランスの作曲家ドビュッシーを讃えて、全3回のスペシャル・シリーズ『光と色彩の作曲家 クロード・ドビュッシー』(10/13、11/10、11/23)を開催いたします。

よりドビュッシーを知っていただくため、そしてこのシリーズをより楽しんでいただくため、本ブログで特別連載を行います。

連載の第1回目は、本シリーズの第2回『ベル・エポック~サロン文化とドビュッシー~』で演奏される《ビリティスの3つの歌》をはじめとする3作品から、ドビュッシーとパン(牧神)の関係に迫ります。

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牧神の午後への前奏曲、シリンクス、ビリティスの3つの歌。
ドビュッシーが残したこの3つの作品に共通するもの――それは「パン(牧神)」です。

ルーベンス:パンとシュリンクス

「パン(牧神)」とはギリシャ神話に登場する牧人と家畜の神。顎髭を生やし、山羊の角と脚を持ち、半人半獣の姿をしています。そしていつもトレードマークとも言われる「パンの笛」と呼ばれる笛を手にしているのですが・・・。この「パンの笛」とはいったい何でしょう?

パンは大の女好きでした。毎日、森や川の女神(ニンフ)を見つけては追いかけまわし、見つけては追いかけまわし・・・の繰り返し。そんなある日、パンは「シュリンクス(フランス語読みではシランクス)」というニンフに出会いました。女好きのパンはもちろんシュリンクスに声を掛けますが、パンのその醜い容姿に恐れおののいたシュリンクスは逃げ回ります。でも、パンの恋心は高まるばかり。あきらめきれないパンはしつこくシュリンクスを追いかけまわし、とうとう川辺まで追い詰めました。そしてパンがシュリンクスを抱きしめようとした瞬間・・・!シュリンクスは神に助けを求め、その姿を葦(あし)に変えてしまいました。
シュリンクスを失い悲しみに暮れるパン。するとヒューっと風が吹き、その風にそよいで葦が音を鳴らしました。その音色はまるでシュリンクスの声のよう。葦に彼女の姿を重ねたパンは「少なくとも、あなたの声と共にいることができた」と喜び、その葦を束ねて笛を作りました。そしてその笛に「シュリンクス」と名前をつけて、肌身離さずいつも身につけていたといいます。この「シュリンクス」と名づけられた笛が「パンの笛」です。

 

ドビュッシーはなぜこの「パン(牧神)」をテーマに3つの作品を書いたのでしょうか?

そのひとつのきっかけとなったのが、19世紀を代表するドイツの大作曲家、リヒャルト・ワーグナー(1813-1883)の存在です。

リヒャルト・ワーグナー

ドビュッシーが生まれる1年前の1861年、ワーグナーの楽劇「タンホイザー」のパリ初演がオペラ座で行われました。結果的には大失敗となったこの初演ですが、パリの文化人には多大な影響を与えることとなったのです。中でも、ボードレール(ドビュッシーが最も好きな詩人として名を挙げた人物)は『リヒャルト・ワーグナーと《タンホイザー》のパリ公演』を執筆しワーグナーを称え、マラルメ(「牧神の午後への前奏曲」の作者で、19世紀フランス印象派最大の詩人)は『ワーグナー論評』に論文を寄稿したというように、とりわけ文学者から絶大な支持を得ました。しかし音楽家にとって、このワーグナーの影響は少し違うものでした。ワーグナーが独自の手法で己の音楽様式を確立していく中で、フランスの音楽家たちはワーグナーの音楽に対してフランス独自の音楽を生み出すことの必要性を感じたのです。さらに、その思いに拍車をかけたのが1871年普仏戦争の敗戦。これまで音楽をはじめとする文化の中心地であったフランスですが、この敗戦を機にドイツの存在を意識せざるを得なくなります。そしてそれはドビュッシーが活躍する19世紀末まで続いたのです。サン=サーンス(1835-1921)は1871年に国民音楽協会を設立、フォーレ(1845-1924)らとともにフランス音楽の再興に尽力、近代フランス音楽の基礎を築きました。続くラヴェル(1875-1937)は古典的な形式や表現に回帰し、若くして独自の様式を確立。ドビュッシーはというと、全音音階や半音階、五音音階やギリシャ旋法を用い、これまでの調性・機能和声からの逸脱を図り独自の手法を見出したのですが、それらを音楽の中で実現する格好の題材のひとつがギリシャ神話、とりわけ「パン(牧神)」、そしてパンの笛から奏でられる音楽だったのです。

《牧神の午後への前奏曲》はマラルメの詩『牧神の午後』の官能的で夢幻的な世界を描写した作品ですが、この作品によりドビュッシーは独自のスタイルを確立するとともに、20世紀音楽の扉を開いたとも言われています。《シリンクス》(作曲当初は《パンの笛》と名付けられていました)では、音階や旋法を駆使してパンが奏でるその笛の音を、そしてギリシャ神話の世界を、たった1本のフルートで見事なまでに表現。《ビリティスの3つの歌》でもその東方的な旋律で、瞬く間に人々をドビュッシーの世界に惹きこみます。

ドビュッシーは「パン(牧神)」を通じて自らの音楽を創出していったのです。

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さて、ここまで書いてきたことはドビュッシーのほんの一面に過ぎません。ドビュッシーにはまだまだ我々が知らないたくさんの魅力が隠れています。

そんなドビュッシーを、そして彼の音楽をより深く知っていただくため、京都コンサートホールではスペシャルシリーズ『光と色彩の作曲家クロード・ドビュッシー』を開催いたします。計3回にわたるコンサートでは、ドビュッシーに精通した専門家によるナビゲーションとともに、ドビュッシーにまつわる様々な作品をお届けいたします。

ドビュッシーを知りたくなった方、ますますドビュッシーに興味を持った方。この機会にドビュッシーの世界に浸ってみませんか?

スペシャル・シリーズ《光と色彩の作曲家 クロード・ドビュッシー》の特設ぺージはこちら。

(京都コンサートホール 事業企画課)


【参考文献】
広瀬大輔 2018 「パリでわき起こったワーグナーへの熱狂」産経新聞社『モーストリー・クラシッック』254: 56
大嶋義実 2014 「無伴奏フルートアナリーゼ」アルソ出版『ザ・フルート』139: 56-57
松本 學 2012 「連載 Wagneriana ワグネリアーナ~ワーグナーにまつわるあれこれ 2」(『東京・春・音楽祭』ウェブサイト内) http://www.tokyo-harusai.com/news/news_1047.html (2018年8月2日閲覧)

特別連載②「進々堂 続木社長インタビュー(前編)」はこちら。