指揮者 小林研一郎 インタビュー(2026.11.8 京都コンサートホール×京都市交響楽団プロジェクトVol.7「京響創立70周年記念『小林研一郎×京響』」)

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京都コンサートホールと京都市交響楽団(以下、京響)が協働し、その魅力を多角的に発信する本シリーズ。今年開催するVol.7の指揮者は、1985年4月から1987年3月までの2年間、京都市交響楽団の第8代常任指揮者を務めた小林研一郎(以下、小林マエストロ)です。

公演に向けて、小林マエストロに演奏会の聴きどころや京響への思いなどを伺いました。
ぜひご覧ください!

  

――本日はインタビューのお時間をいただきありがとうございます!11月の演奏会に向けて、さまざまなお話を伺わせてください。はじめに、小林マエストロご自身についてお聞きいたします。小林マエストロは「情熱のマエストロ」「炎のマエストロ」との愛称でも呼ばれていらっしゃいますが、その音楽への情熱はどこから来ているのでしょうか?

私にとっては、ベートーヴェンがその源です。

終戦後すぐ、私が小学4年生の頃ですが、自宅のオンボロのラジオからベートーヴェンの《第九》が流れてきたんです。まだ小さな子どもでしたが、聴いているうちに涙が止まらなくなりました。自分の足元の畳に涙の渦ができるような、本当に大きな感動でした。そしてすぐに、小学校の先生をしていた母親に「五線譜を作って」と頼みました。母がガリ版印刷で五線譜を作ってくれて、私はその五線譜に作曲を始めたのです。

 

――京響の練習場でも、ベートーヴェンにまつわる特別な思い出があると伺いました。

ずいぶん昔のことになります。京響の練習場の指揮者控室に入ったときのことです。机にベートーヴェンの《第九》の大きなスコアが置いてありました。「あれ?私も自分のスコアを持っているのだけど?」と思って1ページ目を開きました。

するとそこには、五線の宇宙から、大いなるもの、素晴らしいものを期待して、世の中に広げていってほしい。 朝比奈隆と書いてありました。

今でも《第九》のスコアを開くたびに、「朝比奈先生、おはようございます。先生がお亡くなりになってから何度も《第九》をしていますが、先生の域にはまだ到達できません。もう少しお力をいただけませんか。」と心の中で話しかけています。

 

――素敵なエピソードをお話しくださりありがとうございます。小林マエストロにとって、ベートーヴェン、そして音楽への情熱は永遠に尽きることのないものなのですね。それでは次に、今回の演奏会のプログラムについてお伺いいたします。この2作品を選曲された理由を教えていただけますか?

とにかく「京響ならでは」「京響らしい」音楽を奏でたいと思い、チャイコフスキーの《ヴァイオリン協奏曲》、そしてドヴォルザークの《交響曲第8番》を選びました。

《ヴァイオリン協奏曲》のソリストは、私が「世界一素晴らしいヴァイオリニスト」だと思っている木嶋真優さんです。これまで彼女とは60回ほど共演しており、彼女の音楽性もよく知っています。木嶋さんは本当に美しい音を出されるのですが、その音を京響とともにぜひ聴いていただきたいです。京響は誰かが素晴らしい音を出すと、それに反応してオーケストラ全体がさらにいい音になっていく、そんなオーケストラなのです。

 

――「京響らしさ」をどのように引き出していきたいですか?

「京都市交響楽団30年史」より

「こんな音を出したい」「こんな音楽を奏でたい」という思いが、演奏する一人ひとりの中に生まれてくると、オーケストラ全体の精神状態が一つの方向に向かっていきます。私は、そこに大きな期待をしています。

もともと京響が持っている美しさに加えて、今回はもっと激しい心の動きや、内側から湧き上がってくるようなエネルギー、生命力を引き出したいですね。京響のみなさんが音楽に強く心を動かされ、それが音となって客席に届く。そんな演奏ができればと願っています。

京都には、古都として長い歴史の中で培ってきた優雅な世界観があります。それは京都の大きな魅力ですよね。でも京響には、それだけではなく新しい時代を創る音も出してほしいと思っています。時には、荒々しく汚くてもいいんです。音楽はきれいに整えて演奏すればよいというものではありません。演奏する人自身が、「自分はこういう音を出したい」「こういう音楽をしたい」という強い思いをもっと持ってほしい。ヨーロッパのオーケストラでは、演奏者が自分の音楽に対して、とても強いこだわりを持っています。「私はこうだ」と、指揮者に対してもはっきり言ってくる。そういうひたむきさ、一人ひとりの思いがぶつかり合い、オーケストラ全体が一つの方向へ向かったときに、これまでとはまた違った「京響らしさ」が生まれるのではないかと思っています。

 

――ドヴォルザークの《交響曲第8番》は、小林マエストロのレパートリーの中でも大好きな作品と伺いました。

《交響曲第8番》は、ドヴォルザークが心のすべてを尽くして書いた曲だと思っています。この曲には、精神的な深みがあります。そして、心を打つ美しい音もあれば、オーケストラが一気に炸裂できるような瞬間もあります。この作品なら、京響の中に秘められたものを引き出せるのではないかと思っています。

この作品は、さまざまな楽器のソロで静かに始まります。でもそこから2~3分の間にあっという間に音楽が燃え上がっていく。そして、また静かになる。その静けさと炸裂の対比を、極限まで描き出したいですね。

 

――小林マエストロと京響との9年ぶりの共演がますます楽しみになりました!それでは最後に、聴衆の皆さまへメッセージをお願いいたします。

京都には、京都市交響楽団という素晴らしいオーケストラがあります。今回の演奏会を通して、皆さんに「京都に京響あり」と感じていただけたら嬉しいです。

京都コンサートホールで京響の皆さん、そして聴きに来てくださる皆さんと一緒に、心が大きく動く時間をつくりたいと思っています。ぜひ当日はホールへ足をお運びください。

 

 

 

――小林マエストロ、ありがとうございました!11月8日、9年ぶりの京響との共演を楽しみにしています。

(2026年7月大阪にて 京都コンサートホール事業企画課インタビュー)

 

京都コンサートホール×京都市交響楽団プロジェクトVol.7 「京響創立70周年記念『小林研一郎×京響』」の詳細はこちら

指揮者 阪 哲朗 インタビュー(2026.9.13 第15回 関西の音楽大学オーケストラ・フェスティバル IN 京都コンサートホール)

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関西の音楽大学・芸術大学8校の学生が一堂に集い、大学の垣根を越えてオーケストラの演奏をお届けする年1回のフェスティバル「関西の音楽大学オーケストラ・フェスティバル IN 京都コンサートホール」。2011年に開始し、今年で15回目を迎えます。

今年の指揮者は、このフェスティバルの参加大学である京都市立芸術大学(以下、京芸)を卒業し、現在は母校の教授を務めている阪哲朗先生。参加学生にとっては大先輩にあたります。

公演を前に、阪先生にさまざまなお話を伺いました。ぜひご覧ください!

 

――指揮者への道

阪先生、本日はお時間をいただきありがとうございます。今年のフェスティバル、 どうぞよろしくお願いいたします!
はじめに 、阪先生が「指揮者になりたい」と思われたきっかけを教えていただけますか?

指揮者を初めて意識したのは高校生の時です。もともと野球部と合唱部を兼部していて。指を怪我してボールを投げられない時期があり、ちょうどその頃、合唱部の顧問の先生から「あんた、指揮やって」と勧められたのがきっかけでした。

指揮者が何をしなければいけないのかも、よく分かっていませんでしたね。みんなをまとめる人くらいの認識で。ただ、もともとスポーツでも団体競技が好きでしたので、音楽でも合唱やオーケストラのように 「みんなで一つのものをつくる」というところに魅力を感じたのだと思います。

 

高校何年生の時でしょうか ?

2年生の時です。ちょうど進路選択の時期でしたが、得意だった音楽か体育での二択でした(笑)。ピアノは4歳から習っていたこともあり、やはり好きな音楽の道を選びました。

ただ、ピアノの先生からは大反対されましたね。「あなたを音楽家にするためにピアノを教えていたのではないし、音大に行くならツェルニーやエチュードもやらなきゃいけなかったのに・・・」と言われました。先生としては、「この子は趣味として音楽を続けていけたらいいな」というお考えだったのでしょう。

 

合唱部に入られた理由は何ですか ?

もともと歌うことが好きだったのです。学校の行き帰りも歌っていたくらいで。
先輩の強い勧誘があった、というのもありますね。

 

指揮者を目指す中で、京芸の作曲専修を選ばれた理由を教えてください。

当時、京都教育大学で作曲を教えておられた藤島昌壽(ふじしま・まさひさ)先生が、合唱部の一年上の先輩のお父様で、先生に指揮者になりたいと相談したところ、「指揮をするなら作曲を学ばないと」と助言をいただいたのが、作曲専修を選んだ理由です。

また、藤島先生は京芸の非常勤講師もされていて「京芸では和声や対位法も入学後もしっかり見てくれるし、廣瀬量平先生が作曲を教えられているから、京芸がいいよ」ともご指南いただきました。廣瀬先生といえば当時合唱部で毎日のように先生の曲を歌っていましたし、「その方から学べるのであれば」と導かれるように京芸に進学しました。

廣瀬量平 (1930-2008): 作曲家。京都市立芸術大学名誉教授。1977年から1996年まで京芸の教授を務めた。2005 年から2008年までは京都コンサートホール館長を務めた。戦後の日本における音楽教育と音楽文化の発展に大きく貢献したひとり。作品は国内外で高く評価されている。

 

学生時代は、作曲を学びながらも指揮活動をたくさんされていたようですね。

学生時代は、指揮をしていることは先生方には隠していました。破門されるんじゃないかと思って。ただ芸祭(京芸の学園祭のこと )ミュージカルや四芸祭などで指揮をする機会が次第に増えてきて、「あいつは指揮ばかりしている」と廣瀬先生にも知られるようになりました。

そんなある日、廣瀬先生から「君は作曲で卒業させることにしたから」と言われたのです。もちろん私は作曲専修で卒業するつもりだったのですが、廣瀬先生は破門にするどころか私の将来のことを考えてくださっていました。このまま作曲科か、あるいは指揮科に転科させて指揮科で卒業させるべきかと、指揮科の先生らと相談までしてくださっていたんだと聞かされ、本当に驚き、心から感謝したものでした。

四芸祭:京都市立芸術大学、東京藝術大学、愛知県立芸術大学、金沢美術工芸大学の国公立系芸術大学4校によって毎年
行われていた、芸術文化の交流を目的としたイベント。現在は沖縄芸術大学が加わり五芸祭として開催している。

 

――指揮者、そして教育者として

京芸を卒業後、留学されウィーンで指揮を学ばれ、指揮者としてのキャリアを築かれていきました。現在は指揮者として活動される一方、母校の京芸でも教鞭を執られていますが、「舞台に立つこと」と「学生を教えること」には、どのような違いがありますか ?

プロの現場で共演する相手は、すでに音楽家として活動している人たちです。一方、大学で関わるのは、これから音楽家へと成長していく学生で、その過程を支える役割があります。

音楽大学には、楽器の演奏技術に優れた学生が集まってきます。しかし、さらに大切なのは、自分自身の楽器や専門分野を越えて、異なる楽器・異なる専攻の人たちとどのように音楽を創り上げていくかということです。そのためには、音楽における共通言語を見つける訓練が必要になります。

例えば、指揮者の場合は楽器を演奏するわけではありませんので、すべての音楽家と共有できる音楽言語を通して、コミュニケーションを取らなければなりません。 理論と演奏 、その間をつなぎながら音楽家を育てていくことが私の役割だと思っています。

音楽の世界に限らず、練習にはよく「質」と「量」があると言われます。日頃から同じことを漫然と繰り返すいわば「量」のみの練習をするのではなく、昨日の自分より今日の自分、今日より明日と、試行錯誤を重ね自分に課題を課しながら進んでいく・・・「質」を伴った練習の積み重ねを経て、やがてプロの音楽家になっていくのでしょう。

 

「教える」という仕事も 、阪先生にとって、指揮者として大切な活動のひとつなのですか?

そうですね。人に物を教えるためには自分が分かっていないといけませんし、きちんと言語化する必要もあります。人を育てて一人前という言葉もありますしね。

そして私は常々、京芸で育ててもらったのでその恩返しができたらなと思っています。それと同時に、自分がこれまで国内外で経験し、先生・先輩方からいただいた事を次の世代へ伝えていくことも、自分の役割だと考えています。母校の学生に限らず、多くの学生、次の世代に伝えていくことも大切です。

 

――関西の音楽大学オーケストラ・フェスティバルについて

このフェスティバルは、関西の音楽大学・芸術大学8校の学生が一堂に集まる 、年に一度の機会です 。学生たちにとって、どんな影響があると思いますか?

学校の中だけでは得られない刺激があると思います。8つの大学の学生が集まりますので、いい意味でのプライドや責任感、自身の大学に対しての誇りも生まれますし、同世代の学生がどんな演奏をしているのかを知ることもできます。

私が学生だった頃は、このような交流機会は四芸祭くらいでした。東京藝術大学の学生オペラを観て大きな刺激を受けた私は、その後、京芸でも学生オペラに取り組むようになりました。

このような出会いや刺激は、その後の音楽活動にも大きな影響を与えてくれるものだと思います。

 

このフェスティバルで、学生たちにどんなことを経験してほしいですか ?

実は私自身は《ラ・ヴァルス》以外は日本で初めて指揮をする作品ばかりです。私にとっても新しい挑戦ですし、学生たちにとっても、きっとこれまでとは違う音楽の考え方に触れる良い機会になると思います。

フランスの音楽は和声の色彩感、各楽器のソロらしさ、またそれに伴う細かなニュアンスなどが魅力ではないでしょうか。例えば音が多いパッセージで全ての音を同じように並べてしまうと、結果的に単に音数が多いだけの音楽になってしまいます。言葉で説明するのは難しいですが「ここは雰囲気として感じてもらえばいいのか」「ここははっきり聴かせるべきなのか」というような判断が重要になります。そうした選択や感覚を、今回の経験を通して感じ取って欲しいと考えています。

 

プログラミングの意図や作品の聴きどころを教えてください。

今回は、学生たちが卒業後も演奏する機会の多い代表的なフランス作品を選びました。今回取り上げるドビュッシーの作品には、まだワーグナーの影響が色濃く残っています。そして、そのドビュッシーがいなければラヴェルは作曲家として世には出て来なかったかもしれないと言えるほど、ドビュッシーとラヴェルのつながりは大きなものがあります。

ドビュッシーは音楽だけでなく、その生き方も非常に個性的で型破りなところがあり、感性や芸術性を強く感じさせる作曲家です。一方、ラヴェルは職人的な作曲家で、模倣や仕掛けを巧みに使いながら、聴き手を驚かせるような音楽を創り上げています。よくセットで語られる2人ですが、個性の違いを感じていただけると思います。

 

コンサートを楽しみにしているお客様 、そして共演する学生へメッセージをお願いします。

フランス音楽は、ドイツ音楽(例えばソナタ形式)のような構築、論理的なものを重視するというよりも、もっと直接的に感覚へ訴えてくる部分があります。フランス印象派の絵画のように、見る者の想像力をいかに働かせるかのような独特な味わいがあります。

フランスに行ったことがある方なら、スーパーに並ぶ野菜の瑞々しい色鮮やかさをご存じかもしれません。ドイツとは違う原色、発色が鮮やかで輝きのある世界です。
涼しげな水辺のような表現、日の出のような自然現象の描写、または人間の生命の根源的なエネルギーに満ちた祭りなど、様々な魅力を感じていただけら、と思います。

共演する学生たちには、若い世代だからこそ持っているピュアな感性や爆発的なエネルギーを、そのまま音楽の色彩や感覚として存分に表現してほしいですね。彼らの持つ素晴らしい演奏技術だけではなく、自分たちの感性で感じ取ったものを飾ることなく、音楽としてお客様に届けられることを期待しています。

 

ありがとうございました 。
阪先生が学生たちと繰り広げる、フランス音楽の数々を楽しみにしています!

本日はお 時間をいただきありがとうございました。
今年のフェスティバル、どうぞよろしくお願いいたします!

 

(2026年7月 京都コンサートホールにて 事業企画課インタビュー)

 

★「第15回関西の音楽大学オーケストラ・フェスティバル IN 京都コンサートホール」の詳細はこちら

オルガニスト 松居直美 インタビュー<後編>(2025.11.1 オムロン パイプオルガン コンサートシリーズVol.76「松居直美 presents “J.S.バッハに至る道”」)

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インタビュー

京都コンサートホールが誇る国内最大級のパイプオルガンをお楽しみいただける人気シリーズ「オムロン パイプオルガン コンサートシリーズ」。11月1日に開催するVol.76にご出演いただく松居直美さんのインタビュー後編をお届けします。

前編はこちら

――前編では、オルガンとの出会いや留学時代のお話をお伺いしました。留学から戻ってきてオルガニストとしての道を歩まれ始めましたが、当時の日本では松居さんがオルガニストの先駆け的な存在だったのでしょうか?

先に述べたように、私が留学から帰ってくるまでは、ホールにあるような大きなオルガンはNHKホールにしかありませんでした。もちろん私よりももっと前にオルガンを勉強している先輩はたくさんいらっしゃいますが、活動の場がなく、ホールにオルガンもありませんでしたので、自分が卒業した学校の先生になったり、教会でオルガンを弾いたり、あるいは留学先で教会音楽家の資格をとってそのまま海外で活動をしたりしていましたね。残念ながら当時の日本は、オルガンやオルガニストが広く知られる環境ではありませんでした。

――当時に比べ、今は全国のいくつものホールに大きなオルガンがあり、オルガンのコンサートが各地で開催されていますね。楽器としてのオルガン認知度・人気も築いていると思います。

それは各ホールの努力の賜物だと思います。ただオルガンのコンサートをするだけでなく、オルガンの仕組みをお話ししながらのレクチャー・コンサートであったり、オルガンスクールのような啓発的な意義のある取り組みもされていますよね。今、30代で頭角を現しているオルガニストというのは、コンサートホールでオルガンコンサートを聴いてオルガンを始めた方、そしてホールが行っているオルガンスクールの出身者が多いのです。その背景には、ホールの皆さんの努力があります。

――今やオルガン、そしてオルガニストは日本のクラシック音楽界にはなくてはならない存在です。これからのオルガン界に思い描く未来を教えてください。

もう少しオルガンで仕事ができるようになればいいと思いますね。私たちやその下の世代もそうなのですが、今の時代に音楽大学でオルガンを勉強したら “こんなことができる” “こんな人になれる” といった確たるものを示しきれていないように感じています。ホールオルガニストがいるホールはまだ片手くらいしかありませんし、 “オルガンを勉強したってどうにもならない” と思っている若い人は結構いるのです。ですので、オルガニストが生きていける道・活動できる場所というものがもう少しないのだろうかとは思ってはいます。何がきっかけになるかわかりませんので、身近なことでできることをやっていくしかないと思うのですが、どうしたらよいのか、まだ私には見えていません。

また、いま日本には1,000台以上のオルガンがありますが、これを維持管理していく人、そして弾いていく人が減ってしまうことも悩ましいことです。維持管理する職人も第一世代が高齢化していますので、次の世代が引き継いでくれたらと願います。

――松居さんのオルガンへの想いをお聞かせいただきありがとうございます。京都コンサートホールにもとても立派なオルガンがありますので、大切にしていきたいと思います。ところで、松居さんは京都コンサートホールのオルガンに対して、どのような印象をお持ちでしょうか?

京都コンサートホールのパイプオルガン

過去に2回ほど演奏したことがありますが、まず最初に見たときは、 “面白いな” と思いました。左右非対称に作ってありますので、見た目だけでなく、音の聴こえ方も面白くなるのです。左右対称のオルガンはどのように音が聴こえてくるのか大体決まっていますが、非対称の場合は変わってきます。また、ドイツ系とフランス系の音色が同居していますので、音の組み合わせの種類がとても多くなります。ドイツ系とフランス系それぞれの音色を使ってもよいですし、両方の音を混ぜて使うこともできます。

――今回のコンサートのタイトルは「J.S.バッハに至る道」です。スウェーリンクから始まり、北ドイツ・オルガン楽派のオルガニストたち、そしてJ.S.バッハと、バロック時代のオルガニストの系譜をたどるようなプログラムです。このプログラムの意図、そして聴きどころを教えてください。

北ドイツ・オルガン楽派からJ.S.バッハまでの時代は名曲が多く、繰り返し何度も弾いてみたいと思わせられます。スウェーリンクの《半音階的ファンタジア》は彼の代表作といえるような作品です。続くシャイデマンはスウェーリンクの弟子です。今回演奏する《アレルヤ、我らの神をほめたたえよ~H.L.ハスラーのモテットによる~》は、多声のための古い合唱曲であるモテットを鍵盤用に移したものですが、単に鍵盤用に書き移しただけでなく、いろいろな変化をつけた曲で、そこが面白いと思っています。ヴェックマンはハンブルクのヤコブ教会のオルガニストでした。ヤコブ教会のオルガンはとても巨大なのですが、《第1旋法によるプレアムブルム》はその巨大な楽器からこんな曲が生まれたのだと思わされる、私の好きな作品です。ブクステフーデは、言わずと知れた名曲ばかりですね。そして後半にはJ.S.バッハの作品を並べました。

今回のプログラムはJ.S.バッハに至るまでの作曲家を並べてはいますが、 “こことここが似ているね” など難しく捉えていただかなくてよいと思っています。それぞれが個性的で美しい曲ですので、1曲1曲楽しんで聴いていただければよいと思います。

――プログラムの後半には、偉大なるJ.S.バッハの作品が並びました。バッハの偉大さ・素晴らしさはどのようなところに感じますか。

J.S.バッハも初期から後期と作風は変化していて、若い時の作品は確かに若さを感じはしますが、作曲技法的に巧いなと思います。あまりに巧みであるし、あれだけのオルガン作品があっても曲の終わり方が全く同じ曲はないのです。たくさんの引き出しを持った人といいますか、バッハに至るまでの数々の音楽が吸収されていて、それがバッハの中で統合されて曲となって出てきていると思うのですが、1曲ずつの曲のキャラクターの違いの面白さもありますし、バッハ以上にどの作品を弾いても興味が持て、その興味が尽きることがない作曲家はいないように感じます。しばらく時間をおいて改めて演奏してみるとまた違った発見がいつもある作曲家は、バッハの他にはあまりいないような気がします。ですので、バッハの作品を理解したと思っているわけではありませんし、近づくほどに峰が高く見えるような、そんな存在です。

――やはり、オルガニストにとってバッハは特別なのでしょうか?

特別ですね。簡単な曲は習い始めて割と早くに弾かせてもらいますが、それでも改めて弾くとなると全く違う曲のような気持ちで取り組まないといけないような、終わりがないような感じです。オルガンだから感じられること・得られることがバッハの作品の場合はたくさんあると思います。バッハの作品を演奏するときは、オルガニストでよかったなと思う瞬間です。

――最後にお客さまへメッセージをお願いいたします!

今回のプログラムは、最初は割と素朴な感じのような、いま私たちが慣れ親しんでいる近代和声とは違う世界の作品から入っていきますが、どの作品も美しい曲ですので、あまり難しく考えずに楽しんで聴いていただけたら嬉しく思います。

――ありがとうございました!11月1日、京都コンサートホールのオルガンで松居さんの演奏をお聴きできることを楽しみにしています。

(2025年7月 東京にて 京都コンサートホール事業企画課インタビュー)

♪11月1日(土)開催「オムロン パイプオルガン コンサートシリーズVol.76 松居直美 presents “J.S.バッハに至る道”」の詳細はこちら!

オルガニスト 松居直美 インタビュー<前編>(2025.11.1 オムロン パイプオルガン コンサートシリーズVol.76「松居直美 presents “J.S.バッハに至る道”」)

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京都コンサートホールが誇る国内最大級のパイプオルガンをお楽しみいただける人気シリーズ「オムロン パイプオルガン コンサートシリーズ」。11月1日に開催するVol.76にご出演いただくのは、本シリーズ初登場となる日本オルガン界の第一人者 松居直美さんです。

7月中旬、教会での演奏を終えた松居さんにお話を伺いました。

――素敵な演奏をお聴かせいただきありがとうございました!11月のコンサートがますます楽しみになりました。今日は松居さんとオルガンのお話をたくさん聞かせてください。早速ですが、松居さんとオルガンとの出会いはいつですか?

私の両親はクリスチャンでしたので、幼いころから毎週日曜日は教会に通っていました。私が中学生の頃、当時通っていた教会にパイプオルガンが導入され、その時にオルガンの音色を聴いたのが出会いです。当時はピアノも習っていましたし、通っていた学校もミッション系でしたので、教会音楽は非常に身近でしたが、導入されたオルガンの披露演奏会を聴いたときに今までに聴いたことのないような音が聴こえてきたのです。オルガンは教会の2階に設置されたため、上から音が降ってくるような、そんな感覚でした。いま見ればごく一般的な楽器ですが、中学生だった私は「オルガンを弾いてみたい!」と思ったのです。

――そこからオルガンを演奏されるようになったのですか?

そうですね。教会では子どもが興味を持てばオルガンを弾かせてくれましたし、そのうち伴奏をさせてもらったり、慣れてきたら礼拝の奏楽も弾かせてもらえました。そういう点では、恵まれていたと思います。

――当時はオルガンを教えてくださる方がいたのですか?

当時は教会内にキリスト教音楽学校(現キリスト教音楽学院)があり、そこに通いオルガンを習いました。教えてくださったのは日本人の先生です。

――国立音楽大学への進学は、どのように決められたのですか?

ミッション系の一貫校に通っていたのですが、オルガンが好きで、もっとたくさんの作品を演奏してみたいと思い、音大に進学しました。周りのオルガン科の学生は牧師の娘さんや、日頃から教会に通ってオルガンを弾いているような方ばかりでした。

――大学卒業後はオルガニストになりたいと思っていましたか?

オルガニストになるというビジョンは全くなかったですね。実は一度、オルガンを辞めようと思ったことがありました。大学院を卒業してから1年くらいの時期です。オルガン科を卒業しても “何かになれる” というモデルがあったわけではありませんし、可能性も考えられませんでした。私が学生の頃はオルガンのあるコンサートホールはなかったので、ホールオルガニストという職もありませんでした。しかし、その頃たまたま誘われて行った国際基督教大学でのコンサートを聴いて、 “もう一度オルガンを演奏したい” と思ったのです。そのコンサートで演奏していたのは、東ドイツのトーマス教会のオルガニストだったハンネス・ケストナーでした。

※ハンネス・ケストナー
J.S.バッハも音楽監督を務めていた、ライプツィヒの聖トーマス教会のオルガニストであった人物。

――その演奏会を聴いて、ドイツ留学を決められたのですか?

はい。ただ迷いはありましたね。20代半ばというのはその後の人生を大きく左右する、とても大切な時期です。そのような時期にドイツに行って何年も時間を費やしてよいのかと悩みました。

ドイツの大学院では、ジグモンド・サトマリー先生のもとで3年半ほどオルガンを学びました。サトマリー先生は演奏の解釈にしても、音色の作り方にしても、私の視野をとても広げてくれた方です。古典作品だけでなく現代音楽にも取り組まれており、たくさんの方に作品を委嘱していました。現代音楽では楽譜が完成されていない(演奏しながら作り上げていく)こともありますが、その点においては不完全な楽譜から最大限のものを引き出すことができる素晴らしい方です。

※ジグモンド・サトマリー
1939年ハンガリー生まれのオルガン奏者。1970年にハンブルクのルター教会の音楽監督・オルガン奏者に就任。1978年よりフライヴルク音楽大学の教授を務める。京都コンサートホールでは1999年11月7日にリサイタルを開催している。

――ちなみに、オルガンはどのように学んでいくのでしょうか?同じ鍵盤楽器でもピアノとオルガンでは楽譜も奏法も違いますし、オルガンは音作りも自身でしなければいけない楽器ですよね。

音色に関して言えば、最初は先生が作ってくださいます。そのうち基本的な音の作り方を習いますが、オルガンひとつひとつ全く違いますので、基本的な考え方をそのまま当てはめてもどうしようもありません。留学した初めの頃は、初めて弾くオルガンの場合は先生が音色を作ってくださって、それを覚え、 “この組み合わせだとこういう音になるんだな” という経験を積み重ねていきました。楽譜や本に書いてあるものを読むだけではどうしようもありません。今でもほかのオルガニストが作った音の組み合わせを聴いて、 “ういうこともできるのだ” と思うときもありますし、これからも無限にあると思っています。奏法に関しては、まずは弾き方を習い、そして曲の解釈や演奏技術、様式などを習っていくという感じでした。

――ドイツ留学のあと、オランダにも留学されていましたよね?

ドイツ留学から戻ってきてしばらくしてから、オランダへ留学しました。オランダへは文化庁の海外特別派遣生としていきましたので期間は短かったのですが、主人がオランダに駐在していたため、日本とオランダを行き来するような生活を送りながら、オランダでも演奏活動をしていました。

――ドイツとオランダでオルガンを学ばれましたが、日本と海外ではオルガンを学ぶ環境は違いましたか?

当時、NHKホール以外に大きなオルガンはありませんでした。NHKホールは日常的に通えるような場所ではありませんし、サントリーホールができたのも私が留学から帰ってきて半年くらい後のことです。ですので、それまで私が日本で弾いてきたオルガンは小さな楽器でした。今のようにインターネットもなければYouTubeで見たり聴いたりすることもできない時代で、レコードを聴いたり本を読むくらいしか情報を得る方法はありませんでした。それが留学先ではいきなり大きくて響きのある楽器、そして石造りの教会で弾くのですから、違う楽器に出会ったような感じでしたね。

――オルガンが好きでオルガンを学ばれてきたなかで、オルガニストになろうと決心されたのはいつ頃ですか?

オルガニストになろうと思ったのは留学から帰ってきた後ですね。留学した時はオルガンが好きでオルガンが生まれた場所に行ってみたいという思いで行きましたので、海外の大学の卒業資格を取って何かになる・何かの職に就く、ということは考えられませんでした。

私が留学から帰ってきたときはちょうどバブルの時期でした。輝かしいものへの興味としてコンサートホールでオルガンを聴いてみたいという人がたくさんいるような状況で、演奏の機会もたくさんいただきました。ただ、日本はキリスト教国ではありませんし、教会も国教会のように国や人のサポートがあって存在しているわけではありませんので、日本でオルガンが楽器として人々にどのように定着していけるのかは分かりませんでした。そもそも、それまで日本のコンサートホールにはオルガンもなかったのですからね。演奏曲も今回(11/1)の公演のようなプログラムを出しても敬遠されてしまうというか、宗教的なタイトルが付いてしまうと、引かれる感じはあったように思います。ただ、ヨーロッパのような教会の縄張り争いはありませんでしたので、公共的な存在としてオルガンには別の道があるのではないかとも思っていました。

――貴重なお話をたくさんお聞かせいただきありがとうございます。インタビュー後半では、この続きや日本のオルガンにまつわるお話、そして今回のプログラムについてお話を伺いました。後編もお楽しみに!

(2025年7月 東京にて 京都コンサートホール事業企画課インタビュー)

♪11月1日(土)開催「オムロン パイプオルガン コンサートシリーズVol.76 松居直美 presents “J.S.バッハに至る道”」の詳細はこちら!

作曲家 酒井健治 インタビュー(2025.11.8 ピエール・ブーレーズ生誕100年記念事業 ブーレーズへのオマージュ)

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20世紀を代表するフランスの偉大な音楽家 ピエール・ブーレーズの真髄に迫る、京都コンサートホールのオリジナル企画「ブーレーズへのオマージュ」。コンサートの翌日11月9日(日)には、ブーレーズの作品や思想への理解をさらに深めていただくため、京都市立芸術大学 堀場信吉記念ホールにてスペシャルイベント「ピアニスト永野英樹による公開マスタークラス」を開催します。

コンサート、そしてマスタークラスをより楽しんでいただくため、マスタークラスで永野氏と対談を行う、京都市立芸術大学音楽学部音楽研究科作曲専攻教授 酒井健治氏にブーレーズにまつわるお話を伺いました。

―――京都コンサートホールでは、今年生誕100年を迎えた音楽家 ピエール・ブーレーズに焦点を当てたコンサートを開催します。酒井さんがブーレーズの作品に初めて触れたのはいつですか?

ブーレーズの存在自体は以前から知っていましたが、きちんと楽譜を見て作品を聴いたのは大学3年生の時です。当時、京都市立芸術大学で作曲を教えていた前田守一先生の研修室で、楽譜を見ながら音楽を聴くといった内容のゼミがあり、その中にブーレーズの作品がありました。

―――その時のブーレーズに対する印象はどのようなものでしたか?

『どうやってこの作品を書いたのだろう?』とまず思いましたね。それまではメロディーをどのように作るか、和声をどう付けるかなど、いわゆるクラシックの作曲技法を学ぶのがほとんどでした。現代音楽の語法なんて全く詳しくなかった頃に聴いたので、 “どのようにこの音楽を作ったのか”  “なぜこれが作曲家にとって良い表現なのか”  “どういう美学・感性をもってこの作品を書いたのか” 、そういったことを考えるきっかけになったのがブーレーズでした。

―――その後もブーレーズの作品を聴く機会はありましたか?

作品を聴くことはもちろん、私自身の作風にも大きな影響を与えてくれました。特にブーレーズのオーケストラ曲のグロッケンシュピールなどのきらびやかな音響、金属の打楽器を豊富に使って余韻を作るような作風には、とても影響を受けました。

―――酒井さんは京都市立芸術大学そしてパリ国立高等音楽院を卒業された後、ブーレーズが設立したIRCAM(フランス国立音楽音響研究所)で学ばれていますが、実際にブーレーズにお会いしたことはありますか?

ブーレーズに初めて会ったのはIRCAMでした。確か2009年です。私は2007年から2009年まで研究員として2年間、IRCAMに滞在していました。当時、修了作品を制作するため施設によく寝泊まりしていたのです。確か夜の22時頃だったと思うのですが、カフェで休憩しようと飲み物を取りにエレベーターを降りたら、ブーレーズが目の前にいたのです。僕は『え?』となりましたし、ブーレーズも『え?』となっていましたね(笑)。不思議な出会い方でした。その後、私の修了作品がポンピドゥー・センターでアンサンブル・アンテルコンタンポランの演奏により初演されることになったのですが、その時にもブーレーズは聴きに来ていました。作品を聴いていただいた後に直接お話ししたのですが、ものすごく緊張していて何をしゃべったかは覚えていません。でも『よかったよ』とは言ってもらえましたね。当時、ブーレーズはかなり高齢でしたので、一緒に活動をすることはなかったのですが、ブーレーズの存在感、そしてオーラのようなものを強く感じました。

―――ちなみに、酒井さんも学ばれたIRCAMはどのような施設ですか?

総合文化施設であるポンピドゥー・センターの一部門で、電子音響の研修所です。ブーレーズが設立し、初代所長も務めています。ちょうど私が入所した年に、研究員の履修システムが1年制から2年制に変わりました。1年目に15名ほどが入所し、半年間にわたって電子音響を学び非公開で作品発表を行います。そして2年目に進むときに審査が行われ、15名から6名にメンバーが絞られます。2年目は丸々1年かけてソフトウェアをさらに深く学びます。

―――どちらかというと学びの環境・要素が強いのですね。

研究員との肩書ではありますが、実際は音響音楽に必要な知識を学ぶための施設ですね。朝の10時から夕方の5時まで毎日パソコンに向かい勉強していました。しかもそれで終わりではありません。勉強のスピードがかなり速く、そして内容も濃いため、5時まで勉強した後は1日の復習をずっとしていました。作曲活動をする時間もあまりなく、ただひたすら1年間勉強し続けるといった感じでした。

―――お話を聴いているとIRCAMはほんの一握りの人しか入れないような、かなりの狭き門ですね。若い作曲家にとっては、登竜門のような場所なのでしょうか?

若い作曲家にとって、IRCAMは自己表現を進化させる場所であると同時に、キャリア形成の場所でもあると思います。パリ国立高等音楽院で学び、IRCAMに入って、そしてローマ賞を取るというのが、フランスにおける作曲家のひとつのステップにもなっています。フランスで活躍している作曲家の多くがこの道をたどっていますね。

―――現代音楽におけるIRCAMの重要性、そしてブーレーズの功績がとてもよくわかりました。さて、酒井さんは指揮者としてのブーレーズにはどのような印象をお持ちですか?

パリに住んでいるときにブーレーズが指揮する姿を見たことがあります。作曲家としてのブーレーズと直接的な繋がりがあるかはわかりませんが、ブーレーズのリハーサルは極めて合理的なのですよね。楽譜を通してブーレーズの人柄を知ることは難しいと思うのですが、指揮者としてのブーレーズはきわめて厳格な音楽づくりをしていました。ただそれと同時に、ユーモアを忘れないという一面もあって、そういった場面に出会ったときに、『ああ、やっぱりブーレーズも人間なんだな』って思いました。僕が楽譜を通して知るブーレーズ以上に、指揮者ブーレーズは人間的だなと思います。楽譜からも論理だけでは片づけられない作曲家の顔みたいなものは見えるのですが、実際に指揮をしている姿を見ると結構インパクトがありました。

―――さて、今回の企画「ブーレーズへのオマージュ」では、関連イベントとして11月9日(日)にピアニスト 永野英樹さんのマスタークラスを開催します。マスタークラスでは、永野さんと酒井さんとの対談も予定していますが、永野さんとはご面識はありますか?

お会いしたことは数えるくらいしかありません。私の作品をアンサンブル・アンテルコンタンポランで取り上げていただいた時も、別の専属ピアニストの方が演奏されていたので、まだお仕事をご一緒したことがないのです。でも実は一度、フランスの空港でばったりお会いしたことがあり、その時は長い間話し込んだ記憶がありますね。お仕事でご一緒するのは今回のマスタークラスが初めてになりますので、今から楽しみにしています。
マスタークラスの受講者・聴講者は大学時代の自分と同じように、 “楽譜上のブーレーズは知っているけれども、人間としてのブーレーズは知らない” という方がかなり多いのではないかと思います。そういった方たちに、ブーレーズの素顔が垣間見られるようなエピソードを永野さんからお聞きしたいなと思っています。

―――たくさんの興味深いお話をお聞かせいただきありがとうございました。作曲家としてブーレーズの影響力、偉大さを改めて感じました。マスタークラスでの対談も楽しみにしています!

(2025年8月 京都にて 事業企画課インタビュー)

▶「ブーレーズへのオマージュ」特設ページはこちら

ピアニスト 永野英樹 インタビュー<後編>(2025.11.8 ピエール・ブーレーズ生誕100年記念事業 ブーレーズへのオマージュ)

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インタビュー

偉大なる作曲家 ピエール・ブーレーズの生誕100年を記念して開催する、京都コンサートホールオリジナル企画「ブーレーズへのオマージュ」(11月8日)。

本公演の出演者であり、ブーレーズから薫陶を受けたピアニスト 永野英樹さんへのインタビュー後編では、本公演のプログラムについてお話を伺いました。

前編はこちら

【インタビュー後編:本公演のプログラムについて】

―――今回、ブーレーズの作品から《12のノタシオン》《ドメーヌ》《フルートとピアノのためのソナチネ》の3作品を選んだ理由をお聞かせください。

永野英樹

ブーレーズの室内楽作品は少なく、片手で数えられるくらいしかありません。もちろんピアノのソロ作品だけでプログラムを組むこともできなくはないのですが、どうしても偏ってしまうため、ソロも交えつつ、作品ごとに変化をつけるという意味でこの3作品を選びました。作曲時期によってブーレーズの作風も変わっていきますので、そういう点も聴きどころだと思います。

ブーレーズの作品には作品番号が付いていませんが、《12のノタシオン》は彼の作品カタログの中では作品番号1(=作曲年代が一番古い)にあたるほど、本当に初期の作品です。当初は古典的な手法を引きずっているという点で、ブーレーズ自身はこの作品をカタログの中に入れていませんでしたが、やはりこの後の作品へのつながりが感じられます。ブーレーズの音楽語法の出発点ともいえるような作品ですね。

《ドメーヌ》は偶然性の音楽(演奏時に奏者自身で演奏するフレーズや順番などを選択するもので、演奏のあり方を偶然に任せた音楽のこと)で、ジョン・ケージとの親交などから影響を受けて書かれた作品です。クラリネット奏者にとっては重要なレパートリーのひとつでもあります。

《フルートとピアノのためのソナチネ》は、ブーレーズが若い頃、一番血の気の多い時期の作品で、とても迫力があります。音楽的で演奏効果も高く、まさにブーレーズ!といった感じの作品です。

―――クラリネット・ソロの《ドメーヌ》、そしてフルートとピアノのデュオ《ソナチネ》については、選曲時に奏者のイメージもあったのですか?

そうですね。クラリネットの上田希さんとは、「いずみシンフォニエッタ」で何度かご一緒したことがありました。また、サントリーホールのサマーフェスティバルでも上田さん、そしてフルートとの上野由恵さんとご一緒したことがありました。ですので、コンサートの後半に演奏するシェーンベルク/ウェーベルン編曲の《室内交響曲第1番》も含め、お二人と一緒に演奏したいと思い選曲しました。

―――ブーレーズ以外の作曲家の作品を入れた意図を教えてください。

ブーレーズの作品だけではなくて、彼と関わりのある作曲家やブーレーズ自身が好んで演奏していた作品を入れることで、“ブーレーズ”という人としてのイメージを知っていただきたいという意図もあります。ブーレーズの作品だけを聴くよりも音楽、そして彼の人物像に奥行きが出ると思いますね。ラヴェルの《夜のガスパール》は斬新な部分と昔ながらの作風を感じられる部分があります。シェーンベルクの《室内交響曲第1番》はまだ調性音楽で書かれているため、シェーンベルクの作品に馴染みのない方も聴きやすいと思います。

―――ラヴェルとシェーンベルクはブーレーズの作品とどのような関係性がありますか?

ラヴェルは作風に直接的な関係性はありませんが、ラヴェルや同じくフランス印象派の作曲家であるドビュッシーは、近代から現代への過渡期にあった作曲家です。書法や楽譜を忠実に再現しようとする姿勢はラヴェルに近しいものを感じはしますが、どちらかというとブーレーズはドビュッシーの方が音楽に対する向き合い方や思想などの面で、より親近感を持っていたように思います。でも、ラヴェルのことも一目置いていて、ブーレーズ自身もラヴェルの作品はたくさん演奏していましたので、そういう意味では近しい作曲家だと思います。

ブーレーズは血の気が盛んな若い頃はいろんな作曲家に対し歯に衣着せぬ批判をしていて、シェーンベルクやストラヴィンスキーなど他の作曲家の考えや作曲技法を全て受け入れたわけではありませんでした。でもシェーンベルクに関しては確実に影響を受けていますね。例えば、アンサンブル・アンテルコンタンポランでもシェーンベルクの作品をたくさん演奏していますし、ブーレーズが遺したシェーンベルクやウェーベルンの作品の録音は、ブーレーズのコレクションのなかでも大切なもののひとつと一般的にも言われています。そういう意味でも、シェーンベルクら新ウィーン楽派***の作品というのは、ブーレーズにとって、演奏家としても作曲家としても大切な位置にあるものだと思います。特に今回取り上げるシェーンベルク/ウェーベルン編曲《室内交響曲第1番》は、ブーレーズがよく指揮をしていた作品です。

***新ウィーン楽派
20世紀前半、ウィーンを拠点に活動したシェーンベルク、ウェーベルン、ベルクのこと。

―――永野さんが本公演のチラシに寄せてくださったメッセージの中で「難解だと思われがちなブーレーズの音楽だが、指揮者として活躍した彼ならではの響きやリズムへのこだわりが詰まっている」とありますが、そのこだわりとはどのようなものですか?

ピエール・ブーレーズ

先ほどもお話ししましたが、ブーレーズは安定したリズムが嫌いで、どこかでリズムを壊していました。初期作品の《12のノタシオン》でもこの手法はすでに見られるのですが、そもそも楽譜に拍子を書いていないんですね。常に3/4拍子だとか6/8拍子ではなく、小節ごとに拍子が変わっていくこともあれば、メロディーのような箇所も4分音符で分割される拍ではなくて、それにプラス16分音符みたいな箇所がたくさん出てきます。そういったリズムの崩し方が、ブーレーズの特徴だと思いますね。

響きに関しては、ピアノ・ソロの作品でも、今回演奏する《フルートとピアノのためのソナチネ》でもそうなのですが、音がよく響く書き方をしています。楽器を演奏している方だとわかるかもしれないのですが、音がすごくよく響く作り方と、あまり響かない作り方というのがあり、その点でブーレーズは音がよく響く作曲をしていますね。ドビュッシーやラヴェルなどと同様に、フランス人独特のピアノ作品の作曲手法や、楽器の鳴らし方、和音の書き方があるのだと思います。特にピアノのエクリチュール(書法)に関して言えば、ブーレーズ自身がピアノを弾いていたということも大きく影響していたと思いますね。

―――永野さんが普段活動されているパリに比べ、日本ではまだ現代音楽に対して「難解」というイメージがどうしても強いように感じます。今回のプログラムやブーレーズの作品、そして現代音楽を聴く際のポイントを教えてください。

現代音楽というネーミングには語弊があります。現代音楽とは曲のスタイルではありません。20世紀以降の音楽がほとんど現代音楽として括られていますが、その中にはいろいろなスタイルがあります。まずはいろいろな音楽を聴いていただき、自分が好きなものを探すことが第一歩だと思いますね。現代音楽と聞いて「嫌」と思うよりも、「この曲・この作曲家は知らないから聴いてみよう」とか、「この国の作曲家は知らないから聴いてみよう」とか、そんな感じでよいと思います。あるいは「この楽器が好きだから聴いてみたいな」とか。そのくらいの興味でいろいろと聴いていただくと、ひょっとするとその中に自分の好きなスタイルの現代音楽が見つかるかもしれません。僕もブーレーズは偉大だと思うのですが、作曲家は必ずしもブーレーズ一人ではありません。現代を生きている作曲家、若い作曲家もたくさんいますし、彼らから新しいスタイルの音楽もどんどん生まれていくわけですので、たくさんの種類の曲を聴くのが一番よいと思います。あと、絶対に言えるのは、どんなものでもそうなのですが、録音されたものよりライブで聴く方が「あっ、これなら聴ける!」という音楽が絶対にあると思いますので、ぜひコンサートで聴いていただきたいです。

―――ありがとうございました。ブーレーズの真髄に迫るコンサート、楽しみにしています!

(2024年4月 大阪にて 事業企画課インタビュー)

ピアニスト 永野英樹 インタビュー<前編>(2025.11.8 ピエール・ブーレーズ生誕100年記念事業 ブーレーズへのオマージュ)

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アンサンブルホールムラタ

今年生誕100年を迎えた、20世紀の偉大なる作曲家 ピエール・ブーレーズ。2009年には「京都賞」を受賞し、ここ京都コンサートホールで彼の作品が演奏されるなど、京都とも縁の深い人物です。

ブーレーズの生誕100年を記念して、オリジナル企画「ブーレーズへのオマージュ」を開催します(11月8日)。

本公演の出演者であり、ブーレーズが設立した世界屈指のアンサンブル「アンサンブル・アンテルコンタンポラン」の専属ピアニストとして、約20年もの間ブーレーズと活動を共にした永野英樹さんにインタビューを行いました。その内容を前編・後編に分けてお届けします。

【インタビュー前編:ブーレーズについて】

―――ブーレーズは作曲だけでなく、指揮や著述など、音楽家としてのさまざまな姿がありますが、永野さんにとってブーレーズはどのような音楽家ですか?

私にとっては指揮者というよりもむしろ、作曲家としてのイメージの方が強かったですね。というのも、私は純粋にオーケストラよりもピアノが好きだったので、ピアノの曲を聴く方が多く、指揮者としての彼の姿をあまり意識したことがありませんでした。

実際、私がアンサンブル・アンテルコンタンポランに入ってブーレーズと一緒に仕事をした際、「頼まれたら指揮をしているけれど、自分は作曲家だと思っている。自分から率先してやっているのは作曲だ」というようなことを言っていました。ただ、最終的には指揮の仕事の方がずいぶん多かった気がします。

アンサンブル・アンテルコンタンポラン
1976年にブーレーズが設立した、世界最高峰の現代音楽アンサンブル。
アンサンブルの活動や当時のエピソードなどは、2018年に開催した「京都コンサートホールのスペシャル・シリーズ『光と色彩の作曲家 クロード・ドビュッシー』」の永野英樹氏インタビュー
をご覧ください

―――永野さんが感じられていたブーレーズ像と、ブーレーズが思っていた自身の姿は一致していたということですね。

そうですね。もっと怖い人だというイメージがあったのですが、それは予想に反していましたね。例えば、有名人なのに、サインを求められたときは割と気軽に応じて話もしていました。街を歩いていても彼に気がつかず通り過ぎている人も結構いたと思います。そういう部分ではスター意識というものはなかったように感じています。

―――今の話だけでも、ブーレーズに対するイメージがずいぶん変わりました。

アンサンブル・アンテルコンタンポランはブーレーズ自身が作ったアンサンブルですので、他のオーケストラよりも、ホームみたいに思ってくださっていましたね。アンサンブル・アンテルコンタンポランのメンバーと接するときは、彼もおそらく他のオケの人たちと接するよりもリラックスしていたのではないかと思います。

―――アンサンブル・アンテルコンタンポランで、永野さんは専属ピアニストとして20年ほどブーレーズと一緒に活動されていましたが、印象に残っている出来事はありますか?

永野英樹

彼の作曲のスタイルでもあるのですが、晩年はワーク・イン・プログレス**のスタイルで作曲をしていました。常に作品が進行形であり、“いまのところこの形でとどめているけれど、今後見直して気持ちが変わったら変化していくよ”というようなスタイルです。

おもしろい出来事としては、3台のピアノと3台のハープ、そして3つの鍵盤打楽器のための作品《シュル・アンシーズ》にまつわる話があります。この作品の元となったのは《アンシーズ》というピアノ・ソロの作品で、コンクールの課題曲として書かれたものです。《アンシーズ》の段階では5分くらいの曲だったのですが、数年後、《シュル・アンシーズ》になった時には30分くらいの長さの曲になりました。そしたら今度は《シュル・アンシーズ》に触発されたのか分かりませんが、《アンシーズ》の曲の長さが10分くらいに増えたんですね。そしたらまた《シュル・アンシーズ》の方もさらに変化していって…。

《アンシーズ》と《シュル・アンシーズ》に関しては、一番初めのバージョンから居合わせていたので、曲がどんどん新しく変わっていく場面に立ち会えたことは、とても貴重な経験でした。ブーレーズと共にいなければこのような経験はできなかったと思いますね。

**ワーク・イン・プログレス
進行中の作品という意味。創作の過程を公開して、聴衆の反応を参考にしながら作品を創り上げていく手法。

―――作曲家の手により曲が変化していき、そしてその過程・変化を見聴きできるという経験は、現代音楽ならではですね。

演奏家が同じ作品を10年後、20年後に演奏した際に解釈が変わるのと同じように、作曲家が作品を変えていくのは当然というようなことも、ブーレーズは言っていましたね。考え方も変わるよ、って。

―――ブーレーズの作品を本人と共に演奏することもあったと思いますが、作品や演奏方法について言葉を交わすことはありましたか?

ピエール・ブーレーズ

ソロの作品を弾くときには直接聴いてもらい、アドバイスをもらったりしましたね。ソロの作品に限らず、“動きが大切”というブーレーズ独特の音楽の考え方がありました。面白かったのは、例えば早く弾くようなテクニック的に大変なところがあったとしても、それがずっと同じリズムで続くことはないんですね。必ずどこかでそのリズムを崩すところがあるんです。大変で複雑なリズムであってもずっとそれを繰り返していると定着し安定したものになってしまうのですが、ブーレーズはそれが嫌で、常に安定したリズムを崩すような動きを入れてくるんですよね。「魚が池で泳いでいるとき、ゆっくり泳いでいると思ったら急にスッと動くことがある。そういうイメージだよ。」とブーレーズが例えたことがありました。日本的だなと感じましたが、そういう時間や呼吸の考え方、音楽のとらえ方はブーレーズ本人だから説明できることであって、ブーレーズ以外には出せないイメージなのだろうなと思います。そういった出来事は他にもいろいろありました。ブーレーズと一緒に彼の作品を演奏することで、よりブーレーズの考え方を教えてもらったように思います。

―――プライベートでの親交はありましたか?

プライベートではなかったですね。ただ、彼はこれまで何人かいた(アンサンブル・アンテルコンタンポランの)音楽監督の誰よりも、私たちメンバーのそばにいてくれる方でした。例えば同じコンサートでソロやアンサンブルなど自分が指揮をしない曲があったとしても、必ず演奏を聴いていました。また彼がパリにいるときにアンサンブル・アンテルコンタンポランのコンサートがあると、必ず聴きに来ていました。そういう部分で、常にそばにいてくれている、という感じでしたね。

―――オーケストラと指揮者という関係よりも、仲間という関係性ですね。後編では今回のコンサートのプログラムについてお話を伺います。どうぞお楽しみに!

(2025年4月大阪にて 事業企画課 山元麻美)

オルガニスト ミシェル・ブヴァール 特別インタビュー(2022.11.3オムロン パイプオルガン コンサートシリーズVol.70)

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インタビュー

京都コンサートホールの国内最大級のパイプオルガンを堪能できる人気シリーズ「オムロン パイプオルガン コンサートシリーズ」。記念すべき70回目は、フランスを代表するオルガニスト、ミシェル・ブヴァール氏を迎えます。

待望の京都初公演に向けて、メールインタビューを行いました。
今回ご披露いただくセザール・フランクを中心とした特別プログラムやオルガンとの出会いなど、色々とお話いただきました。ぜひ最後までご覧ください。

——この度はお忙しい中インタビューを引き受けてくださり、ありがとうございます。まずブヴァールさんとオルガンとの出会いについて、教えていただけますか。

ミシェル・ブヴァール氏(以下「ブヴァール氏」):私は5歳からピアノを始め、11歳のときにオルガンを弾き始めました。私の祖父ジャン・ブヴァール(1905-1996)はルイ・ヴィエルヌの弟子で、作曲家でした。私は彼からごく自然な形で、音楽やオルガンに対する情熱を学びました。父は医者だったのですが、彼もアマチュアのオルガン弾きでした。自宅にオルガンがありませんでしたので、父はピアノでバッハの「前奏曲とフーガ」を弾き、私にオルガンのペダル部分を弾くように言いました。
後に、祖父は父に、2つの鍵盤とペダルがついた、イタリア・バイカウント社製の電子オルガンをプレゼントしました。私もその楽器を使って、バッハやヴィエルヌ、そして祖父ジャンの作品を弾き始めました。そして、祖父と一緒に教会に行った時、初めて本物のパイプオルガンと出会ったのです。その出会いは雷に打たれたかのようでした。その時、とても冷たい音がする電子オルガンと自然な音がする本物のパイプオルガンの音の違いを知ることができました。
オルガンも好きでしたが、ピアノも同じくらい好きでしたので、プロのオルガニストとして活動しようと決断する前、20歳くらいまではピアノとオルガンの両方を勉強し続けました。

——そうだったのですね。ブヴァールさんにとって、オルガンに魅せられた点はどういったところでしょうか。

ブヴァール氏:パイプオルガンで最も気に入ってる点は、この楽器が持つマルチで素晴らしい能力です。バッハの作品に見られるようなポリフォニーや対位法を完璧に表現できますし、またクープランの作品が持つフランス的な詩情や音色も表現できます。さらには、交響曲のようなオーケストラの音を模倣することだってできるんです。
あとは、天才的なオルガン製作者による優れたオルガンにも魅力を感じます。たとえば、バッハの時代に活躍したドイツのジルバーマンであったり、フランクの時代に活躍したフランスのカヴァイエ=コルであったり・・・。ヴァイオリンの世界で言えばストラディヴァリウスなどが挙げられますが、オルガンも同様で、非常に名高く、魅惑的な音を持つ楽器が存在するのです。

——パリ国立高等音楽院とトゥールーズ地方国立音楽院の教授を定年退職なさったとお聞きしましたが、最近の演奏活動について教えていただけますか。

ブヴァール氏:2022年度は特別に忙しい1年です。
今年の3月以降、私はリサイタルの他に、ロッテルダム(オランダ)、ブリュッセル(ベルギー)、ハノーファー、ベルリン、ポツダム、ハンブルク(ドイツ)、トゥールーズ、ディエップ、ルション(フランス)、サンセバスチャン(スペイン)、スタヴァンゲル(ノルウェー)、チューリッヒ(スイス)などで、マスタークラス(特に今年生誕200年を迎えるセザール・フランクに関するもの)を行いました。
また、アルクマール(オランダ)やシュランベルク(ドイツ)で行われた国際コンクールの審査員も務めました。また10月にはオランダで、ハーレム・セザール・フランク・コンクールの審査も務めます。
ちなみに今回の11月の日本ツアーの後は、1130日にソウルでも演奏会をする予定です。

——本当に世界を飛び回っていらっしゃるのですね。これまでの演奏活動で印象に残っていることはありますか。

ブヴァール氏:これまで、たくさんのコンサートを行い、素晴らしい楽器にも出会いました。例えば、ドレスデンやフライブルクのジルバーマン製オルガンや、フランスの偉大なカヴァイエ=コル製オルガン、ポワチエのクリコ製オルガン、サン・マクシマンのイスナール製オルガン、ロチェスターのキャスパリーニ製オルガンなどです。そして、パリのノートルダム大聖堂やアムステルダム、ヴェニス、ロンドンのウェストミンスター寺院、リオ・デ・ジャネイロなど、素晴らしい場所でも演奏会をしました。
また2016年、ヒューストン教会で開催された、AGO(アメリカ・オルガニスト協会)の記念公演のように、特別な状況で開催されたコンサートも印象に残っています。このコンサートでは、アメリカの1,000人以上のオルガン奏者の前で演奏したのですよ。とっても緊張しました。

——さて話を今回の京都公演に移します。今回の公演では、生誕200周年を迎えるセザール・フランクの作品を中心に演奏いただきます。フランクのオルガン作品の魅力はどういったところにあると思いますでしょうか。

ブヴァール氏:セザール・フランクのオルガン作品、特に《3つのコラール》は、ベートーヴェンのピアノソナタに匹敵するほどの非常に素晴らしい形式美を備えており、音楽的な深みと内面性を持つ作品です。
この作品特有の詩情や力強さは、全ての人々に感動を与えることができると思っています。

——《3つのコラール》は〈第3番〉を本公演でも演奏くださるということで、楽しみです。今回はフランクの作品だけでなく、古今の作曲家たちの作品をプログラミングしてくださいましたが、その意図を教えていただけますか。

ブヴァール氏:今年はフランクの生誕200年ではありますが、私はフランクだけを取り上げるつもりはありませんでした。フランクの代表的な作品と共に、フランク以前・以降のフランスとドイツで作られた作品を取り上げる方が、京都のお客さまにとって興味深いのではないかと考えたのです。
実際のところフランクは、作曲家としてはドイツ風、オルガニストとしてはフランス風という2つの側面を持っていますし、フランク自身、彼の後継者たちに影響を及ぼしましたので。

——今回のコンサートで弾いていただくフランクの3作品についてご紹介いただけますか。

ブヴァール氏:フランクのオルガン作品として、彼の3つの創作期からそれぞれ1曲ずつ選曲しました。
まず1865年に創作された、有名な〈前奏曲、フーガと変奏曲〉。次に、1878年、トロカデロのコンサートホールに設置されたカヴァイエ=コルのオルガンのこけら落としのために書かれた《3つの作品》から〈英雄的作品〉を演奏します。そして最後に、彼が亡くなる数週間前、18909月に作曲された《3つのコラール》より、第3番を演奏します。

——ありがとうございます。フランク以外の作品についてもご紹介いただけますか。

ブヴァール氏:ルイ14世時代の荘重なフランス形式で書かれた、ルイ・マルシャンによる《グラン・ディアローグ》でコンサートを始めることも楽しみですし、私の師であるアンドレ・イゾワールが見事に編曲したバッハの《4台のチェンバロと管弦楽による協奏曲》を演奏することも楽しみです。また、メシアンの傑作〈神は我らのうちに〉でコンサートの幕を閉じることも幸せに感じています。
ほかにも、私の祖父ジャンの作品や彼の友人であったモーリス・デュリュフレの作品も演奏する予定です。

——私たちもとても楽しみにしております。それでは最後に、お客さまへのメッセージをお願いいたします。

ブヴァール氏:京都コンサートホールの大ホールでリサイタルをさせていただけることを幸せに思います。京都は私の妻である康子が生まれ育った、特別な街であり、40年以上前に初めて京都を訪れて以来、日本の家族に会うために定期的に訪れていますから。
また今回、セザール・フランクに関する、特別なプログラムを準備しました。京都の音楽愛好家の皆様にはぜひともご来場いただき、一緒に音楽を共有したいです。
私は日本を心から愛しています。皆様のために演奏できることは私の大きな誇りであり、大きな喜びです。

——ありがとうございました。11月に京都でお待ちしております。

(2022年8月 事業企画課メール・インタビュー)


★公演詳細《オムロン パイプオルガン コンサートシリーズVol.70「世界のオルガニスト“ミシェル・ブヴァール”」》(11月3日)はこちら

★「オルガニストが語るミシェル・ブヴァールの魅力——川越聡子さん インタビュー」はこちら

★ブヴァール氏の演奏&メッセージ動画

★京都コンサートホールのパイプオルガンについてはこちら

横島礼理さん(ヴィオラ)&上村文乃さん(チェロ)インタビュー(2022.10.22神に愛された作曲家 セザール・フランク)

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アンサンブルホールムラタ
今年生誕200周年を迎える、ベルギー出身の音楽家セザール・フランク (1822-1890)。京都コンサートホールでは、特別公演「神に愛された作曲家 セザール・フランク」を開催し、フランクが遺した傑作をお届けいたします。
プログラム後半に予定している《ピアノ五重奏曲》では、フランス出身の世界的ピアニスト、エリック・ル・サージュと、国内外の第一線で活躍する日本の若手奏者たちが共演します。
今回、ヴィオラを演奏する横島礼理(よこしま・まさみち)さんとチェロ奏者の上村文乃(かみむら・あやの)さんにお話を伺うことができました。
フランクや《ピアノ五重奏曲》の魅力、そして今回の共演者についてなど、色々とお話いただきました。ぜひ最後までご覧ください。

◆お二人について

――今日はインタビューの機会をありがとうございます。お二人はご面識があると伺いましたが、出身高校が一緒なのですか?

横島礼理さん(以下敬称略)はい、同じ桐朋高等学校でした。

――高校時代から一緒に演奏をされていたのですか?

上村文乃さん(以下敬称略):元々私が同じ学年のメンバーで組んだカルテット(弦楽四重奏)で、メンバーの小林美樹さん(ヴァイオリン)が留学する際、代わりを横島くんにお願いしたのが最初の共演でした。高校卒業後は一緒に弾く機会がなかなかなかったのですが、今年の5月にびわ湖ホールで行われた大阪フィルハーモニー交響楽団さんの演奏会にソリストとして出演した時に、客演で横島くんがいて、それが学生時代以来の共演でした。

――旧知の仲でいらっしゃるのですね!お二人は京都で演奏されたことはありますか?

上村:昨年5月に京都市交響楽団の「第656回定期演奏会」(2021年5月11日開催)にソリストとして出演した時に、京都コンサートホールへ初めて行きました。緊急事態宣言中でしたが、無観客ライブ配信での開催を決めてくださり、大変嬉しかったです。だた、京都のお客様にお会いできなかったのが心残りですね。

また、留学期間中に「ローム ミュージック ファンデーション」からの奨学金を受けていたので、その報告会のため京都に行くことはあったのですが、演奏会では訪れる機会がなかなかなかったんです。お客様と交流するのが一番の喜びなので、今回の公演で京都へ伺えるのを心待ちにしています。

横島:関西には、所属しているNHK交響楽団の演奏会や大阪フィルハーモニー交響楽団への客演で度々行くことがありますが、京都には今年8月にNHK交響楽団の演奏会(ロームシアター京都)で初めて伺います(※取材時は6月)。先日観光で京都を訪れ、金閣寺や清水寺に行ったり、鴨川沿いを散策したりもしましたよ。

――そうなんですね。現在、横島さんの活動のメインはヴァイオリンかと思いますが、10月の演奏会ではヴィオラを弾いていただきます。ヴィオラもよく演奏されますか?

横島:学生時代はよく弾いていましたが、卒業後は演奏機会が少なく、今回久しぶりにヴィオラを弾けるのがすごく楽しみです。

――お客様も「ヴィオラの横島さん」が聞けるのを楽しみにされていると思います。横島さんが思うヴィオラの魅力ってどのようなところにあると思いますか。

横島:和声の移り変わりを一番味わえるところではないかなと思います。ちなみにモーツァルトは、自身が作曲した弦楽四重奏曲を自ら初演する際、ヴィオラは内声であり、和声の移り変わりを一番味わえるという理由から、必ずヴィオラ・パートを選択して演奏していたそうです。

――上村さんはバロックチェロとモダンチェロの両方で演奏活動なさっていると思いますが、どのように弾き分けていらっしゃいますか?

上村:チェロの役割が時代によって変わるので、曲に合わせて弾き分けています。ロマン派初期までは「通奏低音」としての役割が主ですが、それ以降は一つのパートとして見なされることが多いです。

――そうなのですね。ちなみにバッハの「無伴奏チェロ組曲」は、モダンチェロでもよく弾かれると思いますが、上村さんはどちらの楽器で弾かれますか?

上村:どちらのチェロでも弾きたいと思っています。バロックチェロで弾くときは、弾き方やメソッドをバッハがいた時代のバックグラウンドにできるだけ合わせています。一方、モダンチェロには、大きなホールで弾いても隅々まで音が届いて、スピーチをするような力強さがあります。曲が偉大だからこそ、そういったモダンチェロの良さも発揮できると思います。同じ曲を弾いても、扱う楽器によって解釈が全く異なるので、アプローチ方法を切り替えるのが大変です。

 

◆今回の弦楽器メンバーについて

――次は今回の共演メンバーについてお伺いします。今回、第一ヴァイオリンを弓さんが担当されますが、お二人は弓さんといつからの付き合いですか?

横島:弓くんとは高校の同級生で、それ以前には、6~7歳の頃に埼玉で同じ先生に習っていたことがあります。学生時代にはカルテットで一緒に演奏をしていて、そのとき私はヴィオラを弾いていました。

同じ先生に習っていた幼少期のお写真(一番左が横島さん、右から2番目が弓さん)

上村:弓くんは高校の一年後輩で、お互いソリストとして同じ演奏会に出演したことはありますが、共演は今回が初めてとなります。
高校生の時から素晴らしいソリストであることはもちろん、眼光が鋭いイメージで私にとっては近寄り難い存在でした。いま考えると、10代の頃から自分に厳しく、ストイックに生きていたのかなと改めて尊敬します。

神奈川フィルハーモニー管弦楽団「熱狂のチャイコフスキー3大協奏曲」(2018年6月30日)にて、上村さん(一番左)と弓さん(真ん中)

――藤江さんと共演されたことはありますか?

上村:藤江さんとは同い年で、学生時代に関わりはなかったのですが、「宮崎国際音楽祭」に出演した時、オーケストラの中で一緒に演奏したことがあります。その時に横島くんも一緒でしたね。

横島:はい、これまでそれぞれに面識はあったのですが、今回の4人で室内楽をやるのは初めてなので、とても楽しみです!

◆フランクという作曲家、今回演奏するピアノ五重奏曲について

――さて、今回の演奏会では、今年生誕200周年を迎えるセザール・フランクを取り上げます。お二人はフランクについて、どのようなイメージをお持ちですか?

横島:フランクはたくさんの有名な弟子を輩出していて、独自のスタイルを作り上げたフランスの作曲家というイメージがあります。初めてNHK交響楽団にエキストラで出演した際、演奏した曲がフランクの《交響曲 ニ短調》だったので、思い出に残っています。

――そうなのですね!今回の《ピアノ五重奏曲》は演奏されたことはありますか?

横島:いえ、今回初めて演奏します。《ピアノ五重奏曲》は冒頭が強烈で印象強く、とても好きな曲なので楽しみにしています。

――こちらこそ楽しみにしております!上村さんはいかがでしょうか。

上村:幼い頃は、フランクといえば「フランス音楽」で、オルガンも演奏することから宗教音楽に詳しい作曲家だと認識していました。ですが、初めて師事した先生の演奏会で《ピアノ五重奏曲》を聞いたときに、宗教的というより、訴えかけるようなフランクの内面が出ていると感じて、表面的に知っていたフランクとギャップがあるなと思いました。

――たしかに実際に聞いてみるとイメージが変わることがありますよね。

上村:今回の公演で初めて《ピアノ五重奏曲》を弾くにあたって、改めてフランクの生い立ちを調べてみました。出身はベルギーで、両親はドイツ系出身。本人はフランスで長らく暮らしていたけれど、当時の時代背景もあって、外国人としての壁を感じていたのではないかなと思いました。
宗教音楽については、オルガンの仕事を始めてから作曲するようになったもので、宗教的な要素を音楽でうまく表現できない葛藤があったみたいです。フランクは、それをなんと弟子に相談していたそうです。若い彼らと一緒にアイデアを練っていたと知って、フランクに人間的な温かみを覚え、「彼の曲から感じたものはこれなんだ」と思いました。

フランクを知れば知るほど演奏するのが楽しみになりました。

――そんなエピソードがあるのですね。生誕200周年を機に、そして今回のコンサートを通して、皆さまにフランクのことをもっと知っていただきたいですよね。それでは最後に、お客さまへのメッセージをお願いできますでしょうか。

上村:弦楽器には昔からつながりのあるメンバーが集まりました。また偶然にも、ル・サージュさんと同じフランスで活動している藤江さん、フランクが生まれ育ったドイツ語圏で活動中の弓くんと、メンバーのキャラクターが今回の公演に合っています。お互いの良さがぶつかり合うことによって生まれるものを、お客様に聞いていただきたいです。

横島:素晴らしいメンバーたちと共演できるのがとても楽しみです。フランクの《ヴァイオリン・ソナタ》・ピアノ曲・《ピアノ五重奏曲》を一挙に堪能できる、ほかでは聞けないプログラムをぜひお聴きください。

――いろんなお話を聴かせてくださり、ありがとうございました。10月に京都でまたお会いできることを心待ちにしております!

(2022年6月都内某所 事業企画課インタビュー)


★「神に愛された作曲家 セザール・フランク——フランク生誕200周年記念公演——」の公演情報はこちら

★ピアニスト エリック・ル・サージュ氏 特別インタビューはこちら

伊東信宏さん・三ッ石潤司さん・三輪郁さん オンライン・インタビュー(2021.10.02ラヴェルが幻視したワルツ)

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アンサンブルホールムラタ

10月2日(土)15時開催「ラヴェルが幻視したワルツ」(京都コンサートホール アンサンブルホールムラタ)。出演者の伊東信宏さん(監修・レクチャー)、三ッ石潤司さん(ピアノ・作曲)、三輪郁さん(ピアノ)にオンライン・インタビューを実施しました。

お三方共に旧知の仲でいらっしゃるということで、非常に濃い内容のお話を伺うことができました。ぜひ最後までご覧ください。

――今日はお忙しい中、お集まりいただきありがとうございます。まずは監修してくださった伊東さん、本公演のコンセプトについて教えていただけますでしょうか。

伊東信宏(監修・レクチャー)

伊東信宏さん(以下敬称略):コンセプトの中心にあるのは、ラヴェルの《ラ・ヴァルス》という曲です。
    コロナ禍が始まった頃、フランソワ=グザヴィエ・ロトが指揮する《ラ・ヴァルス》の映像がYouTubeにアップされたのですが、それを観てピンとくるものがありました。
    ラヴェルが《ラ・ヴァルス》を作曲したのはスペイン風邪のパンデミック下、今からちょうど100年前のことです。コロナ禍の今こそ、この作品を演奏すべきなのではないか、と思うようになりました。
    ラヴェルという人は、非常にシャイな人で、本音を言いたいときでも誰かのふりをしてしか言えないタイプ。《ラ・ヴァルス》も“ウィンナ・ワルツのふりをして”、自分の表現したいことを表現している曲なのだろうと昔から思っていました。
    《ラ・ヴァルス》の中には、ウィンナ・ワルツの断片みたいなものがたくさん出てきますが、それらはくっきりとは見えてこず、全部に紗がかかったかのように聞こえます。
    そういった「ウィンナ・ワルツの断片」を寄せ集めて、「紗幕の向こうにあるワルツ」を再構成してみたくなりました。つまり、《ラ・ヴァルス》から「本物のウィンナ・ワルツ」を仕立てるというような事をしたら面白いんじゃないかなと思ったのです。
    どなたにお願いしようかと考えた時、すぐに三ッ石さんのお顔が思い浮かびました。三ッ石さんはウィーンに長年住まれておりましたし、「ウィーンのインサイダー」とも言える人です。三ッ石さん自身がちょっとラヴェルに似たシャイなところがあって、でもこういう形の曲なら乗ってくださると思ってお願いしてみたら、快諾してくださいました。

三ッ石潤司さん(以下敬称略):即答しましたよ、やります!と。

伊東:快諾してくださって、とても嬉しかったです。三ッ石さんはピアノの名手でもありますので、新作委嘱と一緒に《ラ・ヴァルス》の演奏もお願いしました。この作品はピアノ・デュオですから、ピアニストが2名必要です。そうなると、やはりウィーンに長年住まれている三輪郁さんにお願いするしかないなと思い、打診しました。三輪さんにもご快諾いただき、よかったです。

三ッ石:三輪さんには僕の弾けないところを全部カバーしてもらおうと思っています(笑)

三輪郁さん(以下敬称略):いやいや、それはこちらのセリフです(笑)

伊東:こうなったらせっかくなので、音楽会として単純にウィンナ・ワルツを楽しんでもらうような面も必要だと思い、シェーンベルクとウェーベルンが室内楽版に編曲した、ヨハン・シュトラウスII世のウィンナ・ワルツなどもプログラミングしました。

――三ッ石さんの委嘱作品《Reigen(輪舞)―― La Valse の原像》について教えてくださいますか。

三ッ石潤司(ピアノ・作曲)

三ッ石:僕はもともとパロディという精神がすごく好きなんです。
    そもそも作曲っていうのは、最初は模倣から入るものだと思います。ですので、「様式を理解する」ということと、「それを模倣して曲を書く」ということは、作曲家としても演奏家としてもすごく重要なことなのではないかと考えています。
    作曲家としてパロディを書くということは、とても面白いことです。「どーだ!良く似ているだろう」ってドヤ顔もできるしね(笑)。
    だから今回、伊東さんから委嘱作品のお話をいただいた時、「面白そうだな」と思いました。もちろん、「いいものができるかな」と不安にはなりましたが。

――ラヴェルの《ラ・ヴァルス》でも、三ッ石さんの《Reigen(輪舞)――La Valseの原像》でも要になる「ウィンナ・ワルツ」について教えてくださいますか。

三輪:ウィンナ・ワルツの最大の特徴は、「ウン・チャッ・チャ」というように3拍が均等に演奏されず、「ウ・チャッッ・チャ」というように2拍目が通常より早いタイミングで入るんですよね。
    1980年代の終わり頃にウィーンで勉強していたのですが、実際に現地の舞踏会に呼ばれたことがありました。綺麗なドレスを着て壁の花になっていたら、地元の知らない青年がやってきて、私の手を取って一緒に踊ってくれました。周りの人たちの動きを真似ながらステップを踏んでいると、2拍目の間にドレスがひるがえることが分かったり、あるいは、それまで右回りで踊っていたのに左回りに変わった瞬間に「間」が誕生することが分かったり、だんだん回転のスピードが増していく等といったことを体感できました。ウィンナ・ワルツ特有のリズムは、舞踏会の場で必然的にそうなったのだということが分かりました。
    あともう一つ、ウィンナ・ワルツの拍節感に関する体験談があります。
    私たちにとっては少し早いタイミングに感じられる2拍目ですが、ウィーンの音楽家たちは「普通に弾いている」らしいのです。彼らと共演する時、2拍目のダウンボウ(上から下に弓を下ろす)や3拍目のアップボウ(下から上に弓を上げる)で自然と勢いが出たり、弓の動きが突き上げられたりするのですが、そこにワルツの回転が加わり、ウィンナ・ワルツ独特のテンポ感や抑揚が生まれていました。その自然な動きの中からウィンナ・ワルツの拍節感が生まれていたのです。

三ッ石:三輪さんはすごく丁寧にウィーン人の3拍子の説明をしてくれましたが、実はウィーンの人たちはそう言いながらも違うことを考えているのではないかなと思ったりもします。確かに理論的にはそうなのですが、彼らはおそらく理論では生きていない(笑)。そこがまたウィーンの面白さじゃないかなと思います。

――それでは続いて、コンサートのメインである《ラ・ヴァルス》についてお伺いします。今回はピアノ2台版で演奏していただきますが、ピアニストからみた《ラ・ヴァルス》とはどんな曲ですか?

三輪郁(ピアノ)

三輪:《ラ・ヴァルス》は、私にとってずっと憧れの曲でした。
だけど、絶対弾けないと思っていて、これまでずっと遠ざけていた曲なんですよね。
    忘れもしないのですが、三ッ石さんにピアノを始めて聴いてもらった時に「音色的にラヴェル。ドビュッシーっていうかラヴェルかもね。」と言われた事がありました。

三ッ石:え、そうなの。

三輪:その当時、自分にはどちらかというとドビュッシーの方が合っていると思っていました。でも、三ッ石さんからそう言われたので、ラヴェルを何曲か弾いてみました。ラヴェルの世界って、スペイン的な要素がありますよね。モヤッとした響きの中にきらきら感を感じたり、陰影みたいなものを感じたり。そういったものをお洒落に表現できるといいのかな、とは考えていました。私の父はトロンボーン奏者なのですが、オーケストラで奏でられるラヴェルの音楽を聴いたら、もう圧倒されちゃって。それをコンパクトにまとめたピアノの世界で、それも一人で全部やるなんて、そりゃ無理よって思っていましたが、「オーケストラみたいな音で、ラヴェルのピアノ作品を弾けたらいいな」とはずっと思っていました。
    だから今回、この演奏会のお話をいただいた時は、ものすごく嬉しくって。すごくワクワクしています。しかも、今回パートナーとして、三ッ石さんと一緒にできるっていうのは、もうめちゃめちゃ楽しみです。

三ッ石:僕がまだ大学生の頃、アルゲリッチが弾く《夜のガスパール》の録音を聴いた時に、「こんな事がピアノでできるんだ」と驚きました。あまりに驚いたので、実際に楽譜を買ってみて弾いてみたのですが、「なるほどこんなふうになっているのか」という箇所がたくさんありました。おそらくアルゲリッチは、ただシンプルに演奏しているのではなかったのだと思います。一種の「手品」ですよね。手品として成立するくらいの腕前が、ラヴェルのピアノ作品には必要なんです。
    ラヴェルのピアノ音楽は弾きやすくはないのですが、弾けるようには書いてある。そこがラヴェルのずるいところです。「これ弾けないとだめでしょ?」という、ギリギリのラインで書かれているので、僕らはそれに翻弄されるというか……。どうしても完璧に弾かないとまずいな、という気分にさせられますね。

――それでは最後に、公演にお越しくださるお客様へメッセージをお願いします。

伊東:まずウィンナ・ワルツの楽しさ、そしてラヴェルの魅力が伝わればと思います。それをお客様が色々な角度で楽しんでいただけると嬉しいです。色んな楽しみ方をしていただければ、と思います。

三ッ石:今回、プログラミングされている作品すべて、サービス精神旺盛な曲ばかりです。難しいことですが、表面的には楽しい曲ではあるけれど、その裏にどこか一抹の腐敗みたいなものを見せることができればいいなと思います。

三輪:変幻自在に変わっていく響きの面白さ、あとは色合いを楽しんでいただきたいです。ウィーンの自由さの中には、たくさんの色合いが存在します。例えばウィーンのオペラ座では、歌い手によって伴奏の仕方を変えています。そういうことを毎日やっているような人たちがいる国なので、その日・その時・どう弾きたいか、舞台上でいきなり変わるかもしれません。ウィーンにはそういった面白さがあります。
    今回のコンサートでは、そういった面白いことを仕掛けられる作品がたくさんプログラミングされています。舞台の演奏者が楽しんでいる空気感がお客様に波及するくらい、楽しいステージになるといいなと思います。

伊東:京都のお客様ですから、きっとそういう演奏を楽しんでくださる方も多いんじゃないかなと思います。

――興味深いお話をたくさんお聞かせいただき、本当にありがとうございました。
我々もコンサート当日を楽しみにしております。