
第29回 京都の秋 音楽祭の最後を華やかに締めくくる、日本のトップ・プレイヤーたちによる夢の競演「ブラス・スターズ in KYOTO」(11月30日)。
本公演の出演者であるトランペット奏者の菊本和昭さんに、出演メンバーやプログラムのことなど、様々なお話を伺いました。
―――菊本さんは兵庫県のご出身ですが、洛南高等学校や京都市立芸術大学で学ばれた経験を通して、「京都」というまちはどのような場所ですか?
京都には、高校1年生から30歳までいました。
僕にとっての「京都」とは、トランペット奏者として育ててくれた大事なまちです。京都は、京都市立京都堀川音楽高等学校や京都市立芸術大学、京都市交響楽団があるように、クラシック音楽を学んだり触れたりすることができる豊かな土壌が整っています。そして僕が高校2年生のときに完成し、大学在学中に初めてのオーケストラの本番を迎えたのが、ここ京都コンサートホールでした。今でも京都コンサートホールを訪れると「おかえりなさい」と声をかけてくださるスタッフの方がいらっしゃるので、実家のような温かさを感じています。
―――京都というまちは菊本さんにとって、たくさんの思い出がつまった特別な場所なのですね。
さて、今回の演奏会でプロデュースおよび作編曲を担当いただく酒井格(さかい・いたる)さんについてお伺いします。酒井さんの楽曲は明るく軽快な作品が多いように思うのですが、酒井さんの作品にどのようなイメージをお持ちですか。
優れた作曲家って聴いた瞬間に、誰の曲かわかりますよね。格さんの曲も和音の使い方が特徴的で、聴くとすぐに彼の作品だとわかります。演奏するのは決して簡単ではないけれど、「良い演奏をしたい」「頑張ろう」と思えます。格さんの作品には明るさだけでなく、内に秘めたものがある気がするんですよね。
――菊本さんと酒井さんの出会いはいつ頃ですか。
格さんとの出会いは大学生の時です。「あ、“たなばた”の人や!」って興奮したことを覚えています。それ以降、格さんの曲はたくさん演奏しています!でも実は「たなばた」は未だに演奏したことがないんですよね(笑)。
――酒井さんのお人柄について教えてください。
とにかくユーモアに溢れている方です!とある先生の退官パーティーで演奏するための曲を作曲してくださったのですが、作品のタイトルは「明日(あす)の歌」。なんとAs(アス)-dur(変イ長調)の曲だったんです(笑)。面白いでしょ!
―――そんな、ユーモアあふれる酒井さんが、演奏会のために書き下ろしてくださる新曲『800秒間世界一周』について、酒井さんが「各楽器でさまざまな国を表現してみたい」とお話しされていましたが、菊本さんご自身は訪れてみたい国はありますか?
スペイン、ポルトガルに行ってみたいですね!ラテン系の気質に触れてみたいです。あと、アイスランドかなぁ~。
――これまで訪れて良かったと思う国があればぜひ教えてください。
訪れて良かった国はフィンランドですかね。夏に訪れたのですが、とんでもなく涼しい。デンマークの街並みもとても綺麗でした。美しい街並みや教会など、建築物に惹かれます。
―――楽曲の中にどの国が登場してくるのか楽しみですね!
さて、今回ご出演くださるメンバーでの演奏会は初めてとお伺いしました。
そうなんです。僕にとっても未知の世界ですが、このメンバーで演奏すると「金管アンサンブルってこんな音がするんだ!」とびっくりするかもしれませんね。一人ひとりの音が豊かに響き、まるでオーケストラを聴いているのではないかと思うような、迫力ある演奏を楽しんでもらえるのではないかと思います。また、今回はバーンスタインによる金管楽器のための室内楽を4曲演奏するのですが、金管五重奏による《ダンス組曲》のほかに、トランペット、トロンボーン、チューバの各ソロによる作品も演奏します。バーンスタインの室内楽をほぼ全曲聴くことができる機会はなかなかありませんので、そういった意味でも貴重な機会になりそうです。
―――豪華なメンバーでの演奏、どんな音がするのか今からとても楽しみです!ところで、出演メンバーのご紹介をしていただけますか。
ホルンの水無瀬一成さんは京都市立芸術大学で同期でした。1つ上の学年にテューバの次田心平さん、2つ上の学年にトロンボーンの風早宏隆さんがいました。大学は違いますが、トランペットの稲垣路子さんは僕と同い歳です!京都出身というくくりで見てみると、水無瀬さんや次田さんのほかに、トランペットの上田じんさん、ベーストロンボーンの小西元司さんがいます。京都市交響楽団のくくりでは、稲垣さん、水無瀬さん、小西さん、そして打楽器の中山航介さんがいます。ちなみに僕とトロンボーンの岡本哲さんは「元」京響組です。こうやって見てみると、みんな何かしら京都に縁があるのですよね。あっ、ピアノの新居さんは京都出身ではないのですが、実家が京都のお隣の奈良県で、お名前が由佳梨(ゆかり)ということで・・・京都にゆかりある奏者です(笑)。
―――うまい!オチまでつけてくださるとは、さすが関西人でいらっしゃいますね!それでは最後に、ファンの方々に向けてメッセージをお願いいたします!
2025年、ラヴェルは生誕150周年、グレグソンは生誕80周年、そして我らが格さんは生誕55周年です(笑)。そして京都コンサートホールは30周年!そんなスペシャルアニバーサリーコンサートを開催しますので、沢山のお客さんに足を運んでいただけるようがんばります。京響ファンのみなさん!いつもとは違うメンバーの姿が見られますよ!ぜひ、お越しください。
―――ありがとうございました!公演当日、今までにないブラスサウンドを京都コンサートホールで聴けることを楽しみにしています!
(2025年8月 京都市内にて
>インタビュアー:京都コンサートホール事業企画課 髙梨菜美)
11月30日(日)開催、KCH的クラシック音楽のススメVol.6「ブラス・スターズ in KYOTO」の詳細についてはこちら🎺!

京都コンサートホールが誇る国内最大級のパイプオルガンをお楽しみいただける人気シリーズ「オムロン パイプオルガン コンサートシリーズ」。11月1日に開催するVol.76にご出演いただく松居直美さんのインタビュー後編をお届けします。
J.S.バッハも初期から後期と作風は変化していて、若い時の作品は確かに若さを感じはしますが、作曲技法的に巧いなと思います。あまりに巧みであるし、あれだけのオルガン作品があっても曲の終わり方が全く同じ曲はないのです。たくさんの引き出しを持った人といいますか、バッハに至るまでの数々の音楽が吸収されていて、それがバッハの中で統合されて曲となって出てきていると思うのですが、1曲ずつの曲のキャラクターの違いの面白さもありますし、バッハ以上にどの作品を弾いても興味が持て、その興味が尽きることがない作曲家はいないように感じます。しばらく時間をおいて改めて演奏してみるとまた違った発見がいつもある作曲家は、バッハの他にはあまりいないような気がします。ですので、バッハの作品を理解したと思っているわけではありませんし、近づくほどに峰が高く見えるような、そんな存在です。
オルガニストになるというビジョンは全くなかったですね。実は一度、オルガンを辞めようと思ったことがありました。大学院を卒業してから1年くらいの時期です。オルガン科を卒業しても “何かになれる” というモデルがあったわけではありませんし、可能性も考えられませんでした。私が学生の頃はオルガンのあるコンサートホールはなかったので、ホールオルガニストという職もありませんでした。しかし、その頃たまたま誘われて行った国際基督教大学でのコンサートを聴いて、 “もう一度オルガンを演奏したい” と思ったのです。そのコンサートで演奏していたのは、東ドイツのトーマス教会のオルガニストだったハンネス・ケストナーでした。
20世紀を代表するフランスの偉大な音楽家 ピエール・ブーレーズの真髄に迫る、京都コンサートホールのオリジナル企画「ブーレーズへのオマージュ」。コンサートの翌日11月9日(日)には、ブーレーズの作品や思想への理解をさらに深めていただくため、京都市立芸術大学 堀場信吉記念ホールにてスペシャルイベント「ピアニスト永野英樹による公開マスタークラス」を開催します。
ブーレーズに初めて会ったのはIRCAMでした。確か2009年です。私は2007年から2009年まで研究員として2年間、IRCAMに滞在していました。当時、修了作品を制作するため施設によく寝泊まりしていたのです。確か夜の22時頃だったと思うのですが、カフェで休憩しようと飲み物を取りにエレベーターを降りたら、ブーレーズが目の前にいたのです。僕は『え?』となりましたし、ブーレーズも『え?』となっていましたね(笑)。不思議な出会い方でした。その後、私の修了作品がポンピドゥー・センターでアンサンブル・アンテルコンタンポランの演奏により初演されることになったのですが、その時にもブーレーズは聴きに来ていました。作品を聴いていただいた後に直接お話ししたのですが、ものすごく緊張していて何をしゃべったかは覚えていません。でも『よかったよ』とは言ってもらえましたね。当時、ブーレーズはかなり高齢でしたので、一緒に活動をすることはなかったのですが、ブーレーズの存在感、そしてオーラのようなものを強く感じました。
パリに住んでいるときにブーレーズが指揮する姿を見たことがあります。作曲家としてのブーレーズと直接的な繋がりがあるかはわかりませんが、ブーレーズのリハーサルは極めて合理的なのですよね。楽譜を通してブーレーズの人柄を知ることは難しいと思うのですが、指揮者としてのブーレーズはきわめて厳格な音楽づくりをしていました。ただそれと同時に、ユーモアを忘れないという一面もあって、そういった場面に出会ったときに、『ああ、やっぱりブーレーズも人間なんだな』って思いました。僕が楽譜を通して知るブーレーズ以上に、指揮者ブーレーズは人間的だなと思います。楽譜からも論理だけでは片づけられない作曲家の顔みたいなものは見えるのですが、実際に指揮をしている姿を見ると結構インパクトがありました。