オルガニスト 松居直美 インタビュー<後編>(2025.11.1 オムロン パイプオルガン コンサートシリーズVol.76「松居直美 presents “J.S.バッハに至る道”」)

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インタビュー

京都コンサートホールが誇る国内最大級のパイプオルガンをお楽しみいただける人気シリーズ「オムロン パイプオルガン コンサートシリーズ」。11月1日に開催するVol.76にご出演いただく松居直美さんのインタビュー後編をお届けします。

前編はこちら

――前編では、オルガンとの出会いや留学時代のお話をお伺いしました。留学から戻ってきてオルガニストとしての道を歩まれ始めましたが、当時の日本では松居さんがオルガニストの先駆け的な存在だったのでしょうか?

先に述べたように、私が留学から帰ってくるまでは、ホールにあるような大きなオルガンはNHKホールにしかありませんでした。もちろん私よりももっと前にオルガンを勉強している先輩はたくさんいらっしゃいますが、活動の場がなく、ホールにオルガンもありませんでしたので、自分が卒業した学校の先生になったり、教会でオルガンを弾いたり、あるいは留学先で教会音楽家の資格をとってそのまま海外で活動をしたりしていましたね。残念ながら当時の日本は、オルガンやオルガニストが広く知られる環境ではありませんでした。

――当時に比べ、今は全国のいくつものホールに大きなオルガンがあり、オルガンのコンサートが各地で開催されていますね。楽器としてのオルガン認知度・人気も築いていると思います。

それは各ホールの努力の賜物だと思います。ただオルガンのコンサートをするだけでなく、オルガンの仕組みをお話ししながらのレクチャー・コンサートであったり、オルガンスクールのような啓発的な意義のある取り組みもされていますよね。今、30代で頭角を現しているオルガニストというのは、コンサートホールでオルガンコンサートを聴いてオルガンを始めた方、そしてホールが行っているオルガンスクールの出身者が多いのです。その背景には、ホールの皆さんの努力があります。

――今やオルガン、そしてオルガニストは日本のクラシック音楽界にはなくてはならない存在です。これからのオルガン界に思い描く未来を教えてください。

もう少しオルガンで仕事ができるようになればいいと思いますね。私たちやその下の世代もそうなのですが、今の時代に音楽大学でオルガンを勉強したら “こんなことができる” “こんな人になれる” といった確たるものを示しきれていないように感じています。ホールオルガニストがいるホールはまだ片手くらいしかありませんし、 “オルガンを勉強したってどうにもならない” と思っている若い人は結構いるのです。ですので、オルガニストが生きていける道・活動できる場所というものがもう少しないのだろうかとは思ってはいます。何がきっかけになるかわかりませんので、身近なことでできることをやっていくしかないと思うのですが、どうしたらよいのか、まだ私には見えていません。

また、いま日本には1,000台以上のオルガンがありますが、これを維持管理していく人、そして弾いていく人が減ってしまうことも悩ましいことです。維持管理する職人も第一世代が高齢化していますので、次の世代が引き継いでくれたらと願います。

――松居さんのオルガンへの想いをお聞かせいただきありがとうございます。京都コンサートホールにもとても立派なオルガンがありますので、大切にしていきたいと思います。ところで、松居さんは京都コンサートホールのオルガンに対して、どのような印象をお持ちでしょうか?

京都コンサートホールのパイプオルガン

過去に2回ほど演奏したことがありますが、まず最初に見たときは、 “面白いな” と思いました。左右非対称に作ってありますので、見た目だけでなく、音の聴こえ方も面白くなるのです。左右対称のオルガンはどのように音が聴こえてくるのか大体決まっていますが、非対称の場合は変わってきます。また、ドイツ系とフランス系の音色が同居していますので、音の組み合わせの種類がとても多くなります。ドイツ系とフランス系それぞれの音色を使ってもよいですし、両方の音を混ぜて使うこともできます。

――今回のコンサートのタイトルは「J.S.バッハに至る道」です。スウェーリンクから始まり、北ドイツ・オルガン楽派のオルガニストたち、そしてJ.S.バッハと、バロック時代のオルガニストの系譜をたどるようなプログラムです。このプログラムの意図、そして聴きどころを教えてください。

北ドイツ・オルガン楽派からJ.S.バッハまでの時代は名曲が多く、繰り返し何度も弾いてみたいと思わせられます。スウェーリンクの《半音階的ファンタジア》は彼の代表作といえるような作品です。続くシャイデマンはスウェーリンクの弟子です。今回演奏する《アレルヤ、我らの神をほめたたえよ~H.L.ハスラーのモテットによる~》は、多声のための古い合唱曲であるモテットを鍵盤用に移したものですが、単に鍵盤用に書き移しただけでなく、いろいろな変化をつけた曲で、そこが面白いと思っています。ヴェックマンはハンブルクのヤコブ教会のオルガニストでした。ヤコブ教会のオルガンはとても巨大なのですが、《第1旋法によるプレアムブルム》はその巨大な楽器からこんな曲が生まれたのだと思わされる、私の好きな作品です。ブクステフーデは、言わずと知れた名曲ばかりですね。そして後半にはJ.S.バッハの作品を並べました。

今回のプログラムはJ.S.バッハに至るまでの作曲家を並べてはいますが、 “こことここが似ているね” など難しく捉えていただかなくてよいと思っています。それぞれが個性的で美しい曲ですので、1曲1曲楽しんで聴いていただければよいと思います。

――プログラムの後半には、偉大なるJ.S.バッハの作品が並びました。バッハの偉大さ・素晴らしさはどのようなところに感じますか。

J.S.バッハも初期から後期と作風は変化していて、若い時の作品は確かに若さを感じはしますが、作曲技法的に巧いなと思います。あまりに巧みであるし、あれだけのオルガン作品があっても曲の終わり方が全く同じ曲はないのです。たくさんの引き出しを持った人といいますか、バッハに至るまでの数々の音楽が吸収されていて、それがバッハの中で統合されて曲となって出てきていると思うのですが、1曲ずつの曲のキャラクターの違いの面白さもありますし、バッハ以上にどの作品を弾いても興味が持て、その興味が尽きることがない作曲家はいないように感じます。しばらく時間をおいて改めて演奏してみるとまた違った発見がいつもある作曲家は、バッハの他にはあまりいないような気がします。ですので、バッハの作品を理解したと思っているわけではありませんし、近づくほどに峰が高く見えるような、そんな存在です。

――やはり、オルガニストにとってバッハは特別なのでしょうか?

特別ですね。簡単な曲は習い始めて割と早くに弾かせてもらいますが、それでも改めて弾くとなると全く違う曲のような気持ちで取り組まないといけないような、終わりがないような感じです。オルガンだから感じられること・得られることがバッハの作品の場合はたくさんあると思います。バッハの作品を演奏するときは、オルガニストでよかったなと思う瞬間です。

――最後にお客さまへメッセージをお願いいたします!

今回のプログラムは、最初は割と素朴な感じのような、いま私たちが慣れ親しんでいる近代和声とは違う世界の作品から入っていきますが、どの作品も美しい曲ですので、あまり難しく考えずに楽しんで聴いていただけたら嬉しく思います。

――ありがとうございました!11月1日、京都コンサートホールのオルガンで松居さんの演奏をお聴きできることを楽しみにしています。

(2025年7月 東京にて 京都コンサートホール事業企画課インタビュー)

♪11月1日(土)開催「オムロン パイプオルガン コンサートシリーズVol.76 松居直美 presents “J.S.バッハに至る道”」の詳細はこちら!

オルガニスト 松居直美 インタビュー<前編>(2025.11.1 オムロン パイプオルガン コンサートシリーズVol.76「松居直美 presents “J.S.バッハに至る道”」)

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インタビュー

京都コンサートホールが誇る国内最大級のパイプオルガンをお楽しみいただける人気シリーズ「オムロン パイプオルガン コンサートシリーズ」。11月1日に開催するVol.76にご出演いただくのは、本シリーズ初登場となる日本オルガン界の第一人者 松居直美さんです。

7月中旬、教会での演奏を終えた松居さんにお話を伺いました。

 

――素敵な演奏をお聴かせいただきありがとうございました!11月のコンサートがますます楽しみになりました。今日は松居さんとオルガンのお話をたくさん聞かせてください。早速ですが、松居さんとオルガンとの出会いはいつですか?

私の両親はクリスチャンでしたので、幼いころから毎週日曜日は教会に通っていました。私が中学生の頃、当時通っていた教会にパイプオルガンが導入され、その時にオルガンの音色を聴いたのが出会いです。当時はピアノも習っていましたし、通っていた学校もミッション系でしたので、教会音楽は非常に身近でしたが、導入されたオルガンの披露演奏会を聴いたときに今までに聴いたことのないような音が聴こえてきたのです。オルガンは教会の2階に設置されたため、上から音が降ってくるような、そんな感覚でした。いま見ればごく一般的な楽器ですが、中学生だった私は「オルガンを弾いてみたい!」と思ったのです。

 

――そこからオルガンを演奏されるようになったのですか?

そうですね。教会では子どもが興味を持てばオルガンを弾かせてくれましたし、そのうち伴奏をさせてもらったり、慣れてきたら礼拝の奏楽も弾かせてもらえました。そういう点では、恵まれていたと思います。

 

――当時はオルガンを教えてくださる方がいたのですか?

当時は教会内にキリスト教音楽学校(現キリスト教音楽学院)があり、そこに通いオルガンを習いました。教えてくださったのは日本人の先生です。

 

――国立音楽大学への進学は、どのように決められたのですか?

ミッション系の一貫校に通っていたのですが、オルガンが好きで、もっとたくさんの作品を演奏してみたいと思い、音大に進学しました。周りのオルガン科の学生は牧師の娘さんや、日頃から教会に通ってオルガンを弾いているような方ばかりでした。

 

――大学卒業後はオルガニストになりたいと思っていましたか?

オルガニストになるというビジョンは全くなかったですね。実は一度、オルガンを辞めようと思ったことがありました。大学院を卒業してから1年くらいの時期です。オルガン科を卒業しても “何かになれる” というモデルがあったわけではありませんし、可能性も考えられませんでした。私が学生の頃はオルガンのあるコンサートホールはなかったので、ホールオルガニストという職もありませんでした。しかし、その頃たまたま誘われて行った国際基督教大学でのコンサートを聴いて、 “もう一度オルガンを演奏したい” と思ったのです。そのコンサートで演奏していたのは、東ドイツのトーマス教会のオルガニストだったハンネス・ケストナーでした。

※ハンネス・ケストナー
J.S.バッハも音楽監督を務めていた、ライプツィヒの聖トーマス教会のオルガニストであった人物。

 

――その演奏会を聴いて、ドイツ留学を決められたのですか?

はい。ただ迷いはありましたね。20代半ばというのはその後の人生を大きく左右する、とても大切な時期です。そのような時期にドイツに行って何年も時間を費やしてよいのかと悩みました。

ドイツの大学院では、ジグモンド・サトマリー先生のもとで3年半ほどオルガンを学びました。サトマリー先生は演奏の解釈にしても、音色の作り方にしても、私の視野をとても広げてくれた方です。古典作品だけでなく現代音楽にも取り組まれており、たくさんの方に作品を委嘱していました。現代音楽では楽譜が完成されていない(演奏しながら作り上げていく)こともありますが、その点においては不完全な楽譜から最大限のものを引き出すことができる素晴らしい方です。

※ジグモンド・サトマリー
1939年ハンガリー生まれのオルガン奏者。1970年にハンブルクのルター教会の音楽監督・オルガン奏者に就任。1978年よりフライヴルク音楽大学の教授を務める。京都コンサートホールでは1999年11月7日にリサイタルを開催している。

 

――ちなみに、オルガンはどのように学んでいくのでしょうか?同じ鍵盤楽器でもピアノとオルガンでは楽譜も奏法も違いますし、オルガンは音作りも自身でしなければいけない楽器ですよね。

音色に関して言えば、最初は先生が作ってくださいます。そのうち基本的な音の作り方を習いますが、オルガンひとつひとつ全く違いますので、基本的な考え方をそのまま当てはめてもどうしようもありません。留学した初めの頃は、初めて弾くオルガンの場合は先生が音色を作ってくださって、それを覚え、 “この組み合わせだとこういう音になるんだな” という経験を積み重ねていきました。楽譜や本に書いてあるものを読むだけではどうしようもありません。今でもほかのオルガニストが作った音の組み合わせを聴いて、 “ういうこともできるのだ” と思うときもありますし、これからも無限にあると思っています。奏法に関しては、まずは弾き方を習い、そして曲の解釈や演奏技術、様式などを習っていくという感じでした。

 

――ドイツ留学のあと、オランダにも留学されていましたよね?

ドイツ留学から戻ってきてしばらくしてから、オランダへ留学しました。オランダへは文化庁の海外特別派遣生としていきましたので期間は短かったのですが、主人がオランダに駐在していたため、日本とオランダを行き来するような生活を送りながら、オランダでも演奏活動をしていました。

 

――ドイツとオランダでオルガンを学ばれましたが、日本と海外ではオルガンを学ぶ環境は違いましたか?

当時、NHKホール以外に大きなオルガンはありませんでした。NHKホールは日常的に通えるような場所ではありませんし、サントリーホールができたのも私が留学から帰ってきて半年くらい後のことです。ですので、それまで私が日本で弾いてきたオルガンは小さな楽器でした。今のようにインターネットもなければYouTubeで見たり聴いたりすることもできない時代で、レコードを聴いたり本を読むくらいしか情報を得る方法はありませんでした。それが留学先ではいきなり大きくて響きのある楽器、そして石造りの教会で弾くのですから、違う楽器に出会ったような感じでしたね。

 

――オルガンが好きでオルガンを学ばれてきたなかで、オルガニストになろうと決心されたのはいつ頃ですか?

オルガニストになろうと思ったのは留学から帰ってきた後ですね。留学した時はオルガンが好きでオルガンが生まれた場所に行ってみたいという思いで行きましたので、海外の大学の卒業資格を取って何かになる・何かの職に就く、ということは考えられませんでした。

私が留学から帰ってきたときはちょうどバブルの時期でした。輝かしいものへの興味としてコンサートホールでオルガンを聴いてみたいという人がたくさんいるような状況で、演奏の機会もたくさんいただきました。ただ、日本はキリスト教国ではありませんし、教会も国教会のように国や人のサポートがあって存在しているわけではありませんので、日本でオルガンが楽器として人々にどのように定着していけるのかは分かりませんでした。そもそも、それまで日本のコンサートホールにはオルガンもなかったのですからね。演奏曲も今回(11/1)の公演のようなプログラムを出しても敬遠されてしまうというか、宗教的なタイトルが付いてしまうと、引かれる感じはあったように思います。ただ、ヨーロッパのような教会の縄張り争いはありませんでしたので、公共的な存在としてオルガンには別の道があるのではないかとも思っていました。

 

――貴重なお話をたくさんお聞かせいただきありがとうございます。インタビュー後半では、この続きや日本のオルガンにまつわるお話、そして今回のプログラムについてお話を伺いました。後編もお楽しみに!

(2025年7月 東京にて 京都コンサートホール事業企画課インタビュー)

 

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作曲家 酒井健治 インタビュー(2025.11.8 ピエール・ブーレーズ生誕100年記念事業 ブーレーズへのオマージュ)

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インタビュー

20世紀を代表するフランスの偉大な音楽家 ピエール・ブーレーズの真髄に迫る、京都コンサートホールのオリジナル企画「ブーレーズへのオマージュ」。コンサートの翌日11月9日(日)には、ブーレーズの作品や思想への理解をさらに深めていただくため、京都市立芸術大学 堀場信吉記念ホールにてスペシャルイベント「ピアニスト永野英樹による公開マスタークラス」を開催します。

コンサート、そしてマスタークラスをより楽しんでいただくため、マスタークラスで永野氏と対談を行う、京都市立芸術大学音楽学部音楽研究科作曲専攻教授 酒井健治氏にブーレーズにまつわるお話を伺いました。

―――京都コンサートホールでは、今年生誕100年を迎えた音楽家 ピエール・ブーレーズに焦点を当てたコンサートを開催します。酒井さんがブーレーズの作品に初めて触れたのはいつですか?

ブーレーズの存在自体は以前から知っていましたが、きちんと楽譜を見て作品を聴いたのは大学3年生の時です。当時、京都市立芸術大学で作曲を教えていた前田守一先生の研修室で、楽譜を見ながら音楽を聴くといった内容のゼミがあり、その中にブーレーズの作品がありました。

―――その時のブーレーズに対する印象はどのようなものでしたか?

『どうやってこの作品を書いたのだろう?』とまず思いましたね。それまではメロディーをどのように作るか、和声をどう付けるかなど、いわゆるクラシックの作曲技法を学ぶのがほとんどでした。現代音楽の語法なんて全く詳しくなかった頃に聴いたので、 “どのようにこの音楽を作ったのか”  “なぜこれが作曲家にとって良い表現なのか”  “どういう美学・感性をもってこの作品を書いたのか” 、そういったことを考えるきっかけになったのがブーレーズでした。

―――その後もブーレーズの作品を聴く機会はありましたか?

作品を聴くことはもちろん、私自身の作風にも大きな影響を与えてくれました。特にブーレーズのオーケストラ曲のグロッケンシュピールなどのきらびやかな音響、金属の打楽器を豊富に使って余韻を作るような作風には、とても影響を受けました。

―――酒井さんは京都市立芸術大学そしてパリ国立高等音楽院を卒業された後、ブーレーズが設立したIRCAM(フランス国立音楽音響研究所)で学ばれていますが、実際にブーレーズにお会いしたことはありますか?

ブーレーズに初めて会ったのはIRCAMでした。確か2009年です。私は2007年から2009年まで研究員として2年間、IRCAMに滞在していました。当時、修了作品を制作するため施設によく寝泊まりしていたのです。確か夜の22時頃だったと思うのですが、カフェで休憩しようと飲み物を取りにエレベーターを降りたら、ブーレーズが目の前にいたのです。僕は『え?』となりましたし、ブーレーズも『え?』となっていましたね(笑)。不思議な出会い方でした。その後、私の修了作品がポンピドゥー・センターでアンサンブル・アンテルコンタンポランの演奏により初演されることになったのですが、その時にもブーレーズは聴きに来ていました。作品を聴いていただいた後に直接お話ししたのですが、ものすごく緊張していて何をしゃべったかは覚えていません。でも『よかったよ』とは言ってもらえましたね。当時、ブーレーズはかなり高齢でしたので、一緒に活動をすることはなかったのですが、ブーレーズの存在感、そしてオーラのようなものを強く感じました。

―――ちなみに、酒井さんも学ばれたIRCAMはどのような施設ですか?

総合文化施設であるポンピドゥー・センターの一部門で、電子音響の研修所です。ブーレーズが設立し、初代所長も務めています。ちょうど私が入所した年に、研究員の履修システムが1年制から2年制に変わりました。1年目に15名ほどが入所し、半年間にわたって電子音響を学び非公開で作品発表を行います。そして2年目に進むときに審査が行われ、15名から6名にメンバーが絞られます。2年目は丸々1年かけてソフトウェアをさらに深く学びます。

―――どちらかというと学びの環境・要素が強いのですね。

研究員との肩書ではありますが、実際は音響音楽に必要な知識を学ぶための施設ですね。朝の10時から夕方の5時まで毎日パソコンに向かい勉強していました。しかもそれで終わりではありません。勉強のスピードがかなり速く、そして内容も濃いため、5時まで勉強した後は1日の復習をずっとしていました。作曲活動をする時間もあまりなく、ただひたすら1年間勉強し続けるといった感じでした。

―――お話を聴いているとIRCAMはほんの一握りの人しか入れないような、かなりの狭き門ですね。若い作曲家にとっては、登竜門のような場所なのでしょうか?

若い作曲家にとって、IRCAMは自己表現を進化させる場所であると同時に、キャリア形成の場所でもあると思います。パリ国立高等音楽院で学び、IRCAMに入って、そしてローマ賞を取るというのが、フランスにおける作曲家のひとつのステップにもなっています。フランスで活躍している作曲家の多くがこの道をたどっていますね。

―――現代音楽におけるIRCAMの重要性、そしてブーレーズの功績がとてもよくわかりました。さて、酒井さんは指揮者としてのブーレーズにはどのような印象をお持ちですか?

パリに住んでいるときにブーレーズが指揮する姿を見たことがあります。作曲家としてのブーレーズと直接的な繋がりがあるかはわかりませんが、ブーレーズのリハーサルは極めて合理的なのですよね。楽譜を通してブーレーズの人柄を知ることは難しいと思うのですが、指揮者としてのブーレーズはきわめて厳格な音楽づくりをしていました。ただそれと同時に、ユーモアを忘れないという一面もあって、そういった場面に出会ったときに、『ああ、やっぱりブーレーズも人間なんだな』って思いました。僕が楽譜を通して知るブーレーズ以上に、指揮者ブーレーズは人間的だなと思います。楽譜からも論理だけでは片づけられない作曲家の顔みたいなものは見えるのですが、実際に指揮をしている姿を見ると結構インパクトがありました。

―――さて、今回の企画「ブーレーズへのオマージュ」では、関連イベントとして11月9日(日)にピアニスト 永野英樹さんのマスタークラスを開催します。マスタークラスでは、永野さんと酒井さんとの対談も予定していますが、永野さんとはご面識はありますか?

お会いしたことは数えるくらいしかありません。私の作品をアンサンブル・アンテルコンタンポランで取り上げていただいた時も、別の専属ピアニストの方が演奏されていたので、まだお仕事をご一緒したことがないのです。でも実は一度、フランスの空港でばったりお会いしたことがあり、その時は長い間話し込んだ記憶がありますね。お仕事でご一緒するのは今回のマスタークラスが初めてになりますので、今から楽しみにしています。
マスタークラスの受講者・聴講者は大学時代の自分と同じように、 “楽譜上のブーレーズは知っているけれども、人間としてのブーレーズは知らない” という方がかなり多いのではないかと思います。そういった方たちに、ブーレーズの素顔が垣間見られるようなエピソードを永野さんからお聞きしたいなと思っています。

―――たくさんの興味深いお話をお聞かせいただきありがとうございました。作曲家としてブーレーズの影響力、偉大さを改めて感じました。マスタークラスでの対談も楽しみにしています!

(2025年8月 京都にて 事業企画課インタビュー)

▶「ブーレーズへのオマージュ」特設ページはこちら

クラリネット奏者 上田希 インタビュー(2025.11.8 ピエール・ブーレーズ生誕100年記念事業 ブーレーズへのオマージュ)

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アンサンブルホールムラタ

京都コンサートホール開館30周年記念、そして作曲家ピエール・ブーレーズの生誕100年を記念して開催する「ブーレーズへのオマージュ」(11月8日)。

本公演の出演者であり、いずみシンフォニエッタ大阪やアンサンブル九条山のメンバーとして活躍するクラリネット奏者の上田希さんにインタビューを行いました。現代音楽の分野でも高い評価を得ている上田さんならではの、興味深いお話が盛りだくさんです。

―――今回の公演は、今年生誕100年を迎えた作曲家ピエール・ブーレーズに迫る、京都コンサートホールのオリジナル企画です。公演に向けて、今のお気持ちをお聞かせください。

ブーレーズ自身、「現代音楽においてクラリネットは重要な位置を占める楽器だ」と言っています。また「俊敏性や音域の広さという点において、クラリネットは多様性のある楽器であり、レパートリーも多い」ということも言っています。ブーレーズがそう捉えていた楽器を吹く者として、その思いに応えなければいけないという気持ちです。

ブーレーズほど多くの著作や映像が残っている作曲家はいません。また、自身の作曲・指揮活動に加え、アンサンブル・アンテルコンタンポランやIRCAMの創設など、人のため、音楽界のため、そして聴衆のために活動をしてきた人でもあります。 “音楽を超越したような場所にいる人物” といった印象です。だって、大統領から「施設を創ってくれ」って言われるほどの人物ですよ。すごい人ですよね!

私はブーレーズが遺したものを読んだり聴いたりしながら、11月の演奏会に向けてブーレーズのことをもっと理解していきたいと思っています。また今回、ブーレーズの薫陶を受けたピアニスト 永野英樹さんとご一緒させていただけるので、ブーレーズに関するお話をたくさん聞き、ブーレーズの作品、そしてブーレーズという音楽家について、もっと知っていけたらとも思っています。

IRCAM(イルカム)
正式名称は「Institut de Recherche et Coordination Acoustique/Musique(音響・音楽の探求と調整の研究所)」。テクノロジーや音響・音楽創造などを研究する、世界最先端の組織。1976年、ポンピドゥー大統領の庇護のもと、ポンピドゥー・センター内に設立され、ブーレーズが初代所長を務めた。

―――これまでにブーレーズの作品を演奏されたことはありますか?

《デリーヴⅠ》を何度か演奏したことがあります。今回の公演のプログラムにある《12のノタシオン》や《フルートとピアノのためのソナチネ》は割と初期の作品ですが、《デリーヴ》はもっと後の作品で、非常に簡潔に書かれています。私自身、ブーレーズの作品は “譜面を読み解き忠実に表現すればブーレーズの音楽になる” といったイメージがあります。ブーレーズの著書で「省察を続けないといけない」という言葉がよく出てくるのですが、実践の中からより良いものを見つけて、考察して、次に繋げて、と。省察し続けているからこそ、ブーレーズの楽譜は意図がはっきり伝わるのであり、その譜面に忠実に音を奏でることでブーレーズの音楽になると思っています。

―――今回演奏する《ドメーヌ》について教えてください。

実は、この作品を演奏するのは今回が初めてです。作品のことはもちろん知っていましたし、重要なレパートリーであるということも分かっていましたが、これまで演奏する機会がありませんでした。《ドメーヌ》は、一時期親交のあったジョン・ケージの ”偶然性” の考え方から発展した “管理された偶然性” の作品です。 “管理された偶然性” というのは、ケージのように全てをコインやサイコロといった不確定なものに委ねるのではなく、全てが作曲家の意図のもとに統制されたうえで、奏者自身が演奏するフレーズの順番や奏法を選択しながら演奏するものです。

―――奏者に選択の権利を与えるなんて、面白い作品ですね!すでに演奏する順番は決めているのですか?

ブーレーズとともにアンサンブル・アンテルコンタンポランで活動したミシェル・アリニョンや、《ドメーヌ》の初演者でもあるヴァルター・ブイケンスといったクラリネット奏者たちが、ブーレーズから「この順番が好きだ」と聞かされている順番の型があり、私もアリニョンのマスタークラスを受けた際にメモを書き残しています。一応、ブーレーズが好んだ演奏順を知っておきつつ、あとは自分次第かなと。ブーレーズが好んだ型にしようか、違う型にしようか、でもやっぱり今回はブーレーズへのオマージュなのでブーレーズが理想的だと思った型でやってもいいかな…と。きっと最後まで迷うと思いますね。

―――演奏順によって曲のキャラクターは変わってくるのでしょうか?

道筋が変わりはしますが、全体像としてはおそらく変わらないと思います。ブーレーズ自身、 “管理された偶然性” の作品については「楽譜全体は地図であり、どの道を通っても街全体は変わらない」と言っています。同じ街ではあるが、通った道が違うので、見えるものや見える角度が違うという感じでしょうか。演奏する側としても、次にどのフレーズが来るかはとても大切で、 “次にこれが来るならこうしておこう” とか、 “起承転結をどうしようか” とか、そういう考えは出てきますね。

―――クラリネットの作品は、モーツァルトの時代から現在までたくさんありますが、その中で《ドメーヌ》はどのような位置づけですか?

 “譜面を読み解き忠実に表現すればブーレーズの音楽になる” という点では、モーツァルトとブーレーズは近いものを感じます。もちろん作曲技法や演奏技法などは異なりますが、 “楽譜を見て楽譜通りに吹けばその作曲家の音楽になる” という種類の作品という点では同じように思っています。私自身、基本的にモーツァルトのような古い作品と、ブーレーズのような新しい作品の譜面を違う視点で見ることはありません。どの作曲家の作品も同じと言ったら変かもしれませんが、演奏すること自体は変わりありませんので、 “何をベースにしているか” そして “そのベースがどう発展していくか” ということを考えながら譜面を読むようにしています。ブーレーズの作品がこの考えに当てはまるかどうかは、もっと勉強してみないと分かりませんが、作品自体を構築されている建築物みたいな感じで、 “ここはこの部分になって” とか “ここはこれが派生してて” というふうに風に譜面を読んでいけるのではないかと思っています。

―――シェーンベルク/ウェーベルン編曲の《室内交響曲》はどんな作品でしょうか?

原曲が大編成の作品で、それをウェーベルンが五重奏に編曲しました。五重奏版では、原曲にある全ての音が入っているわけではありませんが、元の編成を踏襲した形でとてもよくできています。ピアノがたくさんのパートを担っているので音数も多く、どうしても響きが重厚で分厚くなってしますが、それに対し他の4つの楽器(フルート、クラリネット、ヴァイオリン、チェロ)がどうバランスをとっていくかが難しさの一つでもあります。また、指揮者がいれば問題なく合わせられるところも、5人の場合はアンサンブル力が試されます。大変ですがやりがいのある作品です。

―――ブーレーズとシェーンベルクの親和性はどういった点でしょうか?

ブーレーズはシェーンベルクの十二音技法**を勉強し、その後トータル・セリエリズム***に至りました。ただ単に12音をばらばらにして調性に縛られないようにするだけでなく、音の高さや和声、リズム、音量など音楽を構成するすべての要素を管理する技法です。シェーンベルクとの出会いがあったから、ブーレーズという作曲家、そして作品が生まれたとも言えると思います。

ブーレーズの《12のノタシオン》はまさしく12音を使って12小節で作って…と、とてもこだわりを感じられます。逆に言えば、そんな制約がある中で12種類の作品を作曲できることはとても凄いことだと思います。今回の公演が、この《12のノタシオン》で始まるところから、すでにシェーンベルクが感じられますよね。

また、ラヴェルもシェーンベルクの《月に憑かれたピエロ》を聴いてすごく衝撃を受けて楽譜を取り寄せたらしいです。今回の公演は、ブーレーズを軸に作曲家の関係性が見える、すてきなプログラムだと思います。

**十二音技法
12の半音すべてを均等に扱う作曲技法。特定の音・調を基準としないため、無調音楽を体系的に作り出す。

***トータル・セリエリズム
十二音技法を発展させ、音の高さだけでなく、音価やリズム、音色、強弱などのあらゆる要素を組織的・論理的に管理する作曲技法。

―――ピアニストの永野さんとは、これまでにも何度か共演されていますね。

いずみシンフォニエッタや「サントリーホールサマーフェスティバル」でご一緒したことがありますが、いずれの曲も指揮者がいる作品でしたので、今回のように少人数の室内楽で共演するのは初めてです。今回のお話をいただいてから、シェーンベルクの《室内交響曲》をご一緒できることが楽しみで仕方ありません。この作品はピアノがすごく大変なのですが、永野さんがピアノを弾いてくださって、一緒に演奏できるなんて、とても幸せです!

―――今回のコンサートの聴きどころや、ブーレーズの作品の楽しみ方を教えください。

あまり構えずに、耳や心を開いて聴いていただけたら嬉しいです。感じたままに、あるがままに受け止めてもらうことが一番良いと思います。今回の会場であるアンサンブルホールムラタは、ステージと客席が一体になっている感じがして、私はとても好きなホールです。演奏家と同じ目線・同じ空間に居て、音を受け止めていただける場所だと思います。

―――興味深いお話をありがとうございました。演奏会がますます楽しみになりました!

(2025年7月 京都にて 事業企画課インタビュー)

▶「ブーレーズへのオマージュ」特設ページはこちら

フルート奏者 上野由恵 インタビュー(2025.11.8 ピエール・ブーレーズ生誕100年記念事業 ブーレーズへのオマージュ)

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アンサンブルホールムラタ

今秋にお送りする、京都コンサートホールのオリジナル企画「ブーレーズへのオマージュ」(11月8日)。

本公演の出演者であるフルート奏者の上野由恵さんに、現代音楽作品との出会いから、今回演奏していただくブーレーズ作品のことなど、様々なお話を伺いました。

 

―――京都コンサートホール主催公演へのご出演は、2023年3月1日に開催した『KCH的クラシック音楽のススメ』第3回「東京六人組」以来となります。今回、出演依頼を受けた時、どのようなお気持ちでしたか?

ブーレーズ作品の第一人者ともいえる、憧れのピアニスト 永野英樹さんと共演できることがとても嬉しかったです。2021年に「サントリーホール サマーフェスティバル」でご一緒したのですが、本当に素晴らしくて。学べるものは学ぼうと、ずっとそばで永野さんの演奏を聴いていました。現代音楽を知り尽くした雲の上のような存在の永野さんと、今回ブーレーズの作品を一緒に演奏できるなんて、夢のようです。

京都コンサートホールでの演奏は2023年3月以来となりますが、実は京都には学生時代からよく来ていました。毎春、関西日仏学館で開催されている京都フランス音楽アカデミーに何年も参加しており、そこでレッスンをしていただいたフィリップ・ベルノルド先生との出会いは、私の転機とも言えます。また、私は数年前から京都に別宅をもっており、歴史ある文化や季節ごとの美しい自然に触れています。

今回のコンサートも、素晴らしいプログラムだと思います。京都の町自体、古いものを守りながら新しいものも取り入れている感じがしますが、京都の町と同様に、京都コンサートホールも常に、他にはない独自の企画をされている印象があります。

 

―――上野さんは幅広いレパートリーをお持ちで、リサイタルでも必ず現代音楽を取り入れていらっしゃいますが、現代音楽を演奏するようになったきっかけを教えてください。

最初に出会った現代音楽作品はイサン・ユンのエチュードです。高校生の時でした。初めて聴いた時に、調性などの制約がない分、人間の生々しい感情が出せる、だからこそ表現が広がるのだと、新しい発見がありました。それから現代音楽に惹かれるようになりました。2つあるデビューCDのひとつもイサン・ユンの作品集ですが、このCDを作曲家の細川俊夫先生が聴いてくださって、「これからも現代音楽を続けていった方が良い」と言ってくださいました。その言葉がきっかけで自信にもなりましたし、自分が進んでいく道を見つけることができました。

イサン・ユン(尹伊桑)
韓国生まれの作曲家。日本に留学し、その後はパリ音楽院、ベルリン芸術大学等で作曲を学んだ。1967年の東ベルリン事件で韓国へ強制送還されたが、ブーレーズをはじめとする多くの音楽家らの署名により釈放された。

 

―――これまで様々な現代音楽を演奏されてきましたが、その中で感じるブーレーズの音楽の特徴や魅力を教えてください。

今回演奏する《ソナチネ》は、奏法的には古典的な手法で書かれていますので、これまで取り組んできた他の現代作品とは違うものとして捉えています。フルートとピアノの作品で最も難しい曲のひとつと言われており、取り組む前は “とんでもない!” と思っていましたが、譜面を読んでいくととても緻密に書かれていることが分かり、丁寧に丁寧に読んでいけば積み上げられていくものがあると感じています。

この作品を初めて演奏したのは大学院生の頃だったと思います。国際コンクールの課題曲でした。最初はCDを聴いても、楽譜を見ても、何が何だか分からず何も音が追えない状況でした。友達に頼んで50%と75%の速度のCDを作ってもらって、それを何度も聴いてピアノパートとフルートパートを覚えました。ピアノは右手と左手が違うことをしているので、右手と左手それぞれ覚えましたね。かなりの時間をかけて取り組みました。当初は全然うまくいきませんでしたが、そのように練習を重ねていきました。

 

―――《フルートとピアノのためのソナチネ》が、フルートとピアノの作品で一番難しいといわれる所以は何でしょうか?

まず、ピアノが難しいです!フルートにおいては、跳躍が大きかったり、強弱の幅が広かったりと技巧的な難しさもありますが、何が一番難しいかというとアンサンブルです。ピアノがフルートの何倍もの音をかなりのスピードで弾いているなかで、縦のラインを合わせていく難しさがあります。そんな曲は他になかなかないですね。

 

――――聴きどころはどのような点でしょうか?

私自身もそうだったのですが、まず “難しい!” となります。でも、以前フィリップ・ベルノルド先生にこの曲のレッスンを受けた際に、冒頭で「ほら、ファンタジーの幕開けだよ」と言われ、意識が変わりました。ただ難しいというだけではなくて、ファンタジックな作品だと思って見てみると、また全然違う作品として捉えることができました。楽譜はとても緻密に書かれていますが、技巧的に難解な面だけでなく、その時・その場所で生まれる生命感や躍動感を感じながら聴いていただけると嬉しいですし、そういう演奏ができると一番理想的だと思いながら演奏しています。

ブーレーズがこの作品を作曲したのは20~21歳の頃で、ものすごく尖がっていた時代です。若さの最高潮みたいな曲です。ブーレーズ自身、ものすごく頭がよくて、いろいろなことを理解できて、その若さの爆発というか挑戦的なエネルギーも演奏の中で表現できたらいいですね。また、永野さんからブーレーズのいろいろなお話をうかがうことで印象も変わるかもしれませんので、今からリハーサルから楽しみでなりません。

 

――――久々の京都コンサートホールでの演奏となります。京都の皆さまへメッセージをお願いいたします。

現代美術については、街中に作品が展示されていたり有名なアーティストが多くいたりと比較的人々に受け入れられています。 “なんだろうね、よくわからないね、でも面白いね” など言いつつ、皆さんとても気軽に作品に触れている印象があります。現代音楽についてもそうなってほしいと願っています。 “調性がないと分からない” とならずに、現代美術作品と向き合うように、 “わからないけど何だか神秘的” “すごく生命力を感じる” など、難しさや理解という点ではなく、感じるがままにストレートに受け止めていただければ、きっとその良さを感じていただけると思いますし、わたしもそう信じて演奏しています。今回演奏するブーレーズの《ソナチネ》においても難しい曲というよりも、難しさのなかから出る緊迫感のような、生の音楽からしか感じられないものを、奏者と同じ空間で体験してもらえたら嬉しいです。

 

―――ありがとうございました!公演当日、ホールで《ソナチネ》を聴けることを楽しみにしています!

(2025年8月京都にて 京都コンサートホール事業企画課)

「ブーレーズへのオマージュ」特設ページはこちら

 

ピアニスト 永野英樹 インタビュー<後編>(2025.11.8 ピエール・ブーレーズ生誕100年記念事業 ブーレーズへのオマージュ)

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インタビュー

偉大なる作曲家 ピエール・ブーレーズの生誕100年を記念して開催する、京都コンサートホールオリジナル企画「ブーレーズへのオマージュ」(11月8日)。

本公演の出演者であり、ブーレーズから薫陶を受けたピアニスト 永野英樹さんへのインタビュー後編では、本公演のプログラムについてお話を伺いました。

前編はこちら

【インタビュー後編:本公演のプログラムについて】

―――今回、ブーレーズの作品から《12のノタシオン》《ドメーヌ》《フルートとピアノのためのソナチネ》の3作品を選んだ理由をお聞かせください。

永野英樹

ブーレーズの室内楽作品は少なく、片手で数えられるくらいしかありません。もちろんピアノのソロ作品だけでプログラムを組むこともできなくはないのですが、どうしても偏ってしまうため、ソロも交えつつ、作品ごとに変化をつけるという意味でこの3作品を選びました。作曲時期によってブーレーズの作風も変わっていきますので、そういう点も聴きどころだと思います。

ブーレーズの作品には作品番号が付いていませんが、《12のノタシオン》は彼の作品カタログの中では作品番号1(=作曲年代が一番古い)にあたるほど、本当に初期の作品です。当初は古典的な手法を引きずっているという点で、ブーレーズ自身はこの作品をカタログの中に入れていませんでしたが、やはりこの後の作品へのつながりが感じられます。ブーレーズの音楽語法の出発点ともいえるような作品ですね。

《ドメーヌ》は偶然性の音楽(演奏時に奏者自身で演奏するフレーズや順番などを選択するもので、演奏のあり方を偶然に任せた音楽のこと)で、ジョン・ケージとの親交などから影響を受けて書かれた作品です。クラリネット奏者にとっては重要なレパートリーのひとつでもあります。

《フルートとピアノのためのソナチネ》は、ブーレーズが若い頃、一番血の気の多い時期の作品で、とても迫力があります。音楽的で演奏効果も高く、まさにブーレーズ!といった感じの作品です。

 

―――クラリネット・ソロの《ドメーヌ》、そしてフルートとピアノのデュオ《ソナチネ》については、選曲時に奏者のイメージもあったのですか?

そうですね。クラリネットの上田希さんとは、「いずみシンフォニエッタ」で何度かご一緒したことがありました。また、サントリーホールのサマーフェスティバルでも上田さん、そしてフルートとの上野由恵さんとご一緒したことがありました。ですので、コンサートの後半に演奏するシェーンベルク/ウェーベルン編曲の《室内交響曲第1番》も含め、お二人と一緒に演奏したいと思い選曲しました。

 

―――ブーレーズ以外の作曲家の作品を入れた意図を教えてください。

ブーレーズの作品だけではなくて、彼と関わりのある作曲家やブーレーズ自身が好んで演奏していた作品を入れることで、“ブーレーズ”という人としてのイメージを知っていただきたいという意図もあります。ブーレーズの作品だけを聴くよりも音楽、そして彼の人物像に奥行きが出ると思いますね。ラヴェルの《夜のガスパール》は斬新な部分と昔ながらの作風を感じられる部分があります。シェーンベルクの《室内交響曲第1番》はまだ調性音楽で書かれているため、シェーンベルクの作品に馴染みのない方も聴きやすいと思います。

 

―――ラヴェルとシェーンベルクはブーレーズの作品とどのような関係性がありますか?

ラヴェルは作風に直接的な関係性はありませんが、ラヴェルや同じくフランス印象派の作曲家であるドビュッシーは、近代から現代への過渡期にあった作曲家です。書法や楽譜を忠実に再現しようとする姿勢はラヴェルに近しいものを感じはしますが、どちらかというとブーレーズはドビュッシーの方が音楽に対する向き合い方や思想などの面で、より親近感を持っていたように思います。でも、ラヴェルのことも一目置いていて、ブーレーズ自身もラヴェルの作品はたくさん演奏していましたので、そういう意味では近しい作曲家だと思います。

ブーレーズは血の気が盛んな若い頃はいろんな作曲家に対し歯に衣着せぬ批判をしていて、シェーンベルクやストラヴィンスキーなど他の作曲家の考えや作曲技法を全て受け入れたわけではありませんでした。でもシェーンベルクに関しては確実に影響を受けていますね。例えば、アンサンブル・アンテルコンタンポランでもシェーンベルクの作品をたくさん演奏していますし、ブーレーズが遺したシェーンベルクやウェーベルンの作品の録音は、ブーレーズのコレクションのなかでも大切なもののひとつと一般的にも言われています。そういう意味でも、シェーンベルクら新ウィーン楽派***の作品というのは、ブーレーズにとって、演奏家としても作曲家としても大切な位置にあるものだと思います。特に今回取り上げるシェーンベルク/ウェーベルン編曲《室内交響曲第1番》は、ブーレーズがよく指揮をしていた作品です。

***新ウィーン楽派
20世紀前半、ウィーンを拠点に活動したシェーンベルク、ウェーベルン、ベルクのこと。

 

―――永野さんが本公演のチラシに寄せてくださったメッセージの中で「難解だと思われがちなブーレーズの音楽だが、指揮者として活躍した彼ならではの響きやリズムへのこだわりが詰まっている」とありますが、そのこだわりとはどのようなものですか?

ピエール・ブーレーズ

先ほどもお話ししましたが、ブーレーズは安定したリズムが嫌いで、どこかでリズムを壊していました。初期作品の《12のノタシオン》でもこの手法はすでに見られるのですが、そもそも楽譜に拍子を書いていないんですね。常に3/4拍子だとか6/8拍子ではなく、小節ごとに拍子が変わっていくこともあれば、メロディーのような箇所も4分音符で分割される拍ではなくて、それにプラス16分音符みたいな箇所がたくさん出てきます。そういったリズムの崩し方が、ブーレーズの特徴だと思いますね。

響きに関しては、ピアノ・ソロの作品でも、今回演奏する《フルートとピアノのためのソナチネ》でもそうなのですが、音がよく響く書き方をしています。楽器を演奏している方だとわかるかもしれないのですが、音がすごくよく響く作り方と、あまり響かない作り方というのがあり、その点でブーレーズは音がよく響く作曲をしていますね。ドビュッシーやラヴェルなどと同様に、フランス人独特のピアノ作品の作曲手法や、楽器の鳴らし方、和音の書き方があるのだと思います。特にピアノのエクリチュール(書法)に関して言えば、ブーレーズ自身がピアノを弾いていたということも大きく影響していたと思いますね。

 

―――永野さんが普段活動されているパリに比べ、日本ではまだ現代音楽に対して「難解」というイメージがどうしても強いように感じます。今回のプログラムやブーレーズの作品、そして現代音楽を聴く際のポイントを教えてください。

現代音楽というネーミングには語弊があります。現代音楽とは曲のスタイルではありません。20世紀以降の音楽がほとんど現代音楽として括られていますが、その中にはいろいろなスタイルがあります。まずはいろいろな音楽を聴いていただき、自分が好きなものを探すことが第一歩だと思いますね。現代音楽と聞いて「嫌」と思うよりも、「この曲・この作曲家は知らないから聴いてみよう」とか、「この国の作曲家は知らないから聴いてみよう」とか、そんな感じでよいと思います。あるいは「この楽器が好きだから聴いてみたいな」とか。そのくらいの興味でいろいろと聴いていただくと、ひょっとするとその中に自分の好きなスタイルの現代音楽が見つかるかもしれません。僕もブーレーズは偉大だと思うのですが、作曲家は必ずしもブーレーズ一人ではありません。現代を生きている作曲家、若い作曲家もたくさんいますし、彼らから新しいスタイルの音楽もどんどん生まれていくわけですので、たくさんの種類の曲を聴くのが一番よいと思います。あと、絶対に言えるのは、どんなものでもそうなのですが、録音されたものよりライブで聴く方が「あっ、これなら聴ける!」という音楽が絶対にあると思いますので、ぜひコンサートで聴いていただきたいです。

 

―――ありがとうございました。ブーレーズの真髄に迫るコンサート、楽しみにしています!

(2024年4月 大阪にて 事業企画課インタビュー)

壬生寺 貫主 松浦俊昭氏×京都コンサートホール プロデューサー 高野裕子 対談(Kyoto Music Caravan 2025)

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インタビュー

京都コンサートホール開館30周年事業として、京都市内各所で開催中のクラシック音楽の一大イベント「Kyoto Music Caravan 2025」。
2023年以来、2度目の開催となる本イベントは、これまでに10公演中4公演を実施し、多くのお客さまにご来場いただいています。

今回、8月11日公演の会場である壬生寺の貫主 松浦俊昭氏と、京都コンサートホール プロデューサーの高野裕子で、「Kyoto Music Caravan」にまつわる対談を行いました。ぜひ最後までご覧ください。


◆前回の「Kyoto Music Caravan 2023」について

――「Kyoto Music Caravan 2023」の開催から2年が経ちました。

松浦さん(以下敬称略):コンサートを開催したのはお盆の時期で、壬生寺では毎年「万灯供養会(まんとうくようえ)」を行っています。この期間中は元々お越しいただく方が多いのですが、本堂前で演奏を聴けるということもあり、地元(中京区)の方を中心に、約400名もの方にお越しいただきました。
音楽に関心を持っている方がやはり多いなと改めて感じたとともに、万灯供養会の灯篭前で演奏している風景を見て、お寺でのコンサートはいいなと思いました。

高野プロデューサー(以下敬称略):アンケートで、小さい頃から壬生寺さんに通っていた人たちが「ここでクラシックのコンサート聴けたことがすごく嬉しかった」と書いてくださって、私たちも嬉しかったですね。

松浦:お寺はもちろん信仰の場ですが、普段の喧騒から離れて、心が落ち着く場所だと思ってくださっている方もいらっしゃいます。また壬生寺は「新選組ゆかりの地」ということもあり、近藤勇の胸像と対話しに来られる方もいらっしゃいます。そういった部分も、お寺の大きな存在意義だと思っています。

――たしかに壬生寺さんに来ると落ち着きますし、お寺の周りは住宅街ということもあって、ふらっと入りやすいですね。

松浦:スマートフォンや携帯電話、テレビなどがなかった時代は、人々のコミュニケーションの場としてお寺が使われていました。そしてお寺に当時の流行りのものが集まってきて、その中で娯楽が生まれました。
壬生寺でいうと、今から725年前に始まった「壬生狂言」ですね。もともとは、仏教の教えを伝える目的で始まったのですが、江戸時代に少しでも多くの人に広めようと、他の様々な物語を取り入れたことで、バラエティー豊かな「壬生狂言」が出来上がったのです。
当時はきっと、「今日壬生さん行ってきた」「どうやった?」「面白かった、また行きたい」といった会話が繰り広げられていて、お寺は面白いと思ってもらえる場所だったのではないかと思います。

高野:「お寺は昔から人が集まる場所」と松浦さんがおっしゃっていたことは印象的で、お寺は宗教的な施設のイメージしかなかったので新鮮でした。
「Kyoto Music Caravan」を企画する際、お寺でコンサートをしてよいか松浦さんに相談したところ、「昔から壬生狂言のように人を楽しませる娯楽があって、音楽もそれとそんなに変わらない」と後押ししてくださったのは大きかったですね。

松浦:壬生寺では最近、コンサートやマルシェ、落語の独演会などを行っていますが、「楽しい」と思ってもらえることが大事だと改めて感じます。
ですので、前回も今回もこのようなご縁をいただいて、コンサートをしていただけるのは、お寺にとっては滅多にない、とてもよい機会だと思っています。

◆キャラバンを企画した思い――松浦貫主が繋いでくださったご縁

――「Kyoto Music Caravan」は、京都市内の寺社仏閣などの名所で無料コンサートを開催している一大イベントです。そもそも本イベントはどのように生まれたのでしょうか。

高野:このイベントの企画意図は2つあります。
まず私が留学していたパリでは、街中の様々な場所でコンサートが行われ、ふらっとコンサートを聴いて帰るという光景が日常になっていて、京都でもそのようなコンサートを開催したいと思っていました。
そしてもう一つは、今まで京都コンサートホールに来たことがない方にも「クラシック音楽っていいな」と思っていただきたかったのです。

ただ、いきなりホールへ行くのは、なかなかハードルが高いですよね。
京都の様々な場所でコンサートを無料で開催することで、「京都の街って素晴らしいな」「クラシック音楽っていいかも、次はホールで聴いてみようかな」という方が増えてほしいと思ったのです。

実際に京都で開催するなら、会場は京都の町を象徴するお寺や神社だと思い、松浦さんに相談したところ、「ここでやるか?」と言ってくださったのですよね。そして松浦さんから様々な方をご紹介いただき、その縁を繋いで生まれたのが「Kyoto Music Caravan 2023」なんです。

松浦さんを一言で表現するなら、「結ぶ人」だと思います。
これまで繋いでいただいたご縁は数えきれず、そのご縁からまた違うご縁に繋がっていきました。

松浦:ご縁を結んだ後が大事で、そのご縁をどうやって紡いでいくかは、その人の努力次第なんですよね。

高野:松浦さんからのご縁は今も続いていて、本当に宝物です。
ちなみに松浦さんは、お寺でクラシック音楽を演奏することに抵抗はなかったのでしょうか?

松浦:やりたかったんです。

20年前に東寺さんの音楽イベント「音舞台」を見て以来、壬生寺でも何かできないかと思っていました。その後、2009年にご依頼いただいて、大沢たかおさんの朗読会を本堂前の特設ステージで開催しましたが、この境内に1,640脚ものイスが並んだんですよ。
その光景を見て、うちでもコンサートができるのではないかと思い、それからずっとやりたいと思い続けていました。10数年を経て実現できたので、感慨深いものがありますね。
そういえば、同じく「Kyoto Music Caravan 2023」の会場であった隨心院さんも、「こういうオファーを待っていた!」とおっしゃっていましたね。

――「クラシック音楽×お寺」の組み合わせは、今ではよく聞きますが、実際のところ、相性はどうなのでしょうか。

松浦:クラシック音楽が好きな人は、その音を聴いて癒される方もいらっしゃると思いますので、ご本尊に拝むのと同じご利益があると思うのです。それに、これだけたくさんの方が集まったら、庶民の仏であるお地蔵さんは、きっと喜んでいらっしゃると思います。
そして一般の方にとっても、コンサートに来ていただくことで視野が広がる可能性があるのです。

高野:クラシック音楽好きの人にとっては、この機会に京都の街を訪れるよいきっかけになっていると思います。まさに、今回のキャラバンのキャッチフレーズである「クラシック音楽が、京都のまちと人びとをつなぐ」ですよね。

前回の壬生寺公演の様子(2023年8月12日)

 

◆ぜひコンサートを生で楽しんでいただきたい

――実際に「Kyoto Music Caravan」を開催してお客さまの反応はいかがでしょうか。

高野:お客さまにも大変喜んでいただいています。2023年度に開催した際「またぜひ開催してほしい」というお声を多くいただき、今回2年ぶりの開催へとつながりました。

松浦:前回のコンサート開催後、「来年も開催しますか?」と言われましたよ。可能なら定期的にやってほしいなと思いますね。
お盆はご先祖さんがお帰りになられるので、お寺にお参りしましょう、と昔から言われていますが、こんなに暑い時に外へ出ようとなかなか思わないですよね。
そんな時にコンサートのような楽しみが一つでもあると、「やっぱりちょっと行ってみようか」「じゃあちょっとお寺に行って手を合わせてみようか」に繋がってくるわけですよ。
ですので、そういうきっかけをいただけることは、非常にありがたいことです。
ぜひこれからも「Kyoto Music Caravan」を続けていただきたいと思います。

そして8月11日のコンサートでは、初めて聴く方も、前回来られた方も、より多くの方々にお越しいただき、ぜひ楽しんでいただきたいです。
今の時代、スマートフォンで簡単に写真や動画で思い出を残せる時代ですが、スマホに保存して終わるのではなく、心に残してほしいですね。

高野:そうですね。私たち京都コンサートホールにとっては、ホールから出て音楽を届けることも大事だなと思います。ぜひいろんな方にクラシック音楽を聴いていただきたいですし、公共ホールにとって使命の一つだと思います。
前回と今回、「Kyoto Music Caravan」で開催させていただく会場は、いずれも魅力的なところばかりです。そしてそのコンサートにご出演いただく、京都ゆかりの音楽家がこれだけいるということは、京都の魅力の一つだと思います。
これまで「Kyoto Music Caravan 2025」では、4回コンサートを開催しましたが、いずれも素晴らしいコンサートとなりましたので、これからのコンサートも楽しみで仕方ありません。

――本日はありがとうございました。8月11日に壬生寺本堂で開催する「金管五重奏コンサート」は、入場無料で事前申込不要です。皆さまのご来場をお待ちしております。

(2025年7月壬生寺にて)

★「Kyoto Music Caravan 2025」特設ページ

ピアニスト 永野英樹 インタビュー<前編>(2025.11.8 ピエール・ブーレーズ生誕100年記念事業 ブーレーズへのオマージュ)

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アンサンブルホールムラタ

今年生誕100年を迎えた、20世紀の偉大なる作曲家 ピエール・ブーレーズ。2009年には「京都賞」を受賞し、ここ京都コンサートホールで彼の作品が演奏されるなど、京都とも縁の深い人物です。

ブーレーズの生誕100年を記念して、オリジナル企画「ブーレーズへのオマージュ」を開催します(11月8日)。

本公演の出演者であり、ブーレーズが設立した世界屈指のアンサンブル「アンサンブル・アンテルコンタンポラン」の専属ピアニストとして、約20年もの間ブーレーズと活動を共にした永野英樹さんにインタビューを行いました。その内容を前編・後編に分けてお届けします。

 

【インタビュー前編:ブーレーズについて】

―――ブーレーズは作曲だけでなく、指揮や著述など、音楽家としてのさまざまな姿がありますが、永野さんにとってブーレーズはどのような音楽家ですか?

私にとっては指揮者というよりもむしろ、作曲家としてのイメージの方が強かったですね。というのも、私は純粋にオーケストラよりもピアノが好きだったので、ピアノの曲を聴く方が多く、指揮者としての彼の姿をあまり意識したことがありませんでした。

実際、私がアンサンブル・アンテルコンタンポランに入ってブーレーズと一緒に仕事をした際、「頼まれたら指揮をしているけれど、自分は作曲家だと思っている。自分から率先してやっているのは作曲だ」というようなことを言っていました。ただ、最終的には指揮の仕事の方がずいぶん多かった気がします。

アンサンブル・アンテルコンタンポラン
1976年にブーレーズが設立した、世界最高峰の現代音楽アンサンブル。
アンサンブルの活動や当時のエピソードなどは、2018年に開催した「京都コンサートホールのスペシャル・シリーズ『光と色彩の作曲家 クロード・ドビュッシー』」の永野英樹氏インタビュー
をご覧ください

 

―――永野さんが感じられていたブーレーズ像と、ブーレーズが思っていた自身の姿は一致していたということですね。

そうですね。もっと怖い人だというイメージがあったのですが、それは予想に反していましたね。例えば、有名人なのに、サインを求められたときは割と気軽に応じて話もしていました。街を歩いていても彼に気がつかず通り過ぎている人も結構いたと思います。そういう部分ではスター意識というものはなかったように感じています。

 

―――今の話だけでも、ブーレーズに対するイメージがずいぶん変わりました。

アンサンブル・アンテルコンタンポランはブーレーズ自身が作ったアンサンブルですので、他のオーケストラよりも、ホームみたいに思ってくださっていましたね。アンサンブル・アンテルコンタンポランのメンバーと接するときは、彼もおそらく他のオケの人たちと接するよりもリラックスしていたのではないかと思います。

 

―――アンサンブル・アンテルコンタンポランで、永野さんは専属ピアニストとして20年ほどブーレーズと一緒に活動されていましたが、印象に残っている出来事はありますか?

永野英樹

彼の作曲のスタイルでもあるのですが、晩年はワーク・イン・プログレス**のスタイルで作曲をしていました。常に作品が進行形であり、“いまのところこの形でとどめているけれど、今後見直して気持ちが変わったら変化していくよ”というようなスタイルです。

おもしろい出来事としては、3台のピアノと3台のハープ、そして3つの鍵盤打楽器のための作品《シュル・アンシーズ》にまつわる話があります。この作品の元となったのは《アンシーズ》というピアノ・ソロの作品で、コンクールの課題曲として書かれたものです。《アンシーズ》の段階では5分くらいの曲だったのですが、数年後、《シュル・アンシーズ》になった時には30分くらいの長さの曲になりました。そしたら今度は《シュル・アンシーズ》に触発されたのか分かりませんが、《アンシーズ》の曲の長さが10分くらいに増えたんですね。そしたらまた《シュル・アンシーズ》の方もさらに変化していって…。

《アンシーズ》と《シュル・アンシーズ》に関しては、一番初めのバージョンから居合わせていたので、曲がどんどん新しく変わっていく場面に立ち会えたことは、とても貴重な経験でした。ブーレーズと共にいなければこのような経験はできなかったと思いますね。

**ワーク・イン・プログレス
進行中の作品という意味。創作の過程を公開して、聴衆の反応を参考にしながら作品を創り上げていく手法。

 

―――作曲家の手により曲が変化していき、そしてその過程・変化を見聴きできるという経験は、現代音楽ならではですね。

演奏家が同じ作品を10年後、20年後に演奏した際に解釈が変わるのと同じように、作曲家が作品を変えていくのは当然というようなことも、ブーレーズは言っていましたね。考え方も変わるよ、って。

 

―――ブーレーズの作品を本人と共に演奏することもあったと思いますが、作品や演奏方法について言葉を交わすことはありましたか?

ピエール・ブーレーズ

ソロの作品を弾くときには直接聴いてもらい、アドバイスをもらったりしましたね。ソロの作品に限らず、“動きが大切”というブーレーズ独特の音楽の考え方がありました。面白かったのは、例えば早く弾くようなテクニック的に大変なところがあったとしても、それがずっと同じリズムで続くことはないんですね。必ずどこかでそのリズムを崩すところがあるんです。大変で複雑なリズムであってもずっとそれを繰り返していると定着し安定したものになってしまうのですが、ブーレーズはそれが嫌で、常に安定したリズムを崩すような動きを入れてくるんですよね。「魚が池で泳いでいるとき、ゆっくり泳いでいると思ったら急にスッと動くことがある。そういうイメージだよ。」とブーレーズが例えたことがありました。日本的だなと感じましたが、そういう時間や呼吸の考え方、音楽のとらえ方はブーレーズ本人だから説明できることであって、ブーレーズ以外には出せないイメージなのだろうなと思います。そういった出来事は他にもいろいろありました。ブーレーズと一緒に彼の作品を演奏することで、よりブーレーズの考え方を教えてもらったように思います。

 

―――プライベートでの親交はありましたか?

プライベートではなかったですね。ただ、彼はこれまで何人かいた(アンサンブル・アンテルコンタンポランの)音楽監督の誰よりも、私たちメンバーのそばにいてくれる方でした。例えば同じコンサートでソロやアンサンブルなど自分が指揮をしない曲があったとしても、必ず演奏を聴いていました。また彼がパリにいるときにアンサンブル・アンテルコンタンポランのコンサートがあると、必ず聴きに来ていました。そういう部分で、常にそばにいてくれている、という感じでしたね。

 

―――オーケストラと指揮者という関係よりも、仲間という関係性ですね。後編では今回のコンサートのプログラムについてお話を伺います。どうぞお楽しみに!

(2025年4月大阪にて 事業企画課 山元麻美)

 

ピアニスト トマシュ・リッテル 特別インタビュー(2024.03.09 The Real Chopin×18世紀オーケストラ 京都公演)

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インタビュー

2024年3月9日開催の「The Real Chopin × 18世紀オーケストラ 京都公演」では、2つのショパン国際コンクール優勝者をソリストに迎え、ショパンのピアノ協奏曲全2曲などをお届けします。《ピアノ協奏曲第2番》を演奏するトマシュ・リッテル氏は、「第1回ショパン国際ピリオド楽器コンクール」の本選で18世紀オーケストラと共演し、同曲を披露して見事優勝しました。

当公演に向けて、ピアニストで音楽ライターの長井進之介さんが行ったリッテル氏へのインタビューをお届けします。18世紀オーケストラや演奏する《ピアノ協奏曲第2番》、そしてショパンをピリオド楽器(作品が書かれた当時の楽器)で演奏する意義について語ってくださいました。ぜひ最後までご覧ください。


2024年3月、18世紀オーケストラと共に「The Real Chopin」と題したコンサートツアーを行うトマシュ・リッテル。第1回ショパン国際ピリオド楽器コンクールで第1位となった彼は、ピリオド楽器の音色を最大限に活かしながら、溢れる歌心とドラマティックな表現で魅せてくれるピアニストだ。そんな彼に、今回のコンサートに向けての意気込みを伺った。

「ご一緒させて頂く18世紀オーケストラは、伝説的なリコーダー奏者であるフランス・ブリュッヘンが結成したオーケストラであり、ピリオド楽器への熱い想いを持ったスペシャリストたちが集っています。コンクールの時にも共演させて頂きましたが、とても互いを尊重し合って演奏ができたことが印象に残っています。彼らの音色や柔軟な反応は本当に素晴らしいので、今回の共演もとても楽しみです」

第1回ショパン国際ピリオド楽器コンクール本選にて(C)The Fryderyk Chopin Institute

今回リッテルがソリストを務めるのはショパンのピアノ協奏曲第2番。若きショパンならではの華麗なテクニックと繊細な詩情が込められ、オーケストラとの緻密なやり取りも特徴的な作品だ。

「ショパンの作品をよく見ていくと、モーツァルトの影響を強く受けていると感じます。特に初期の楽曲はそれが顕著で、演奏の難しさにもつながっているところです。古典的なスタイルとロマンティックな音楽運びのバランスをうまくとっていかなくてはなりません。オーケストラとの共演においても、輝かしさと共に軽さ、やわらかさのある音色を作り出しながら対話をしていく必要があると思います」

さらに第2番とどのように対峙していくかについても語ってくれた。

「音楽というのはその時の経験などが大きく影響していくものだと思いますが、ピアノ協奏曲第2番は、特に初恋などショパンの内面と深く結びついたナイーヴな作品ですね。同時に、彼が愛したポーランドの民族色も強く表れています。これは特に第3楽章に見られるものです。かなり素直に彼の想いが反映された作品ですから、あまり作り込み過ぎず、正面から向き合って演奏していければと思っています」

今回のコンサートはショパンの時代のピアノである1843年製プレイエルが使用され、まさに「真実のショパン」に出会う絶好の機会だ。最後に、ピリオド楽器を使ってショパンを演奏するという事について、リッテルの考えを尋ねた。

「ショパン自身が即興を得意とし、様々な演奏法を探求していた人なので、一つの答えがあるわけではありません。ですから私はどのような方向から即興ができるか、ということを常に試しています。自由であり、あらゆる可能性が開かれていることこそがピリオド楽器演奏の醍醐味だと思うのです。そもそもショパンが生きていた時代、彼の音楽はいわゆる“現代音楽”でしたから、聴衆は常に新しいものに出会い驚いていたはず。私も皆さんに何か新鮮なものをお届けできるように演奏をしていきたいですね。京都コンサートホールの素晴らしい響きの中で、最高のオーケストラと共に演奏できることが今からとても楽しみです」

【取材・文】長井進之介(ピアニスト・音楽ライター)

 

The Real Chopin × 18世紀オーケストラ 京都公演」(2024/3/9)特設ページはこちら

 

京都市立芸術大学 副学長 大嶋義実×京都コンサートホール プロデューサー 高野裕子 対談<前編>(Kyoto Music Caravan 2023)

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京都市立芸術大学の新キャンパス移転と文化庁の京都移転を記念した一大クラシック音楽イベント「Kyoto Music Caravan 2023」。京都コンサートホールと京都市立芸術大学(以下「京都芸大」)、京都市、そして京都市交通局の4者共同主催のもと、開催しています。

4月29日の仁和寺でのコンサートを皮切りに、京都市11行政区それぞれの名所や観光地で無料コンサートを開催しており、多くのお客様にご来場いただいています。

10月1日に新キャンパスオープンを控える京都市立芸術大学。春・夏とさまざまな場所でコンサートを開催した「Kyoto Music Caravan 2023」も、いよいよ秋のシーズンに突入します。大学・イベント共にターニングポイントを迎える今、京都市立芸術大学副学長の大嶋義実教授と、Kyoto Music Caravan 2023のディレクターであり同大学出身者でもある京都コンサートホールプロデューサーの高野裕子による対談を実施しました。
前半・後半の2回にわたり、お届けします。

(聞き手:京都コンサートホール 中田 寿)

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