特別寄稿「フレデリック・ショパン、愛と青春の譜を歌うとき」(「ショパン!ショパン!!ショパン!!!」11月20日)

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京都コンサートホール

京都コンサートホール×京都市交響楽団プロジェクトVol.2「ショパン!ショパン!!ショパン!!!」(11/20)。
音楽専門誌などで執筆されている青澤隆明氏に公演の魅力についてご寄稿いただきました。ぜひご覧ください!


フレデリック・ショパン、愛と青春の譜を歌うとき
青澤隆明(音楽評論)

 ショパン・コンクールの年がめぐってきた。昨年の予定がCovid-19の全世界的影響下で1年延期されたが、ショパンの命日をはさんで本選が行われる。そろそろ一世紀にも近づくワルシャワの大舞台で、古今東西の若者たちの青春もさまざまに輝いてきたことだろう。

 育ち盛りの若者にとって1年という時間はとても大きい。フレデリック・ショパンならば、1年のうちに2曲のピアノ協奏曲ほかを書き上げ、もう1曲 「華麗なるポロネーズ」に着手するだけの時間だ。20歳そこそこの青年だった1830年前後、ポーランドでの最後の時節の出来事である。

 ワルシャワでの告別演奏会で、ショパンは作曲したばかりのホ短調協奏曲を披露した。万感の思いだったろう。そこには、若者の希望や理想があり、純粋さがあり、恋慕も憧憬も、憂鬱も焦燥もあった。そして、なにより、未来があった。

 ショパンのオーケストラを用いた作品は6曲が完成されたが、いずれもピアノが主役で、作曲家自らが演奏した。ピアノはショパンの魂であった。鍵盤で織りなすポーランドの種々の民族舞曲は、愛する人々との絆でもあり、純化された愛国の精神でもある。それから、時を超え、世界中の人々の手で奏でられるようになった。

 そのうち今日までもっとも愛される3つの名品が、ひとつのコンサートで味わえる。しかも3人の若いピアニストの手による競演のかたちで。贅沢な話である。幅広く活躍する実力派デリック・イノウエが指揮をする。 京都コンサートホールと京都市交響楽団の意欲的な企画だ。

實川 風(c)Yuki Ohara
福間洸太朗(c)Marc Bouhiron
ニュウニュウ(c)Chris Lee

 

 

 

 

 

 

 三者三様のピアニストは、まさに男盛りともいうべき年頃の、それぞれに主張をもつ青年たちである。實川風が「アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ」、福間洸太朗がピアノ協奏曲第2番ヘ短調を、ニュウニュウは第1番ホ短調を弾く。つまり、ピアニストはそれぞれ若く個性豊かで、しかし作曲当時のショパンの年代は過ぎている。もし青春のさなかだとしても、時を振り返るだけの余裕が、心理的にも技術的にもあるはず。そして、音楽は見果てぬ愛だ。

 革命前夜のワルシャワを離れても、ショパンの心は愛するポーランドの人々とともにあった。協奏曲は故国で未来への展望を託した夢でもあり、生来リアリストのシビアな性格をもつショパンにして、そこではきわめて甘美な心情がナイーヴに語られている。そして、ポロネーズは言うまでもなくポーランドの誇りであり力である、しかも“ブリランテ”だ。“輝かしい”青春は、未来へと手を伸ばすピアニストの演奏でこそ、清く鮮やかに生きられるべきもの。

 こうして、ショパンの青春の譜を3曲続けて訪ねることは、聴き手にとっても、失われた、いや、決して失われるはずのない、若き愛と青春の旅立ちを謳うひとときとなるだろう。


青澤隆明(音楽評論)
1970年東京生まれ、鎌倉に育つ。東京外国語大学英米語学科卒。高校在学中からクラシックを中心に音楽専門誌などで執筆。新聞、一般誌、演奏会プログラムやCDへの寄稿、放送番組の構成・出演のほか、コンサートの企画制作も広く手がける。主な著書に『現代のピアニスト30-アリアと変奏』(ちくま新書)、ヴァレリー・アファナシエフとの『ピアニストは語る』(講談社現代新書)、『ピアニストを生きる―清水和音の思想』(音楽之友社)。


★京都コンサートホール×京都市交響楽団プロジェクトVol.2「ショパン!ショパン!!ショパン!!!」(11/20)の公演情報はこちら

【兵士の物語*出演学生特別インタビュー】<後編>

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京都コンサートホール

京都コンサートホールでは、ストラヴィンスキーの没後50年に際し、彼が残した傑作のひとつ《兵士の物語》を上演します(10/16)。今回、演奏をつとめるのは、関西の音楽・芸術大学7校から集結した学生たち。各楽器の聴きどころ、公演への意気込みなどをメンバーにインタビューしました。
前編では、弦楽器・木管楽器を演奏する奏者4人をご紹介します。ぜひ最後までご覧ください!

<インタビュー内容>
① 《兵士の物語》の作品紹介と注目ポイントを教えてください。
② 第一線で活躍する指揮者の広上淳一氏・大蔵流狂言師の茂山あきら氏と、各大学から選ばれたメンバーが集結して共演することへの意気込みを教えてください。
③ この作品はいまから約100年前、第一次世界大戦やスペイン風邪のパンデミックで世界が苦境に陥っているなか誕生した作品です。現在わたしたちを取り巻く状況と非常に似通った作品背景を持つ《兵士の物語》ですが、コロナ禍でこの作品を演奏する意義を教えてください。

後編の一人目は、トランペットを担当する大阪芸術大学演奏学科4年生の川本志保さんです。川本さんは、大学で勉強する傍ら、堺市・スクールサポーターで学校の吹奏楽部を指導、地域のコンサートで依頼演奏もするなど幅広く活躍しています。「兵士の物語」で活躍の場が多いトランペット。川本さんの演奏にご注目ください!

川本志保(大阪芸術大学)

① 1918 年に発表された舞台作品で、管弦打楽器のアンサンブルが語り手と合わせて演奏するというような形を取っています。今回は、トランペットとコルネットを両方使い、クラリネットやヴァイオリンが演奏するような細やかなパッセージがあるのも、数ある難所の一部です。また、各楽器による様々なフレーズや変則的なリズムなどが複雑に掛け合わさって物語を彩っているので、そこを聴いていただきたいです。
② 今からすでに緊張しているのですが、プロの音楽家と一緒に仕事ができることは本当に凄い事なので、必死について行きたいです。他大学の学生の方々と共に演奏できる機会も昨年からは少なくなり、この機会は貴重だと思っているのでとても嬉しいです。
③ 未曾有の事態に巻き込まれた昨今、感染症が私達の生活にこんなに影響するとは思いもしませんでした。ですが、この作品あるいは音楽を通して約100 年前の世界の人々と同じく苦境を乗り越えて生きていける、という意義があると思います。

続いて二人目は、トロンボーンを演奏する京都市立芸術大学音楽部3年生の野口瑶介さんです。京都で生まれ、京都堀川音楽高校を卒業し、現在も京都で研鑽を積む野口さん。京都コンサートホールはとても思い入れのあるホールとのこと。これまで、日本クラシック音楽コンクールなどで多数上位入賞を重ね、現在は京都市交響楽団首席トロンボーン奏者の岡本哲氏に師事しています。トロンボーンの聴きどころを語っていただきました。

野口瑶介(京都市立芸術大学)

① 冒頭、トランペットとトロンボーンの軽快な旋律で物語が幕を開けます。トロンボーンの聴きどころは第2部「王の行進曲」。長く病に苦しむ王女を助けるべく、軍医を装って王の元へと向かう兵士ジョゼフの勇ましさが、トロンボーンの力強いメロディーで表現されます。
② 日本が誇るマエストロ、広上淳一さんと共演させていただけますことは大変光栄です。語り手に狂言師の茂山あきらさんといった、普段のクラシック音楽では味わうことのできない、異文化との融合も非常に楽しみにしています。大学の垣根を越えた学生7人によるアンサンブルで、共にこの難曲に挑みます。
③ 長期にわたる緊急事態宣言や外出自粛により、大勢の音楽家が演奏機会を失いました。幸いにも、まだ学生である私は、自身の音楽を見つめ直す機会となり、1ステップ成長することができました。演奏機会があるということ、聞いてくださる方々がいることの幸せを噛み締め、文化芸術に対する理解への感謝を忘れずに、音楽に取り組んでいきたいと思っています。

室内楽アンサンブル、最後のメンバーは、打楽器を担当する大阪教育大学大学院音楽研究コース2年生の清川大地さん。清川さんは、クラシック音楽だけでなく、マルチパーカッション(複数の打楽器のみで楽曲が構成され、ひとり演奏する分野のこと)と呼ばれる演奏も研究されています。独奏やオーケストラ、吹奏楽など様々な分野でも意欲的に活動する清川さん。ストラヴィンスキーの味わい深い音楽をうまく引き出してくれるでしょう。

清川大地(大阪教育大学大学院)

① この作品には、7種類の打楽器が用いられ、それらを所狭しと並べて、ひとりの奏者で演奏します。それぞれの楽器によって、素材や楽器の大きさ、つくりや奏法も違うため、同じ力で叩いても発せられる音量が異なります。それらをひとつのフレーズに聴こえさせるには、繊細なタッチや、適切な力のコントロールなど、高度な技術が求められるといえます。
② この演奏会に大学を代表して出演させていただけること、大変嬉しく存じております。学生という身分に甘んずることなく、第一線でご活躍されている広上さんや茂山さんと同じ土俵に立つんだという意気込みで、責任と覚悟を持って挑みたいと考えます。また、このプロジェクトを通して、他大学の学生との繋がりを実感しています。ひとつの舞台を作り上げる仲間として、また、同じ職業を志す同志として、この繋がりは大切にしていきたいです。
③ 現在と似た境遇の時代を生きたストラヴィンスキーは、世界をどのように観ていたのか。私はそれを、作品に滲み出た独特で不気味とも言えるテイストから想像します。どこか暗い夢を見ているかのような世界観のこの音楽で、何を伝えたかったのか。夢の中の実在しない奇妙な世界で起きているような、各時代のパンデミック。作曲者自身も、現実とは思い難い、そんな苦悩を感じていたのではないでしょうか。作品の背景を知ったり、それらを学ぼうとする姿勢自体が、大変意味のあることだと私は考えます。

以上、前編と後編にわたり、「京都コンサートホール presents 兵士の物語」に出演する室内楽アンサンブル7名をご紹介しました。関西の音楽・芸術大学7校から選ばれたメンバーが集結し演奏する機会はなかなかありません。10月16日はぜひ、京都コンサートホールまで足をお運びください!

《兵士の物語》公演情報はコチラ

【兵士の物語*出演学生特別インタビュー】<前編>

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京都コンサートホール

京都コンサートホールでは、ストラヴィンスキーの没後50年に際し、彼が残した傑作のひとつ《兵士の物語》を上演します(10/16)。今回、演奏をつとめるのは、関西の音楽・芸術大学7校から集結した学生たち。各楽器の聴きどころ、公演への意気込みなどをメンバーにインタビューしました。
前編では、弦楽器・木管楽器を演奏する奏者4人をご紹介します。ぜひ最後までご覧ください!

<インタビュー内容>
① 《兵士の物語》の作品紹介と注目ポイントを教えてください。
② 第一線で活躍する指揮者の広上淳一氏・大蔵流狂言師の茂山あきら氏と、各大学から選ばれたメンバーが集結して共演することへの意気込みを教えてください。
③ この作品はいまから約100年前、第一次世界大戦やスペイン風邪のパンデミックで世界が苦境に陥っているなか誕生した作品です。現在わたしたちを取り巻く状況と非常に似通った作品背景を持つ《兵士の物語》ですが、コロナ禍でこの作品を演奏する意義を教えてください。

まず一人目は、ヴァイオリンを担当する相愛大学大学院音楽研究科2年の芝内もゆるさん。芝内さんは、大学院でヴァイオリンとヴィオラを専攻し、今年の秋には大阪のザ・フェニックスホールで「ヴァイオリン・ヴィオラリサイタル」(10/3)を開催するなど、精力的な活動をなさっています。2つの楽器の特性や違いを研究することにより相乗作用が生まれ、新しい発見の日々だそうです。ヴァイオリンが主軸となる「兵士の物語」。ヴァイオリンの多彩さを存分に引き出す、ストラヴィンスキーならではのリズムや音型、そして芝内さんの演奏に期待が高まります。公演にかける想いを伺いました。

芝内もゆる(相愛大学大学院)

① 兵士の物語には、たとえお金に恵まれていたとしても心は空虚であり、音楽は人の心を満たす力を持っているというメッセージが込められています。ヴァイオリン奏者からみた本作の注目ポイントは、やはり第2 部の”3 つの舞曲”ではないでしょうか。悪魔が踊り狂う様子を、ヴァイオリンによる技巧的な演奏で表現します。
② 広上さんに茂山さんといった、どこか遠い存在に感じていた素晴らしい方々と共演できるということで、高揚感と緊張感で今から胸がいっぱいです。また他大学の皆さんとのアンサンブルは、同じ関西に居てもなかなか機会がなかったのでとても楽しみです。今回は全員が異なる楽器ということもあり、それぞれの良い個性がぶつかり合う面白いリハーサルになると思っています。
③ 新型コロナウイルスの出現によって、芸術の存在意義について考えさせられる場面が、これまでに沢山あったかと思います。様々な分野で苦渋の決断を迫られるなか、音楽、そして芸術分野の存在意義を題材にしたこの作品と向き合うことができるのは、音楽家を志す私にとって大変意義深い経験になると思います。

続いて二人目は、コントラバスを演奏する同志社女子大学学芸音楽部音楽科(2021年3月卒業)の才野紀香さんです。才野さんは中学校の吹奏楽部でコントラバスに出会ったそうです。大学在学中は、当ホールで開催される「関西の音楽大学オーケストラ・フェスティバル」に出演、今年の4月には岡山県新人演奏会に出演するなど活躍しています。「兵士の物語」でたびたび複雑な変拍子が出てきますが、コントラバスは皆のリズム感を支える重要な役割を担っています。作品の聴きどころを教えていただきました。

才野紀香(同志社女子大学卒)

① この作品は少人数・低予算、かつ狭い場所でも興行できる作品として作られました。コントラバスのパートは、兵士や悪魔の足取りを表現されているようにも聴こえます。複雑な変拍子や、少人数だからこそ表現のできる兵士の表情にも是非ご注目いただきたいです。
② この演奏会に出演させていただける事、とても嬉しく思っています。共演する方々と共に、いい作品を作りあげられることを楽しみにしています。
③ 当時は、パンデミックにより作品を各地で演奏することができなかったそうです。今この状況の中で演奏するに当たって、このコロナのパンデミックに打ち勝つという願いを込めたいです。

続いては、木管楽器です。クラリネットを担当するのは神戸女学院大学音楽部4年生の久保田彩乃さん。久保田さんは、中学校でクラリネットを始め、3年連続「全日本吹奏楽コンクール」に出場。高校在学時にはコンサートミストレスを務めていました。現在は大学でさらなる研鑽を積む傍ら、音楽教室の講師もなさっています。この作品では、冒頭から技巧的なクラリネットが多く登場します。久保田さんのソロ部分にもぜひご注目ください!

久保田彩乃(神戸女学院大学)

① この作品では、クラリネットはA 管とB♭管の二種類の楽器を使って演奏します。A 管はB♭管に比べて管の長さが長いため、特有の深みのある音色がします。クラリネットが活躍する曲(パストラルや小さなコンサート等)で、二種類の楽器の違いをお楽しみください。
② 「兵士の物語」をこの豪華なメンバーでできることに幸せを感じています。広上さんの指揮で演奏することも初めてなので楽しみです。このメンバーでの最高のパフォーマンスをお届けしたいです。
③ コロナ禍でも足を運んでくださるお客様に、勇気と感動を与えられることが私たちのできる精一杯だと考えています。「兵士の物語」とこの今の状況を思い合わせながら演奏します。

インタビュー前編、最後はファゴットを演奏する大阪音楽大学大学院音楽研究科1年生の浜脇穂充さんです。浜脇さんは、これまでザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団とモーツァルトのファゴット協奏曲を共演、大学卒業時には卒業演奏会に出演・優秀賞を受賞するなど活躍されてきました。今年3月にはソロ・リサイタルを開催されるなど、ソロ奏者としても精力的に活動しています。この公演にかける学生たちそれぞれの意気込みを、ぜひ最後までご覧ください!

浜脇穂充(大阪音楽大学大学院)

① 本作は初演当時、多くの芸術家が経済的困窮にあった時代背景から、そんな状況でも上演できるというコンセプトのもとに誕生しました。「3つの舞曲」や「悪魔の踊り」などで度々登場するファゴットの技巧的なパッセージに、是非ご注目いただきたいです。
② 今回の出演オファーをいただき、広上先生や茂山さんはもちろん、関西で活躍する同世代の名プレイヤーたちとご一緒できることをとても光栄に思っています。今この時代の若手演奏家だからこそ作り出せる演奏の熱量を武器に、本作と向き合っていければと思います。
③ 本公演の開催が、現在のこの膠着状態を打開するためのひとつのエネルギーになればと考えています。目に見えないものと闘う中で、人々の心に寄り添えるような舞台を作ると同時に、苦しいときに何かができるプレイヤーでありたいと思っています。

以上、今回は弦楽器・木管楽器を担当する4人にお話を伺いました。後編では、金管楽器と打楽器の3人をご紹介します。

▶《兵士の物語》公演情報はコチラ
https://www.kyotoconcerthall.org/powerofmusic2021/#soldat

伊東信宏さん・三ッ石潤司さん・三輪郁さん オンライン・インタビュー(2021.10.02ラヴェルが幻視したワルツ)

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アンサンブルホールムラタ

10月2日(土)15時開催「ラヴェルが幻視したワルツ」(京都コンサートホール アンサンブルホールムラタ)。出演者の伊東信宏さん(監修・レクチャー)、三ッ石潤司さん(ピアノ・作曲)、三輪郁さん(ピアノ)にオンライン・インタビューを実施しました。

お三方共に旧知の仲でいらっしゃるということで、非常に濃い内容のお話を伺うことができました。ぜひ最後までご覧ください。

――今日はお忙しい中、お集まりいただきありがとうございます。まずは監修してくださった伊東さん、本公演のコンセプトについて教えていただけますでしょうか。

伊東信宏(監修・レクチャー)

伊東信宏さん(以下敬称略):コンセプトの中心にあるのは、ラヴェルの《ラ・ヴァルス》という曲です。
    コロナ禍が始まった頃、フランソワ=グザヴィエ・ロトが指揮する《ラ・ヴァルス》の映像がYouTubeにアップされたのですが、それを観てピンとくるものがありました。
    ラヴェルが《ラ・ヴァルス》を作曲したのはスペイン風邪のパンデミック下、今からちょうど100年前のことです。コロナ禍の今こそ、この作品を演奏すべきなのではないか、と思うようになりました。
    ラヴェルという人は、非常にシャイな人で、本音を言いたいときでも誰かのふりをしてしか言えないタイプ。《ラ・ヴァルス》も“ウィンナ・ワルツのふりをして”、自分の表現したいことを表現している曲なのだろうと昔から思っていました。
    《ラ・ヴァルス》の中には、ウィンナ・ワルツの断片みたいなものがたくさん出てきますが、それらはくっきりとは見えてこず、全部に紗がかかったかのように聞こえます。
    そういった「ウィンナ・ワルツの断片」を寄せ集めて、「紗幕の向こうにあるワルツ」を再構成してみたくなりました。つまり、《ラ・ヴァルス》から「本物のウィンナ・ワルツ」を仕立てるというような事をしたら面白いんじゃないかなと思ったのです。
    どなたにお願いしようかと考えた時、すぐに三ッ石さんのお顔が思い浮かびました。三ッ石さんはウィーンに長年住まれておりましたし、「ウィーンのインサイダー」とも言える人です。三ッ石さん自身がちょっとラヴェルに似たシャイなところがあって、でもこういう形の曲なら乗ってくださると思ってお願いしてみたら、快諾してくださいました。

三ッ石潤司さん(以下敬称略):即答しましたよ、やります!と。

伊東:快諾してくださって、とても嬉しかったです。三ッ石さんはピアノの名手でもありますので、新作委嘱と一緒に《ラ・ヴァルス》の演奏もお願いしました。この作品はピアノ・デュオですから、ピアニストが2名必要です。そうなると、やはりウィーンに長年住まれている三輪郁さんにお願いするしかないなと思い、打診しました。三輪さんにもご快諾いただき、よかったです。

三ッ石:三輪さんには僕の弾けないところを全部カバーしてもらおうと思っています(笑)

三輪郁さん(以下敬称略):いやいや、それはこちらのセリフです(笑)

伊東:こうなったらせっかくなので、音楽会として単純にウィンナ・ワルツを楽しんでもらうような面も必要だと思い、シェーンベルクとウェーベルンが室内楽版に編曲した、ヨハン・シュトラウスII世のウィンナ・ワルツなどもプログラミングしました。

――三ッ石さんの委嘱作品《Reigen(輪舞)―― La Valse の原像》について教えてくださいますか。

三ッ石潤司(ピアノ・作曲)

三ッ石:僕はもともとパロディという精神がすごく好きなんです。
    そもそも作曲っていうのは、最初は模倣から入るものだと思います。ですので、「様式を理解する」ということと、「それを模倣して曲を書く」ということは、作曲家としても演奏家としてもすごく重要なことなのではないかと考えています。
    作曲家としてパロディを書くということは、とても面白いことです。「どーだ!良く似ているだろう」ってドヤ顔もできるしね(笑)。
    だから今回、伊東さんから委嘱作品のお話をいただいた時、「面白そうだな」と思いました。もちろん、「いいものができるかな」と不安にはなりましたが。

――ラヴェルの《ラ・ヴァルス》でも、三ッ石さんの《Reigen(輪舞)――La Valseの原像》でも要になる「ウィンナ・ワルツ」について教えてくださいますか。

三輪:ウィンナ・ワルツの最大の特徴は、「ウン・チャッ・チャ」というように3拍が均等に演奏されず、「ウ・チャッッ・チャ」というように2拍目が通常より早いタイミングで入るんですよね。
    1980年代の終わり頃にウィーンで勉強していたのですが、実際に現地の舞踏会に呼ばれたことがありました。綺麗なドレスを着て壁の花になっていたら、地元の知らない青年がやってきて、私の手を取って一緒に踊ってくれました。周りの人たちの動きを真似ながらステップを踏んでいると、2拍目の間にドレスがひるがえることが分かったり、あるいは、それまで右回りで踊っていたのに左回りに変わった瞬間に「間」が誕生することが分かったり、だんだん回転のスピードが増していく等といったことを体感できました。ウィンナ・ワルツ特有のリズムは、舞踏会の場で必然的にそうなったのだということが分かりました。
    あともう一つ、ウィンナ・ワルツの拍節感に関する体験談があります。
    私たちにとっては少し早いタイミングに感じられる2拍目ですが、ウィーンの音楽家たちは「普通に弾いている」らしいのです。彼らと共演する時、2拍目のダウンボウ(上から下に弓を下ろす)や3拍目のアップボウ(下から上に弓を上げる)で自然と勢いが出たり、弓の動きが突き上げられたりするのですが、そこにワルツの回転が加わり、ウィンナ・ワルツ独特のテンポ感や抑揚が生まれていました。その自然な動きの中からウィンナ・ワルツの拍節感が生まれていたのです。

三ッ石:三輪さんはすごく丁寧にウィーン人の3拍子の説明をしてくれましたが、実はウィーンの人たちはそう言いながらも違うことを考えているのではないかなと思ったりもします。確かに理論的にはそうなのですが、彼らはおそらく理論では生きていない(笑)。そこがまたウィーンの面白さじゃないかなと思います。

――それでは続いて、コンサートのメインである《ラ・ヴァルス》についてお伺いします。今回はピアノ2台版で演奏していただきますが、ピアニストからみた《ラ・ヴァルス》とはどんな曲ですか?

三輪郁(ピアノ)

三輪:《ラ・ヴァルス》は、私にとってずっと憧れの曲でした。
だけど、絶対弾けないと思っていて、これまでずっと遠ざけていた曲なんですよね。
    忘れもしないのですが、三ッ石さんにピアノを始めて聴いてもらった時に「音色的にラヴェル。ドビュッシーっていうかラヴェルかもね。」と言われた事がありました。

三ッ石:え、そうなの。

三輪:その当時、自分にはどちらかというとドビュッシーの方が合っていると思っていました。でも、三ッ石さんからそう言われたので、ラヴェルを何曲か弾いてみました。ラヴェルの世界って、スペイン的な要素がありますよね。モヤッとした響きの中にきらきら感を感じたり、陰影みたいなものを感じたり。そういったものをお洒落に表現できるといいのかな、とは考えていました。私の父はトロンボーン奏者なのですが、オーケストラで奏でられるラヴェルの音楽を聴いたら、もう圧倒されちゃって。それをコンパクトにまとめたピアノの世界で、それも一人で全部やるなんて、そりゃ無理よって思っていましたが、「オーケストラみたいな音で、ラヴェルのピアノ作品を弾けたらいいな」とはずっと思っていました。
    だから今回、この演奏会のお話をいただいた時は、ものすごく嬉しくって。すごくワクワクしています。しかも、今回パートナーとして、三ッ石さんと一緒にできるっていうのは、もうめちゃめちゃ楽しみです。

三ッ石:僕がまだ大学生の頃、アルゲリッチが弾く《夜のガスパール》の録音を聴いた時に、「こんな事がピアノでできるんだ」と驚きました。あまりに驚いたので、実際に楽譜を買ってみて弾いてみたのですが、「なるほどこんなふうになっているのか」という箇所がたくさんありました。おそらくアルゲリッチは、ただシンプルに演奏しているのではなかったのだと思います。一種の「手品」ですよね。手品として成立するくらいの腕前が、ラヴェルのピアノ作品には必要なんです。
    ラヴェルのピアノ音楽は弾きやすくはないのですが、弾けるようには書いてある。そこがラヴェルのずるいところです。「これ弾けないとだめでしょ?」という、ギリギリのラインで書かれているので、僕らはそれに翻弄されるというか……。どうしても完璧に弾かないとまずいな、という気分にさせられますね。

――それでは最後に、公演にお越しくださるお客様へメッセージをお願いします。

伊東:まずウィンナ・ワルツの楽しさ、そしてラヴェルの魅力が伝わればと思います。それをお客様が色々な角度で楽しんでいただけると嬉しいです。色んな楽しみ方をしていただければ、と思います。

三ッ石:今回、プログラミングされている作品すべて、サービス精神旺盛な曲ばかりです。難しいことですが、表面的には楽しい曲ではあるけれど、その裏にどこか一抹の腐敗みたいなものを見せることができればいいなと思います。

三輪:変幻自在に変わっていく響きの面白さ、あとは色合いを楽しんでいただきたいです。ウィーンの自由さの中には、たくさんの色合いが存在します。例えばウィーンのオペラ座では、歌い手によって伴奏の仕方を変えています。そういうことを毎日やっているような人たちがいる国なので、その日・その時・どう弾きたいか、舞台上でいきなり変わるかもしれません。ウィーンにはそういった面白さがあります。
    今回のコンサートでは、そういった面白いことを仕掛けられる作品がたくさんプログラミングされています。舞台の演奏者が楽しんでいる空気感がお客様に波及するくらい、楽しいステージになるといいなと思います。

伊東:京都のお客様ですから、きっとそういう演奏を楽しんでくださる方も多いんじゃないかなと思います。

――興味深いお話をたくさんお聞かせいただき、本当にありがとうございました。
我々もコンサート当日を楽しみにしております。

 

 

洛和会ヘルスケアシステム 特別インタビュー(「The Power of Music~いまこそ、音楽の力を~」開催に寄せて)

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アンサンブルホールムラタ

京都コンサートホールがお送りする特別な4公演のシリーズ『The Power of Music~いまこそ、音楽の力を~』。
本シリーズは、新型コロナウイルス感染症で大変な今だからこそ、音楽の力を信じて前に進みたい――そんな思いを込めて企画いたしました。

いよいよ10月2日「ラヴェルが幻視したワルツ」(京都コンサートホール アンサンブルホールムラタ)からシリーズがはじまります。

開催に向けて、本シリーズのサポーターである洛和会ヘルスケアシステム様に、メールインタビューを行いました。お答えくださったのは、12月4日「クリスマス・コンサート」(大ホール)のプレコンサートに出演される、和田義孝さん(洛和会京都音楽療法研究センター次長・音楽療法士)です。

ぜひご覧ください。

――長年、京都で「医療」「介護」「健康・保育」「教育・研究」の4本柱で人々の暮らしを守ってこられた洛和会ヘルスケアシステム様ですが、1990年代から「音楽療法」を積極的に取り入れられています。医療の現場から見た「音楽の力」について教えていただけますでしょうか。

和田義孝さん

和田義孝さん:みなさんも音楽を聴いて自然に足や体が動いたことや、ひと昔前の音楽を耳にするとそれを聴いていた時の状況や情景を思い出したご経験などおありかと思います。いずれも音楽が働きかける力によるものだと考えます。
医療現場では、音楽療法士がその力を患者さんのニーズに応じて利用した音楽療法を行っております。病気により生きる意欲を失われた患者さんが音楽療法を通して新しい楽器と出会い、楽器の演奏を通して少しずつ自信や意欲を取り戻されたこともありました。またリハビリスタッフと連携して、好きな音楽を歌唱、鑑賞しながらリハビリを行うこともあります。このように「音楽の力」はさまざまな形で医療現場において活用されています。

 

――洛和会ヘルスケアシステム様が応援してくださる本シリーズ『The Power of Music~いまこそ、音楽の力を~』では、コロナ禍だからこそお客様に聴いていただきたい作品を集めています。音楽を通して、アフター・コロナをお客様とシミュレーションしてみようという試みです。
洛和会ヘルスケアシステム様の当シリーズに対する想いや、ご出演いただく「クリスマス・コンサート」のプレコンサートへの意気込みを教えていただけますでしょうか。

和田義孝さん:コロナ禍であっても新しい音楽は常に生まれ続けています。この1年間で、リモートでの多重録音による音楽制作、オンラインを活用した音楽配信など、新しい音楽制作や演奏形態が生まれました。音楽が私たちの生活の中に無くてはならない存在だからだと思います。過去にも世界でこのような危機的な状況が幾度と起こりましたが、音楽は絶えませんでした。そのような状況は作曲家や作品にも何らかの影響を与えていると思います。
『The Power of Music~いまこそ、音楽の力を~』では、4つのコンサートを通して過去を振り返り、そしてアフター・コロナの世界を考えるきっかけとなる大変興味深いプログラムだと思います。
シリーズ最後のクリスマス・コンサートでは、洛和会京都音楽療法研究センターがプレコンサートに出演させていただくことになりました。音楽療法で使用している楽器なども取り入れて、当センターならではの楽しいプログラムにできればと考えております。

※プレコンサートは、当日14:15よりステージ上で予定(クリスマス・コンサートのチケットをお持ちの方のみご覧いただけます)。

——最後に、このコンサート・シリーズにお越しになられるお客様へ、一言メッセージをいただけますでしょうか。

和田義孝さん:コンサートホールで聴く生の音楽は、耳で聴くだけではなく、目で演奏者の様子を見たり、体で音の振動を感じたり、演奏者や指揮者の緊張感を一緒に味わったりと、五感で楽しむことができます。クラシック音楽に対して堅苦しいイメージを持っている方もいらっしゃるかと思いますが、気軽にコンサートホールにお越しいただき、音楽のいろいろな楽しみ方や、新しい音楽との触れ合いを体験していただけたらと思います。

* * *

「The Power of Music~いまこそ、音楽の力を~」特設ページ

ラヴェルが幻視したワルツ(10/2)
京都コンサートホール presents 兵士の物語(10/16)
オピッツ・プレイズ・ブラームス~withクァルテット澪標~(11/13)
京都コンサートホール クリスマス・コンサート(12/4) ※プレコンサート(和田義孝さんご出演)

特別寄稿「ラ・ヴァルス」に映る旧世界(「ラヴェルが幻視したワルツ」)

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京都コンサートホール

音楽家が見た世界をウインナ・ワルツであぶり出す「ラヴェルが幻視したワルツ」(10/2開催)。
今回の公演を監修していただき、コンサート当日にはレクチャーしていただく、音楽学者の伊東信宏(大阪大学大学院教授)さんに、本公演のプログラムの要であるラヴェルの《ラ・ヴァルス》についてご寄稿いただきました。

「ラ・ヴァルス」に映る旧世界/伊東信宏

ラヴェルの「ラ・ヴァルス」というのは、捉えがたい曲です。「ウィンナ・ワルツ」へのオマージュだというだけあって、そこここからワルツの断片のようなものが聞こえてきます。それは時としてふるいつきたくなるほど魅力的に立ち上るのですが、それが全面的に展開されることはなく、奥の方でチラチラ見え隠れするだけです。そして、あの穏やかで甘い「ウィンナ・ワルツ」に基づいているにしては、「ラ・ヴァルス」にはどこか不穏なものが漂っています。特に後半、ワルツの回転は止まらなくなり、暴走を始めて悲鳴をあげ、最後には断ち切られるように終わります。どう見ても、どう聴いても、古き良き時代への賛歌などではありません。

そもそもこの曲は、はじめはあまり評判が良くありませんでした。当初は、ロシア・バレエ団の総帥ディアギレフがラヴェルに委嘱したバレエ音楽だったのですが、出来上がった曲を聴いたディアギレフは「これは傑作だがバレエじゃない、バレエの肖像画だ」と言ってこの音楽のバレエ化を断り、ラヴェルはディアギレフと仲違いすることになりました。同じ場に居て、このやり取りを聞いていたストラヴィンスキーは何も言わなかった、と伝えられます。

だが、時代が移り、1981年にカール・ショースキーが書いた闊達な書物『世紀末ウィーン』(邦訳の出版は1982年で、その後の「ウィーン世紀末」ブームの先駆けになった)では、この曲は冒頭に取り上げられて「19世紀世界の非業の死」を象徴する作品という役割を与えられています。私は曲を詳しく知る前からむしろこの評言が頭にあって、なるほどそういう曲なのか、と思ってはいたのですが、実のところあまり得心はゆきませんでした。最初に述べたように、実際の音楽を聴いてみると、魅力的なワルツの断片と不吉な加速についてラヴェルが本当のところ何を考えていたのか、感覚的に理解できなかったのです。

2020年にコロナ禍で家に閉じこもるようになってしばらくして、クサヴィエ・ロトが指揮する管弦楽版「ラ・ヴァルス」の映像を観て、ようやくピンと来るところがありました。—過去と現在との間に決定的な線を引かざるを得ない出来事が起こり、現在から見える過去が輝かしく、麗しく映る。と同時に、あの狂騒ぶりはやはりどこかおかしかったのではないか、という気もしてくる—ラヴェルは「ラ・ヴァルス」にそんな感覚を描こうとしたのではないでしょうか。

私にとっては、コロナ禍がその過去と現在との決定的な分割線となりました。ラヴェルの「ラ・ヴァルス」にとっては、第一次大戦(1914-18年)、ロシア革命(1917年)、スペイン風邪の流行(1918年から20年)、そして母の死(1917年1月)といったことがその分割線になったと思われます。ラヴェルは、母とヴァカンスを過ごしている時に第一次大戦勃発を知り、軍隊に志願しました。最初は体重が足りず入隊できなかったのですが、運転免許を取り輸送兵として志願し直して、実際に前線との輸送の任務に就いたのは1916年3月から翌年7月までです。激戦地ヴェルダンへの物資輸送という危険な任務で、多くの悲惨で不気味な光景を目にした、と伝えられています。ラヴェルの母は、この頃次第に弱っていったのですが、1917年1月に亡くなります。幼い頃から特別な愛情で結ばれていた母を失い、ラヴェルは葬儀で憔悴しきった姿を見せていた、といいます。

「ラ・ヴァルス」が書かれていたのは、まさにこの前後のことです。「ヨハン・シュトラウスへの賛歌」、ないし交響詩「ウィーン」という曲が1906年頃から構想されていて、これらが「ラ・ヴァルス」の前身と考えられていますが、本格的に作曲に取り掛かったのは1919年12月だったようです。前述のような様々な分割線の後、ラヴェルはさらに自身の胸の手術などもあって、創作意欲を取り戻すのに時間がかかったのですが、「ラ・ヴァルス」は復帰後始めての大作だったと言えます。最初にピアノ独奏版、2台ピアノ版が書かれ、管弦楽版が完成したのは1920年4月、先ほど述べたディアギレフなどへの試演会が行われたのは、同年5月のことでした。

そんなことを考えると、ラヴェルが「ラ・ヴァルス」で示した「旧世界」(「1855年頃のウィーン」と作曲者自身は書いています)への思いを、約100年後の我々がコロナ以前の世界に抱く思いと重ね合わせることはそれほど乱暴ではないのではないか、と思われます。我々と同じように、ラヴェルも「あの頃」を懐かしく、取り戻したく感じており、そして同時に現在から振り返ると「あの頃」がやはりどこか狂っていたと感じていたのではないでしょうか。そうだとすれば、「ポスト・コロナ」ないし「ウィズ・コロナ」の演奏会がまず真っ先に取り上げるべきなのは、この「ラ・ヴァルス」だと私は考えました。

三輪郁©Ryusei Kojima
三ッ石潤司

「ラ・ヴァルス」を聴き、ラヴェルが抱いた「旧世界」への複雑な感情に耳を澄ますこと。我々が失ったものを追悼し、そしてそれが暴走しはじめた地点を確かめること。10月2日の演奏会「ラヴェルが幻視したワルツ」では、そのような「ラ・ヴァルス」の2台ピアノ版を中心に据え、加えて「ラ・ヴァルス」が撒き散らす魅力的なワルツの断片を、実際の「ウィンナ・ワルツ」として仕立て直す作品を三ッ石潤司さんに委嘱初演します。三ッ石さんは長くウィーン音大で教えていた、ウィーンを内側から知る作曲家で、またこのようなパスティッシュ(模作)の名手でもあります。さらにラヴェルと同じ頃、ウィンナ・ワルツを別の角度から仕立て直していたシェーンベルクやウェーベルンの編曲で、ウィンナ・ワルツそれ自体も聴いてみる、というような趣向を凝らしました。演奏には三ッ石さんご自身のピアノの他に、やはりほとんどウィーン・ネイティヴとも言える三輪郁さん、そして谷本華子さんをはじめとする、筆者が最も信頼する演奏家たちが揃いました。毎日、感染者数を横目で見ながら、10月を心待ちにしている日々です。

 

 

 

伊東信宏(いとう・のぶひろ)

1960年京都市生まれ。大阪大学文学部、同大学院を経て、ハンガリー、リスト音楽大学などに留学。大阪教育大学助教授などを経て、現在大阪大学大学院教授(音楽学)。著書に『バルトーク』(中公新書、1997年)、『中東欧音楽の回路:ロマ・クレズマー・20世紀の前衛』(岩波書店、2009年、サントリー学芸賞)、『東欧音楽綺譚』(音楽之友社、2018年)、『東欧音楽夜話』(音楽之友社、2021年)など。ほかに訳書『月下の犯罪』(講談社選書メチエ、2019年)など。東欧演歌研究会主宰。

公演情報

Powe of Music 特設ページ

【ストラヴィンスキー没後50年記念】音楽学者 岡田暁生インタビュー<後編>

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京都コンサートホール

京都コンサートホールでは、ストラヴィンスキーの没後50年に際し、彼が残した傑作のひとつである《兵士の物語》(10/16)を上演します。また、関連講座として「ストラヴィンスキー没後50年記念レクチャー」も開催します。
レクチャーに先がけ、講師をしていただく京都大学人文学研究所教授の音楽学者 岡田暁生氏にインタビューを実施しました。後編では、《兵士の物語》の内容について興味深いお話を伺いました。
ぜひ最後までご覧ください!(聞き手:高野 裕子 京都コンサートホール プロデューサー)

▶前編はコチラ
/archives/2078

―――それではいよいよ本題の、ストラヴィンスキー作曲《兵士の物語》について教えてください。

この作品は、ストラヴィンスキーの亡命時代、第一次世界大戦最末期に書かれた作品です。その前年にロシア革命が起きて、ストラヴィンスキーは故郷に帰れなくなってしまったのですが、そのことを作品に投影していると思います。さらに言えば、スペイン風邪が猛威を振るい始めたのもちょうどこの頃。つまり、現在と状況が全く同じです。今年、京都コンサートホールが《兵士の物語》を選んだのは深い理由があると思います。マーラーなどの大きな編成で演奏される作品だったら厳しいけれど、《兵士の物語》だったら奏者間の距離も十分に取ることができるから大丈夫。あと、編成が小さいので経済的にも助かる。だから、この作品はいまにふさわしいんですよね。

―――なぜストラヴィンスキーは当時、この編成(ヴァイオリン・コントラバス・クラリネット・ファゴット・トランペット・トロンボーン・打楽器)で作品を書いたのでしょうか。

この時代、当時の作曲家にとって一番お金になったのは、まずはオペラ、次に交響曲。ですが戦禍にあった当時、新作なんてとんでもないという話だったし、オーケストラの楽員もみんな兵隊に駆り出された。そこにスペイン風邪が猛威をふるいはじめるわけでしょう?音楽家やオーケストラを集めるのにも一苦労したし、大体、誰がお金を出すのだという時代だった。コンサートホール、オペラ劇場が頼っていた、ゴージャスなブルジョワ階級をあてにできなくなった時、お金に困っていたストラヴィンスキーはスイス人のパトロンだったヴェルナー・ラインハルトの援助を受けて《兵士の物語》を作曲しました。オペラ劇場みたいに大金が集まってくるわけではなかったため、このような小さな編成の作品になったのです。

――さきほど、ストラヴィンスキーはこの作品に自身を投影したとおっしゃいましたね。

これは戦時休暇の話で、兵士は休暇をもらって故郷へ帰っていきます。当時の従軍兵士にとって何より辛かったのは、戦時休暇だったようです。なぜかというと、第一次世界大戦はまだ空爆などが盛んではなかった頃だったので、故郷に帰ると戦前と変わらない生活が待っていたんです。だけど、一方で自分たちは、戦場で異様な体験を重ねている。戦場と故郷とのギャップが耐え難いものだったのです。《兵士の物語》には、どこかで聴いたことがあるようなコラールやマーチなどが登場します。教会に入ればコラールが歌われているし、街の祭りではマーチが鳴り響き、ワルツが演奏されている。すべて日常生活の中で鳴っている音楽なんだけれど、なんだか変――これぞ、シュールレアリスムですね。コロナが起こってからのコンサート風景にも同様のことが言えます。コンサートに行くとコロナ以前と同じ風景が展開されているが、何かが違うという感覚です。

―――この作品のなかでストラヴィンスキーは「“幸せ”とは何か?」と問いかけています。

作品の途中、兵士が王女様と出会うシーンがあり、そこで非常に美しい「コラール」が流れるのですが、それが唯一の“幸せ”でしょうね。あの音楽だけが異様に美しいのです。ご存知の通り、ストラヴィンスキーはオーケストレーションの名手だったリムスキー=コルサコフの弟子でしたから、美しくゴージャスなサウンドを書くという点では師匠並みで、音楽史上最もオーケストレーションが巧みだった人物の一人です。しかし、《兵士の物語》の中で、感覚的に「あぁ美しい」と感じるのは唯一、あの一瞬だけ。それも幻覚なので、いずれ消えてしまうのですよ。

―――兵士と王女様が結婚し、幸せになって、はいお終い・・・と思いきや、最後の最後で悪魔が再登場し、2人の仲を引き裂きます。なぜあのシーンで、兵士は悪魔に抵抗しなかったのでしょうか。

それは演奏家の解釈によるでしょうね。でも、ストラヴィンスキーは非常にニヒルでクール、感情移入ゼロの人で、特に音楽に感情移入するのが大嫌いだったようです。ストラヴィンスキーは、リズムの解放を行い、音楽の終わりを見極めた人物だったとお話しましたが、それらを言い換えると「ロマン派と決定的に縁を切った最初の人だった」ということです。ロマン派的感性やロマン派的な音楽観というものを徹底的に排除し、「音楽=感動するもの」という、それまでの公式を決定的に否定したのです。これはとても大きいですね。

―――聴衆は「音楽」に「感動」を求めるのが常だと思うのですが。

《兵士の物語》を普通に聴いたら、訳が分からないと思いますね。
私は中学2年生の時、ストラヴィンスキーの三大バレエにはまりました。毎日、春の祭典からペトルーシュカまで、一通り聴かなければ何も他のことができなくなるくらい。そしてクラシック音楽好きだった父親に、ストラヴィンスキーの他の作品を尋ねた際、《兵士の物語》や《プルチネッラ》を薦めてくれました。当時、レコードは高価なものだったので、父親に買ってもらってそれらの作品を聴きました。でも、何にも分からなかった。訳が分からなかったのです。いまはその意味がよく分かるのですが、三大バレエは音楽の中に思い入れができる、感情移入ができる作品です。でも、この《兵士の物語》はそうさせてくれない。感情移入しそうになるところで、ストラヴィンスキーは全て外しにかかるのです。だから、感動しないからといって心配する必要はありません。

―――なぜストラヴィンスキーが「綺麗」でもなく「楽しい」わけでもない音楽を書いたか、その点を考えながら鑑賞すると聞こえ方も変わってくるかもしれませんね。

第一次世界大戦が始まる前のヨーロッパ、特にブルジョワ階級の人たちは、ゴージャスなロマン派の音楽に感情移入していました。しかし、第一次世界大戦により、そういうものを成立させていた世界がズタズタになったわけですよね。私たちもそう、コロナの出現により、それまで成立していた世界がズタズタになりました。そういった意味では、いまこそ《兵士の物語》に共感できるのではないかと思います。
現在、多くの人々の中で、「ホール=楽しそう」というイメージがびっくりするくらいイコールになっているように感じますが、私は音楽って「楽しい」ばかりではないと考えています。「音楽=感動=楽しい」というのがステレオタイプのようになり過ぎている気がします。

―――《兵士の物語》をプログラミングしたのは去年、コロナのパンデミックの最中でした。先行きがなかなか見通せない中で行き詰まった時、ちょうど100年前に起きたスペイン風邪のパンデミック下に書かれた作品に注目してみたのです。これらの作品をいま演奏することで、我々はこれから先をどう考えるのかというヒントになるかなと思いました。つまり、先人が残した作品を通して、アフターコロナをシミュレーションしてみたかったのです。しかし、それから半年ほど経ち、自分の意識も変わり始めました。この先、どうなるのだろう?何があるのだろう?と。アフターコロナの世界について、先生はどう考えていらっしゃいますか?

私はあの本(「音楽の危機――《第九》が歌えなくなった日」)を出すにあたって、この先どうなるかについて、具体的に細かくシミュレーションしました。例えば人気アイドルグループのような何万人も収容する公演はどうか、あるいは宝塚のような1,000人~1,500人規模だが熱狂的なファンがいる公演はどうか、またクラシックのようにコアなファンが意外とあまりいない社交的感覚を持つ公演はどうか、もしくはライブハウスでの公演はどうか。はたまた、コロナがあっという間に収束したらどうなるだろうか、とかね。
とある教え子に「ワクチン接種が早急に進むと、ベルリン・フィルやウィーン・フィルが次々と来日する世界は戻ってくるだろうか?」と聞いたら、「そういう世界は意外と早く戻ると思います。少なくとも東京はすぐに戻ってくるでしょう。ただ、このダメージは多方面において相当なものだと思います。その影響は、10年後15年後に初めてはっきりと目に見えてくるもので、そうなった時に“この現象はいつから始まったのだろう”と記憶をたどると、“ああ、あのコロナの時から始まっているのだ”と気がつくものではないでしょうか。」と言われました。これには「あぁなるほど」と思いましたね。

―――いま我々もコロナの影響を受けています。コロナ前に見られたようなホールの賑わいを取り戻すことができません。

ホールに聴衆を取り戻そうとする時、安易な話題性に頼ってはいけないと思います。そもそも、コロナ前から日本のクラシック業界というのは、話題作りに頼り過ぎていたかもしれない。話題で粉飾してみても、話題だから行っているという人が大半で、そういう人たちってあっという間に別の話題にいってしまう。まあ、そういったことも必要でしょうけど、一度聴いても「二度目はいらない」という人々もいる。確率で言えば、もう一度聴きたいと思う人は1割くらいでしょう。やっぱり、音楽を聴きに来た人に「これはまた来よう」と思わせるようなコンテンツがないと、聴衆が一時的に戻ったとしてもその時だけの話題性で終わると思います。単なる話題作りでは、所詮メッキが剥げやすいでしょう。

―――そういったことが、今回のコロナであぶりだされてきたと思います。これからホールがどういう音楽を作っていくかということも見えてきているような気がします。そして、お客様がそれをどう感じ、その後もホールに継続して来てくださるか。お客さんの審美眼を養うのも、我々ホールの役割のひとつだと思います。

今日は貴重なお話をいただき、ありがとうございました。

(2021年7月  京都コンサートホール  カフェ・コンチェルトにて)

 

▶【ストラヴィンスキー没後50年記念レクチャー】詳細はコチラ

https://www.kyotoconcerthall.org/powerofmusic2021/#lecture

▶【京都コンサートホール presents 兵士の物語】公演詳細はコチラ

https://www.kyotoconcerthall.org/powerofmusic2021/#soldat

 

【ストラヴィンスキー没後50年記念】音楽学者 岡田暁生インタビュー<前編>

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京都コンサートホール

京都コンサートホールでは、ストラヴィンスキーの没後50年に際し、彼が残した傑作のひとつである《兵士の物語》(10/16)を上演します。また、関連講座として「ストラヴィンスキー没後50年記念レクチャー」も開催します。
レクチャーに先がけ、講師をしていただく京都大学人文学研究所教授の音楽学者 岡田暁生氏にインタビューを実施しました。
ぜひ最後までご覧ください!(聞き手:高野 裕子 京都コンサートホール プロデューサー)

―――この度は、インタビューの機会をいただき、ありがとうございます。まずは、今年没後50年を迎える「ストラヴィンスキー」という作曲家について教えていただけますか。

ストラヴィンスキーは、美術の分野で言えばピカソに匹敵する人だと思っています。音楽史において20世紀を決定的に開いた人ですね。一般的に、ストラヴィンスキーあるいはシェーンベルクのふたりが20世紀音楽の扉を開いたと言われていますが、私の目から見ると、シェーンベルクははるかに19世紀、ロマン派寄りです。
間違いなく、ストラヴィンスキーは20世紀最大の作曲家ですね。

イーゴリ・ストラヴィンスキー(1882-1971)

―――「20世紀最大の作曲家」と考えられる所以を教えてください。

ストラヴィンスキーは、音楽の「スタンダード」を変えてしまった作曲家です。
まず、ストラヴィンスキーは、19世紀において三流ジャンルであったバレエをモダン・ダンスにしました。それまでのクラシック・バレエと決定的に縁を切った20世紀的モダン・ダンスは、ストラヴィンスキーの精神から生まれています。彼は「リズムの解放」を行いました。それまでの西洋音楽は「音の高さ」を重要とする音楽であり続けてきましたから、「リズム」の要素は弱いものでした。それに対して20世紀の音楽というのは、クラシックに限らず、ジャズやロックも含めて、「音の高さ」の音楽ではなくなり、リズムの精神が求められました。つまり、20世紀はリズムが解放された世紀。ストラヴィンスキーはその先駆者だったのです。
さらに、ストラヴィンスキーは「新古典主義」という点でも先鞭をつけた人物でありました。彼は三大バレエ(火の鳥[1910]・ペトルーシュカ[1911]・春の祭典[1913])で新しい世界を決定的に開いたのですが、第一次大戦後、古典派時代への回帰を見せたいわゆる「新古典主義」へと作風をスライドしました。それはなぜか?ストラヴィンスキーは「音楽の歴史はもう終わった」と感じていたからです。つまり、「ポストモダン」の発想を持っていたということなのです。1920年代の段階で、ストラヴィンスキーはポストモダンの感性を先取りしていた。ストラヴィンスキーは過去の色々な作品をカタログのように使ってコラージュ的なことを行い、なんとか新しいことができないかと試みていますが、これは「音楽語法の発展はもう余地がない」という、ある意味では現代的ニヒリズムをはるか遠く先取りしていたとも言えます。
「リズムの解放」と「ポストモダン的感性」。ストラヴィンスキーは音楽の歴史の発展というものを、根本的に否定した人物なのです。

アルノルト・シェーンベルク(1874-1951)

―――初期のストラヴィンスキーは、シェーンベルクが考案した十二音技法を避けていましたが、晩年になって取り入れるようになりました。なぜでしょうか?

「新古典主義」の一種ですね。色々なスタイルが掲載されているカタログを使って、パッチワークやコラージュのようなことをやったのです。材料さえあればなんでも良い。ストラヴィンスキーにとっては、シェーンベルクだって材料のひとつ。ちょっと乱暴な言い方をすれば、“ギャグる”材料のひとつ。つまり、非常に高度なパロディです。当時ストラヴィンスキーは、もう「パロディとしてしか芸術は存在しえない」、「音楽の発展はもう終わっている」と思っていたのです。

―――ストラヴィンスキーは、音楽の未来を見抜いていたということですね。

そう、見抜いていた。こうなったら、今までみんなが知っている、過去の色んなスタイルのパッチワークをやるしかないと思ったのです。現代の音楽家たちも同じようなことをやっていますが、発想自体は何も新しいことはない。だって、20世紀初頭にはストラヴィンスキーがすでにやっていたのですから。

―――ストラヴィンスキーの同時代人で、同じような手法を試みた作曲家はいますか?

たくさんいましたが、ストラヴィンスキーのようなラディカルさはなかった。「歴史はこれ以上、先に進まない」という、ある種の絶望感がその背景にあったかどうか、です。

―――ストラヴィンスキーのそういったキャラクターは、当時の時代背景と大きく結びついていますよね。

そう、絶対に忘れてはいけないのは、彼が亡命者であったということ、つまり生まれ育った国から切り離されていたということですね。今回、京都コンサートホールが上演する《兵士の物語》にも通じる話ですが。
シェーンベルクの場合、ウィーンもしくはウィーン古典派に深く根を下ろしているという意識があったので、先祖から受け継いだものをさらに発展させなければならないという義務感がありました。
しかし一方、ストラヴィンスキーの場合は、故郷から放逐されてしまって「どこにも所属していない人」です。《兵士の物語》を創作した1917年にロシア革命が起き、印税を得ることができた三大バレエのスコアはすべて新しいソ連政府に没収されたので、経済的にも非常に困窮していました。《兵士の物語》のストーリーである「戦時休暇で里に帰るけど、里はどこにもない」という内容は、実はストラヴィンスキー自身の話なのです。どこにも帰る場所がない。

―――なるほど、ストラヴィンスキーは《兵士の物語》に自分自身を投影したのですね。ちなみに、ストラヴィンスキーは死ぬまで特定の場所に定住しなかった人です。祖国に戻れなくなったあと、スイス、フランス、アメリカと転々とした。作風が“カメレオン”と称されている理由は、そういった背景にも関係しているのかもしれません。

「本物なんてどこにもない」という感覚を持っていたのでしょう。「本物」・「偽物」という感覚は、自分が根を下ろしている土地があるという人間が持つものです。しかし、故郷から追い出されたストラヴィンスキーにとっては、「これが本物だ」という感覚がない。全てがフェイク、ゴージャスだけど表層的で、内面的には何にもないという感じじゃないかな。

―――晩年のストラヴィンスキーはソ連に一度戻っています。

あれは文化政策の一環ですね。スターリンの独裁体制が崩れ、アメリカ人ピアニストのヴァン・クライバーンがチャイコフスキー国際コンクールで優勝、グレン・グールドが北米のピアニストとして初めてソ連に招待され、ストラヴィンスキーはお里帰りするなど、ロシアの雪解けの一環として帰ったのです。
しかし、本人は故郷に戻ったなんて感覚はなかったでしょう。ストラヴィンスキーはロシアが嫌いだった。彼の有名な言葉で、「ロシアには規律のない自由か、自由のない規律しかない」というものがあるくらいだから、ロシアに対して「故郷」という感覚はなかったでしょうね。

―――なるほど。ストラヴィンスキーについてお話をお聞かせいただき、ありがとうございました。

<後編に続く>

▶【ストラヴィンスキー没後50年記念レクチャー】詳細はコチラ

https://www.kyotoconcerthall.org/powerofmusic2021/#lecture

▶【京都コンサートホール presents 兵士の物語】公演詳細はコチラ

https://www.kyotoconcerthall.org/powerofmusic2021/#soldat

 

「北山クラシック倶楽部2021」後半セット券のご案内

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京都コンサートホール

「北山クラシック倶楽部」は、海外トップアーティストによる世界水準の演奏を、京都コンサートホールの室内楽専用ホール「アンサンブルホールムラタ」で体感していただくコンサート・シリーズです。

この度、2021年度のシリーズ後半4公演(9月~2022年2月)のラインアップが出揃いました!ギター、ホルン、弦楽四重奏、ヴァイオリンとピアノのデュオと多彩な4組が登場します!

アンサンブルホールムラタ

京都コンサートホールではこれらの公演をお得にお聴きいただけるセット券(限定100セット・約15%割引)を販売いたします。

ご予約・ご購入時にお好きな座席をお選びいただく、全公演共通座席「マイシート」制のチケットです。

演奏者の息遣いまで聞こえてくる濃密な音空間で、世界レベルの演奏をご堪能ください。

 


「世界一」とギター界絶賛!カリスマ中のカリスマ
マルツィン・ディラ ギター・リサイタル

マルツィン・ディラ(C)Matthew McAlister

ワシントン・ポスト紙が「地上で最も才能あるギタリストの一人」と激賞。数多くの音楽評論家、愛好家、ファンたちも間違いなく世界のトッププレイヤーであると認める、ギター史に名を刻む天才中の天才。世界最難関と言われるGFA国際を含む19もの国際ギターコンクールで優勝。カーネギーホール、ウィーン楽友協会、アムステルダム・コンセルトヘボウなど世界屈指のホールや世界最高のギター音楽祭に度々招かれ演奏している。

 

◆公演詳細◆
[日時]2021年9月3日(金)19:00開演(18:30開場)

[プログラム]
ミヨー:セゴビアーナ
ポンセ:フォリアの主題による変奏曲とフーガ ほか

[一回券]
全席指定 一般:4,000円 *会員:3,600円
*会員先行発売:5月16日(日)/一般発売:5月22日(土)

[主催]MCSヤング・アーティスツ


極上のホルンによる、比類なき天上の響き
ラデク・バボラーク&バボラーク・アンサンブル

ラデク・バボラーク(C)Lucie Cermakova

世界トップ・クラスのホルン奏者。これまでにチェコ・フィル、ミュンヘン・フィル、バンベルク響、ベルリン・フィルのソロ・ホルン奏者を歴任。小澤征爾、バレンボイム、ラトル、レヴァインなどの指揮者からの信頼が厚く、世界的なオーケストラと共演。日本では、サイトウ・キネン・オーケストラ、水戸室内管弦楽団やパシフィック・ミュージック・フェスティバルにソリストとしてだけでなく指揮者としても客演している。2018年から山形交響楽団首席客演指揮者も務める。

◆公演詳細◆
[日時]2021年10月8日(金)19:00開演(18:30開場)

[共演]
バボラーク・アンサンブル(弦楽アンサンブル)

[プログラム]
モーツァルト:ホルン協奏曲より(室内楽版)
モーツァルト:「ラルゲット」~クラリネット五重奏より  ほか

[一回券]
全席指定 一般:5,000円 *会員:4,500円
*会員先行発売:6月12日(土)/一般発売:6月19日(土)

[主催]AMATI

 


パリに磨かれた、クァルテットの輝石
ヴォーチェ弦楽四重奏団

ヴォーチェ弦楽四重奏団©Sophie Pawlak

結成17年目を迎えたヴォーチェ弦楽四重奏団は、多岐に渡るクラシック音楽シーンで常に冒険的な弦楽四重奏団のひとつとして認知されている。ジュネーヴ、ボルドー等、数々の著名なコンクールで入賞以来、パリを拠点に世界中で演奏活動を繰り広げている。アルファ・クラシックスからCDを多数リリース。その中には、ジャズやワールド・ミュージックも含まれる。近年は後進の指導にも力を注いでおり2017年に“Quatuor à Vendôme”を設立。今回の公演は、波多野睦美との初共演による特別プログラム。

◆公演詳細◆
[日時]2021年11月5日(金)19:00開演(18:30開場)

[共演]
波多野睦美(メゾソプラノ)

波多野睦美©HAL KAZUYA

[プログラム]ドビュッシー:弦楽四重奏曲
ドビュッシー/バルメール編曲:抒情的散文より⋆
バルメール:新作(ドビュッシーに献呈)⋆
⋆日本初演

[一回券]
全席指定 一般:4,000円 U25:2,000円 *会員:3,600円
*会員先行発売:7月17日(土)/一般発売:7月24日(土)

[主催]テレビマンユニオン


フランス・ヴァイオリン界の巨匠、最高のデュオ公演開催決定!
ジャン=ジャック・カントロフ&上田晴子 デュオ・リサイタル

ジャン=ジャック・カントロフ

フランスを代表する名ヴァイオリニスト。19歳にてカーネギーホールでのデビューを飾ってからは、世界中でソリスト、室内楽奏者として活躍。ヴァイオリニストとしての活動の他、パリ管弦楽団アンサンブルなど多くのオーケストラの常任指揮者を務める。2012年よりヴァイオリニストとしての活動を休止していたが、2017年春より再開し、2019年にはピアニスト上田晴子とともに日本ツアーを行い、圧巻の演奏で好評を博した。

◆公演詳細◆
[日時]2022年2月4日(金)19:00開演(18:30開場)

上田晴子

[プログラム]
モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ 第35番 ト長調  K.379
プロコフィエフ:ヴァイオリン・ソナタ 第2番 ニ長調  作品 94bis
ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ 第10番 ト長調  作品 96  ほか

[一回券]
全席指定 一般:5,000円 *会員:4,500円
*会員先行発売:10月23日(土)/一般発売:10月30日(土)

[主催]オザワ・アート・プランニング合同会社

 


★★お得な4公演セット券(限定100セット!)★★

★セット料金(全席指定)
15,000円 <約15%お得!>

★販売期間
*会員先行期間  2021年4月10日(土)~ 4月16日(金)
一般販売期間  2021年4月17日(土)~ 5月13日(木)

*会員…京都コンサートホール・ロームシアター京都Club(会費1,000円)・京響友の会の会員が対象です。

※出演者や曲目など内容が変更になる場合がございます。予めご了承ください。

【第1期登録アーティスト】ジョイント・コンサートに向けて④(DUO GRANDE ヴィオラ奏者・朴梨恵)

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京都コンサートホール

2019年度よりスタートした「Join us(ジョイ・ナス)! ~キョウト・ミュージック・アウトリーチ~」は、初年度1年間、京都コンサートホール登録アーティストと共にアウトリーチ活動を京都市内小学校にて展開しました。

1年間の活動の締めくくりとして、2020年3月に予定していた「ジョイント・コンサート」は公演中止となりましたが、2021年3月7日に1年越しで開催することとなりました。

本ブログでは、登録アーティストたち3組4名の昨年のコロナ禍での活動について、そして「ジョイント・コンサート」に向けての思いを紹介しております。
最終回は、DUO GRANDE(弦楽デュオ)の朴梨恵さんです。ぜひご覧ください。

* * *

©KOHAN

みなさま、こんにちは。DUO  GRANDEの朴梨恵です。

お元気にしていらっしゃるでしょうか。
去年も、今も・・どなたにとっても気遣い・気苦労の絶えない時間となっていると思います。
本当に、大変な1年です。

アウトリーチ活動が昨年一年間中止になりました。京都市民のみなさまの中で、登録アーティストのメンバーのことを心配してくださっているという声が届いています。
感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございます。

昨年、多くの活動が中止となり、国の助成金をはじめ、京都府や京都市、文化を支えようとされる企業様・個人様の援助等により、文化活動を続けることができました。

もちろん常日頃から思うことですが、このような事態になって改めて、文化や芸術、音楽というのは助けがなくては生き残ることが難しい分野で、いかに多くの方の力によってこの長い歴史は支えられているかということを痛感しました。
自分たちの力ではどうしようもない状況でした。

特に、京都は次から次へと『今何が必要か』と時期毎に支援策を考えてくださり、そのときその時必要な分をたくさんの方々に分配されていたと思います。
実際にどこよりも早く、5月に京都市が「京都市文化芸術活動緊急奨励金」を立ち上げてくださったことには、とても安堵し励まされました。アーティストのモチベーションをとにかく下げないように、という素早いご支援とお計らいがあったのでは、と思っております。
京都のみなさまの文化への理解に対して、尊敬するとともに、深く感謝しております。

多大なご協力をいただき、歴史ある分野に自分が携わっているという自覚を持つことができた昨年1年。これから私も何かその助力となるように、背筋が伸びる思いでおります。どのような形で返していけるのか、手探りではありますが引き続き活動していきます。

さて、京都コンサートホールのアウトリーチ活動に参加させていただいていることも、そして私がそもそも音楽活動をしている動機も、どちらも『クラシック音楽の魅力を知らない人にその魅力を知ってほしい』という思いからです。
私は、クラシック音楽は「とてもわかりやすいもの」ではないと思っています。4才からヴァイオリンを始め、楽器を練習することを好きになったのが10才頃・・・音楽の本当の魅力にたどりつけたのは、もっともっと後のことです。その魅力は私を助けてくれて、今では励ましてくれる存在となりました。そして音楽は、ありがたいことに底なき世界です。無限の世界があります。
多くの方々にとって、そういう存在のものがあればいいだろうなと、思っています。

とはいうものの、クラシック音楽を知らない人にとって、いま演奏会に出かけることは、感染症の心配など、きっと恐怖でしかなく、混雑のなか出かけ、よくわからない世界の扉を開くことは難しいだろうなと、正直思っています。

一方でこの状況下でも、コンサートに足を運ぶなど、どうしても音楽が必要と感じて、音楽を聴くことを精神の糧としている方が、思った以上にたくさんいらっしゃるということがわかりました。アンケートやブログなどから、その気持ちを伝えてくださった方がたくさんいらっしゃいました。

音楽を本当に必要としている方にとって、癒しの時間となり、心がワクワクする時間となるならば、それはとても嬉しいことではないかという気持ちで、今は仲間と音楽を作りあげています。これは、きっと一生音楽と携わっていくであろう私の中で音楽をする大きな動機となりました。

この一年、中止になったアウトリーチ活動。今年一年、子どもたちはどれだけ多くのことを我慢しなければいけなかったのだろうと心を痛めていました。
私が経験することのできたこと、そして人と関わってきたからこそ素晴らしいと思える「学生時代特有の思い出」を、過ごすことができなかったと思います。せっかくの機会に子どもたちと音楽を共有できなかったことも残念でした。給食、休み時間の雑談、移動教室、特別なイベント‥
きっと、子どもたちは大人たちの心配をすり抜けて、何食わぬ顔で、面白いことを見つけて明るく過ごしている!!!と信じてはいるのですが、やはり経験させてあげたいことをさせてあげられないというこの状況は、とてももどかしいものです。

そして、3月7日に開催する「ジョイントコンサート」は、DUO  GRANDEにとってもとても久しぶりの公演となります。

2019年度、アウトリーチ先の小学校で大人気だった『魔法の笛』のコーナーを、一般のみなさまにも見ていただけることがとても楽しみです。小学生たちはとても大きな反応を見せてくれました。ホールでのみなさまの反応を想像すると、こちらはなんだか笑えて来ちゃいます。みなさま大人でしょうし・・笑!よろしければ、子供心を思い出して聴いていただければと思います。

ヴァイオリンの上敷領さんとたくさんのリハーサルを重ねて作りあげたプログラムです。信頼しあえる2人だからこその「音楽の会話」や「音の重なり」・・・たった2台の旋律楽器ですが、存分にその良さを楽しんでいただけるように準備しています。

会場でみなさまにお会いできること、心より楽しみにしております。

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★ジョイント・コンサートに向けて
①ピアニスト・田中咲絵
②ヴァイオリニスト・石上真由子
③DUO GRANDE ヴァイオリニスト・上敷領藍子

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