【NDRエルプフィル特別連載④】NDRエルプフィル日本人メンバー・インタビュー(石川素美、第一ヴァイオリン奏者)

Posted on
京都コンサートホール

11月1日(木)に15年ぶりに京都公演を行う「NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団(旧ハンブルク北ドイツ放送交響楽団)」。

アーティストの魅力をお伝えしている「特別連載」の最終回として、NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団の日本人メンバー、第一ヴァイオリン奏者の石川素美さんにメール・インタビューを行いました。

NDRエルプフィルや指揮者アラン・ギルバートの魅力はもちろん、コンサートの秘話など、メンバーならではの貴重なお話をたくさん聞かせていただきました。


NDRエルプフィルとの出会いと魅力


--この度は、お忙しい中インタビューを引き受けてくださりありがとうございます。では早速ですが最初に、石川さんがNDRエルプフィル(以下NDR)に入団されたきっかけを教えていただけますでしょうか。

石川さん:私は10歳のときからジュニアフィルハーモニックオーケストラ(東京)に所属し、それまでに間近で見たことのなかった様々な楽器や、大勢でひとつの音楽を作り上げる喜びや達成感、素晴らしいオーケストラの楽曲に魅了されました。そして世界中の色々なオーケストラの録音を聴いた中でも、ドイツのオーケストラの深みのある音や、ぐいぐいくる低音などに心をつかまれ、いつかはドイツのオーケストラに入りたいと中学生の頃から思っていました。
桐朋のソリストディプロマコース在籍中にドイツ中を旅して、先生探しをしました。そして、当時まだハンブルクで教えていた元ベルリンフィル・コンサートマスターのコリア・ブラッハー氏の下で学びました。そうしたある日、日本での音楽祭に参加したいと彼に言ったところ、「その期間はレッスンするから」と反対され、代わりにNDR(当時ハンブルク北ドイツ放送交響楽団)で研修することを提案されました。そしてオーディションを受けて研修生となり、団員の人たちから「正団員に空きがあるのでぜひオーディションを受けるように」と言われ合格し、今に至ります。
わたしが生まれて初めて聴いたオーケストラの録音がNDRで、ギュンター・ヴァント指揮の「田園」(ベートーヴェン)でした。当時はどこにNDRがあるかも知らずハンブルクに留学したので、入団したことには運命を感じています!

石川素美さん

“アランとのコンサートでは、わたしたちの間に化学反応が起こり、なんとも言えぬ一体感を感じました。そしてわたしたちは、そこに明るい未来をひしひしと感じたのです”

――NDRは石川さんにとってオーケストラの原点であり、また自然と巡り合ったオーケストラなのですね。
入団してからこれまでの間で、思い出深い演奏会やツアー、指揮者、ソリストについて教えていただけますか。

石川さん:まず思い浮かぶのは、自分にとって初めての日本ツアーです。研修生として参加しましたが、入団試験の直後だったこともあり、大勢の団員と仲良くなることが出来た思い出深いツアーとなりました。因みにそのツアーの指揮者は、当時第一客演指揮者だったアラン(アラン・ギルバート)でした!

去年、ブロムシュテットの90歳のお誕生日を祝う公演がありました。彼は年々若返っていくように感じます。お誕生日翌日からリハーサルが始まりまして、NDRからサプライズでケーキと、ソロトロンボーン奏者のシモーネがアレンジしたスウェーデン民謡(?)の演奏をプレゼントしました。ブロムシュテットが子ども時代、夏休み前に歌っていた曲だったそうで、演奏を聴いて涙を流す様子に、わたしたちもジーンときました。
コンサートでは、演奏が始まる前にスタンディングオベーションが起こり、ギュンター・ヴァント最後の来日公演の時のようにブラヴォーまで出ました。奏者もお客様も気持ちがブロムシュテットに寄り添った、特別な体験でした。

また今年4月には、新しい本拠地エルプフィルハーモニーでは初となるアランとのコンサート(マーラー作曲の交響曲第3番)がありました。その時、わたしたちの間に化学反応が起こり、なんとも言えぬ一体感を感じました。そしてわたしたちは、そこに明るい未来をひしひしと感じたのです(※YouTubeにて少し演奏をご覧いただけます)。

そして今シーズンの始めにスペインツアーがあり、最終地がバスク地方にあるサン・セバスチャンでした。アンコールで、バスク人にとって想いのある曲を、トロンボーン奏者のシモーネがアレンジして演奏しました。演奏が始まるとお客様全員が一斉に立ち上がって聴き入ってくれたのに感動し、大勢の団員がステージで涙を流しました。

また、人間としても奏者としても尊敬できるソリストは、先シーズンのレジデンス・アーティストであったヴァイオリン奏者のフランク・ペーター・ツィンマーマンです。わたしが入団してから一番共演数が多いのですが、何度同じ曲をやってもその都度進化し、新しい発見があります。彼はわたしたちオーケストラにとって特別なソリストです!

スペインツアーにて、第一ヴァイオリンのメンバーたちと

――素敵なエピソードですね!ブロムシュテット氏は京都コンサートホールでも一昨年バンベルク交響楽団との公演(2016/11/5)に出演し、大変な人気を博しました。
NDRはドイツそして地元ハンブルクにおいて、どのような存在だと思いますか?

石川さん:ドイツのオーケストラ文化にとって重要な存在だと思います。ドイツのオーケストラは楽団によって音色が異なります。たくさんある歴史的録音を聴いていただければわかると思いますが、NDRも他のオーケストラとは違った特徴のある音色を持っています。
しかしながら世代交代があったり、新しいホールが建設されたりするなど、時代や環境の変化とともにその音色も変化しています。わたしにとっては新しい団員や指揮者の存在は常に刺激的ですし、退団した人たちや長く演奏している団員から学んだ伝統的な素晴らしい部分も大切にしていきたいと考えています。

ハンブルクでは、NDRの演奏は毎日ラジオで流れています。今やNDRは、ホットな観光スポットとなったエルプフィルハーモニー(ホール)の顔です。皆さまにとって親しみのある存在になっていると思います。

エルプフィルハーモニーのバックステージには、休憩中に楽器を置くスペースがあります

――ハンブルク市民は毎日NDRの演奏を聴くことができるのですね!とても羨ましいです。
お話にも出てきましたが、2017年1月に、本拠地をライスハレから新しいホールのエルプフィルハーモニーに移されましたね。新しい本拠地であるエルプフィルハーモニーはいかがですか?

石川さん:エルベ川沿いの素晴らしいロケーション!コンサート前に楽屋口から夕日が沈むのをみると穏やかな気持ちでステージに立てます。
わたしの好きな建築家であるヘルツォーク・ド・ムーロンと音響設計士の豊田泰久さん(㈱永田音響設計)という夢のようなコンビで設計されており、ワインヤード型(舞台を取り巻くように客席を配置した形)のホール内部も本当に美しいです。待ちに待ってやっと出来上がったのでうれしいです。
現在NDRでは、新しい本拠地での音作りに全員が真剣に考えながら取り組んでいます。ホールと共に進化していくNDRの音を、ぜひ一度エルプフィルハーモニーで皆さまに聴いていただきたいです!
観光スポットなので常にチケットが完売状態なのですが、クラシックを聴いたことがないお客様もたくさん見受けられるので、そういった人たちの心を掴んで再びコンサートに足を運んでもらえることが出来たらいいなと思っています!

エルプフィルハーモニーから見たエルベ川
エルベ川対岸から見たエルプフィルハーモニー(撮影:NDRメンバー)
エルプフィルハーモニーの内部の様子(撮影:石川素美さん)

アラン・ギルバートと京都公演について


――エルプフィルハーモニーは、京都コンサートホールと同様に、永田音響さんの音響設計で建設されたのですね。しかもパイプオルガンのメーカーも京都と同様にクライス社ということで親近感を感じています。
今回の日本ツアーでは、次期首席指揮者のアラン・ギルバートが指揮を務めますね。

石川さん:そうなんです。アランとNDRの付き合いは本当に長いです。良いところも悪いところも知り尽くし、それを受け入れ共に歩んでいく夫婦のような存在とでも言えるでしょうか。
とても人間味があるし、強い意志も持っている人で、そういうところが彼の音楽にあらわれていると思います。

アラン・ギルバートと石川素美さん

“私たちの伝統的サウンドとアランの解釈が融合してきっと魅力的な音楽になると思います!”

――今回の京都で披露してくださるのは、ワーグナー、ベートーヴェン、ブラームスという、オール・ジャーマン・プログラムですね。各曲の聴きどころを教えていただけますか?

石川さん:全曲ドイツ人作曲家によるプログラムで、我々はザ・ドイツのオーケストラなので、これ以上ドイツっぽい響きは生まれないでしょう!
中にはバイロイト音楽祭で毎年演奏している団員もたくさんいるので、歌劇《ローエングリン》第1幕への前奏曲ではワーグナーの真髄に迫ることができるかもしれません…!
ベートーヴェンの《ピアノ協奏曲第4番》では、ベートーヴェンのスペシャリストとして名高いブッフビンダーさんとNDRの掛け合いにご期待ください。
ブラームスの《交響曲第4番》はNDRの十八番で日本でも演奏したことはありますが、私たちの伝統的サウンドとアランの解釈が融合してきっと魅力的な音楽になると思います!

――同じドイツ音楽でもそれぞれの曲で違うNDRの伝統的サウンドに期待しております!それでは最後に、日本ツアー初日の京都公演に向けてメッセージをいただけますか。

石川さん:叔父が京都近郊に住んでいることもあり、個人的に親しみを感じている街なので、初めて演奏できることを楽しみにしています!
NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団を一言で例えるならば、「銀閣寺」!煌びやかな金閣寺とは違い、渋く味のある音色を楽しんでいただければと思います!

――お忙しい中ありがとうございました。
来月の公演が楽しみでなりません!11月お待ちしております。

(9月25日 京都コンサートホール事業企画課メールインタビュー)


石川素美(ヴァイオリン)

4歳よりヴァイオリンを始める。10歳からジュニア・フィルハーモニック・オーケストラ(東京)入団。桐朋女子高等学校音楽科(共学)を首席で卒業。桐朋学園大学ソリスト・ディプロマコース修了。ハンブルク音楽演劇大学卒業。在学中より、小澤征爾音楽塾、サイトウキネン若い人のための勉強会、宮崎国際音楽祭、アスペン音楽祭、サイトウキネンフェスティバル等に参加。アイザック・スターン、ドロシー・ディレイ、東京カルテット、ジュリアードカルテット等のマスタークラスを受ける。これまでに水野佐知香、原田幸一郎、コリア・ブラッハーの各氏に師事。第一回いしかわミュージックアカデミー奨励賞、キジアーナ音楽院ディプロマ賞、ハンブルク文化賞など受賞。2006年ハンブルク北ドイツ放送交響楽団(現、NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団)に入団。
趣味は、絵本・レコード・直筆譜・楽器収集と弓術。


★「NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団」特設ページはこちら

★特別連載

【第2回】アラン・ギルバート「スター指揮者のポートレート(山田治生、音楽評論家)」

【第3回】「北ドイツの雄、NDRエルプフィル」(中村真人、ジャーナリスト/ベルリン在住)

【光と色彩の作曲家 クロード・ドビュッシー特別連載④】ピアニスト 永野英樹に迫る

Posted on
京都コンサートホール

長年フランスに在住し、いまは亡きピエール・ブーレーズ率いる現代音楽のエキスパート集団「アンサンブル・アンテルコンタンポラン」の専属ピアニストとして、世界の第一線で活躍し続けてきた永野英樹氏。
11月10日には、京都コンサートホールのスペシャル・シリーズ『光と色彩の作曲家 クロード・ドビュッシー』の第2回「ベル・エポック~サロン文化とドビュッシー~」に、フランス人ソプラノ歌手のサロメ・アレール氏と共に登場します。
今回はそれを記念して、「ピアニスト 永野英樹」に迫るインタビューを敢行しました。
所属するアンサンブル・アンテルコンタンポランの話やフランス音楽に関する話など、非常に濃い内容の話をたくさん聞かせくださいました。
ピアノ演奏だけではなく、そのお人柄も魅力的な方で、お話を伺っていて思わず引き込まれてしまうほどでした。

永野英樹©J.RADEL

――永野さんはフランス在住でいらっしゃいますが、いつから住んでいらしゃるのですか?

永野英樹(以下、敬称略):88年の夏ですね。今年の8月でちょうど30年になります。

――フランスではどういった活動をされているのでしょうか?

永野:僕は96年から「アンサンブル・アンテルコンタンポラン」というグループで活動しているんですが、その仕事が90%を占めています。

――現代音楽のエキスパート集団「アンサンブル・アンテルコンタンポラン」ですが、どのようなグループか教えてくださいますか。

永野:1976年、ピエール・ブーレーズ (1925-2016) はその当時フランスの首相だったジョルジュ・ポンピドゥーから、IRCAM(電子音楽や音響に関して探求する研究所)の創設に関わる責任者になるよう命じられたんです。
その時に「アンサンブル・アンテルコンタンポラン」も一緒に創設されました。ブーレーズは初代音楽監督です。いまは、マチアス・ピンチャーという作曲家が音楽監督を務めていますが、ブーレーズが亡くなるまでは毎年必ず、一回はブーレーズと一緒に仕事をする機会がありました。

このアンサンブルは確かにブーレーズが創設に関わったんですけど、別に彼の曲ばかりをやるというわけではなく、「20世紀以降の作品を広めましょう、初演もしましょう」というスタンスで活動しています。もちろん、20世紀のクラシック古典もしますよ。
例えば、バルトークとかドビュッシーなどですね。ブーレーズの指揮でドビュッシーを演奏する機会はなかなかなかったんですけど。というのも、うちは30人くらいの小編成のグループなものですから、その編成で出来るドビュッシー作品っていうのが無いんです。
うちのアンサンブルで出来るものでいうと、シェーンベルクとかウェーベルンとかストラヴィンスキーの作品ですかね。それがレパートリーとしては一番古いものです。

――どのようにして「アンサンブル・アンテルコンタンポラン」に入団したのですか?

永野:ここは毎回、オーディションがあるんですよ。それがたまたまショパンコンクールの年(1995年)と重なってしまったんです。
僕は別に、現代音楽のスペシャリストになるつもりはなかったので、その年開催されるショパンコンクールの準備に励んでいました。

アンサンブル・アンテルコンタンポランにはピアノのポストが3つあったのですが、当時在籍していたピエール=ロラン・エマールがおやめになるということで、ちょうどその時ポストが1つ空いたのです。

――凄いピアニストが在籍していたのですね。

永野:まぁ、そういうところではあるんですけど。
それでなぜか、たまたまだと思うけれど、自宅にオーディションの要項が届いたのです。
普段、こういうものは学校の掲示板等に張り出しされるものなんですが、その時はたまたま自宅に届きました。
多分、前年(94年)に受けた第1回オルレアン20世紀国際ピアノコンクールで入賞したので、そこでの演奏を聴いていただけていたのかもしれませんね。
それで、要項を見て「あっ」と思って。いちおう申込をしておいたのですが、その時まさにショパンコンクールの真っ最中だったので、練習ではショパンばっかりやってました。

――「アンサンブル・アンテルコンタンポラン」のオーディションではなにを演奏されたのですか?

永野:オーディションは、半分クラシックな感じでした。ベートーヴェンの「熱情ソナタ」1楽章、ドビュッシー前奏曲集から1曲、シェーンベルクの作品(作品33b)、それにブーレーズのソナタ3番の1楽章から抜粋、あとは自由に弾いて良いと言われたので、僕はその直前に弾いていたリゲティのエチュードを演奏しました。それで、ファイナルの審査では初見の審査がありました。

――きついですね、ショパンコンクールの直後ですもんね。

永野:はい、きつかったです。全然準備できてなくて。本当に間際ですよね。

ショパンコンクールがあまりうまくいかなかったんです。すごい長い時間かけて準備してきたものが終わった後、気が抜けちゃって。すぐ次の課題に取り掛かれなくて・・・。ちょっとボーっとした期間がありました。でも「そろそろやるか」って腰を上げたのがオーディションの1週間前!譜読みはすでにしていましたが、ちゃんと練習したのは1週間前でしたね。

――・・・すごく濃い1週間でしたね。

永野:そうなんです。それこそダメ元で受けましたよ。
でも気負いがなかったせいか、1次でははうまくいって、最終審査の2人に残ることが出来ました。たぶん30人、40人くらいは受けていたと思うんですけどね。
ちょうどその頃、ブーレーズが体調を崩していまして、すぐに検査をしなければいけないっていうことになりました。普段、彼は1次の演奏とかは聞かないんだけど、最終審査には必ず出てくるんですよね。彼自身が希望して、立ち会うんです。

ですが、いまでは笑い話ですけど、ブーレーズのが病院に行かないといけないという理由で、僕、その日の8時に弾かされたんですよ。

――え?8時って朝?!

永野:そう、朝!(笑)いまだに忘れられないですよね。7時30分とかに会場行って、30分くらい指ならししました。あの日、ブーレーズは10時に病院へ行かなくてはいかなかったんですよね。1人1時間の演奏で2人だから、8時スタート(笑)。

――朝8時の本番って、あまりないですよね・・・

永野:そうでしょう。しかもですね、前日の夜の8時過ぎに電話で「オーディションに通りました」っていう連絡をもらったんです。それでこう続けるわけです、「明朝8時に弾きに来てくださいね」って(笑)。結果合格しましたが、すごいオーディションでしたよ。一生忘れられませんね。

――本当に、一生の思い出ですよね(笑)。
ところで、さきほど「現代音楽は嫌いではなかったが専門にしていたわけではない」と仰っていましたが、「アンサンブル・アンテルコンタンポラン」に入るとそういうわけにはいかないですよね。

永野:そうなんです。最初はけっこう辛かったですね。毎回、これまで演奏したことのない曲を演奏しなければならなかったのです。最初の3年間は少し辛かったですね。当時はかなりストレスというか、反動的にクラシックやりたくてたまらなかったです。
変な話なんですけど、逆に、ショパンコンクールの準備している最中って、むしろ「ちょっとブーレーズとか弾いてみたいな」とひそかに思っていたんです(笑)。
だからたぶん、僕の中で2つのバランスを取るっていうのが、一番いい方法なんだなっていうのはその時に分かりました。
今もそういうスタンスで活動しています。

©Kyoto Concert Hall

――永野さんはもともとどの作曲家がお好きだったんですか。

永野:そうですねぇ・・・。ショパン・コンクールを受けるくらいだからもちろんショパンは嫌いではなかったですし、モーツァルトも好きでしたね。
あまりドイツの濃い(って言ったら変だけど)、ブラームスとかワーグナーとかR.シュトラウスとか、昔はあまり好きではなかったんですよ。
でも、最近はそれが逆になってきたんです。ベートーヴェンが好き。一方、モーツァルトからはどんどん離れていっちゃってます。
フランスものでも、昔はドビュッシーとラヴェルと比べたらどちらかというとラヴェルの方が好きだったんですけど、最近は「ドビュッシーって良いな」と思うんですよね。

もともと、僕がピアノを始めるきっかけはドビュッシーにあったんです。
「ソナタ」よりは、ドビュッシーがつけた詩的なタイトルの方が「な、なんだ?!」って興味がひかれるでしょう。僕が小さい頃はそういうタイトルに惹かれていた部分もあります。
あとは、僕の母の妹の旦那様の影響もありました。彼らは東京に住まいを持っていたのですが、名古屋出身の僕はそこで下宿をさせてもらっていたんです。
その叔父が筋金入りのクラシック音楽ファンだったんですよ。彼、相当マニアックなレコード・コレクションを持っていましてね。
そのコレクションの中にドビュッシーもあったりなんかして、「へぇ、これがドビュッシーか」なんて思っていました。

――ドビュッシーにとってラヴェルはやはり比較対象でしょうか。

永野:そうですねぇ。僕はフランスものが持つカラーが好きなんですけど、ラヴェルっていうのはどちらかというと、「知」に刺激を受けるようなものがあると思うんです。
耳の響きというか、響きという感性に訴えるものはあるんだけど、こうやって頭の中に来るっていう感じってわかりますか?知的な部分がありますよね。それが「楽しみ」になるんですが。

でもドビュッシーって逆に、「情」の方じゃないですか。

もう亡くなってしまわれたのですが、むかし東京藝大に伊達純先生っていう先生がいらっしゃったんです。僕の師匠なんですが、フランスから一時帰国したときにそういう話をしたことがあります。
ドビュッシーとラヴェルの演奏の違いっていうのがあって、ラヴェルは演奏しようと思うとドビュッシーなんかよりも技術的に難しいんですね。
しかしながら、逆に弾けてしまうと、ある程度「かたち」になるところがある。
でもドビュッシーは弾けただけだと、「かたち」にならないんですよ。なにかやらないと、曲として面白くないっていうところがあって。
こういう部分に気付いたので、最近僕の趣味が変わってきたのかもしれませんね。
モーツァルトもラヴェルも早書きで天才だったんですよ。頭で出来ちゃう部分っていうのがある。そういう部分を楽しむことは出来るんですけど、今度は逆に、感情や何かを注ぎ込まないと曲にならないっていう作品にも、どんどんと惹かれてきたんですよね。
これはたぶん、年齢のせいですよね(笑)

――ドビュッシーの作品の中で特に好きなものやよく演奏する作品ってありますか?

永野:実は僕、ドビュッシーの持ち曲って少ないんですけど、やっぱり後期の作品は素晴らしいですよね。
ブーレーズのアンサンブルで現代ものをやっているというせいもあるのかもしれませんが、ドビュッシーの後期作品にはそちら(現代音楽)につながっていくものが非常にたくさんあるんです。
それもあるから、ブーレーズも、特にドビュッシーに特に思い入れがあったみたいなんですよね。意外でしょう?ドビュッシーってさっきも言ったように、「情」の部分に訴えかける音楽なのですが、ブーレーズの音楽っていうと一般的には「頭で考える」みたいなところが多分にありますよね。
でもドビュッシーの音楽には現代的というか、未来に向かって開かれている要素がたくさん詰まっています。面白いことに、書き残されたものを見てみると、実はラヴェルの方がもっと保守的だったんですよね。色々試したりもしているんですけど、かなり保守的です。
例えば、シェーンベルクの音楽に懐疑的だったりとか・・・

そういう目で見ると、ドビュッシーの方がぐんと先に、作曲法としてはもう現代に近づいていたことをしていたんですよね。後期の作品は斬新だし、素晴らしい品格を持ったものが多いです。
《12の練習曲》とか、《前奏曲第2集》とか、最近好きになった《映像第2集》などは、やっぱり凄いと思います。

©Kyoto Concert Hall

――今回、永野さんが演奏してくださるプログラムにはフォーレ・ラヴェル・ドビュッシーの歌曲が入っていますね。

永野:選曲はサロメ・アレールさんと相談しながら決めたんですけど、最終的にわりとこう、有名所の3人が並んでしまう形になって、それはそれで面白いかなって思っています。
今回の演奏会シリーズのテーマは「ドビュッシー」ですけど、彼と同時代に生きた人たちの作品で、しかも同じフランス出身の作曲家で、これだけ曲の印象が違うんだよっていうところに注目して聴いていただければと思います。
「ドビュッシー」を発見するために、こうやって周囲から違いを眺めてみるっていう感じで。

今回プログラミングされた作品はすべて、フランス音楽に馴染みない方にでもすっと入りやすいような曲だと思っています。

――ところで今回共演なさるサロメ・アレールさんはどのような歌手でいらっしゃいますか?

サロメ・アレール

永野:彼女とのファーストコンタクトは、何年前になるのかなぁ・・・。
メシアンイヤーのときだから、生誕100年だった2008年ですね。
メシアンの作品の中に《ミのための詩(うた)》という曲があります。オーケストラ版もあってブーレーズも生前よく振っていました。
メシアンイヤーを祝福するために、この《ミのための詩》を演奏することが決まっていて、フランスの名歌手フランソワーズ・ポレを呼ぶ予定だったのですが、彼女の調子が悪くて、1週間前にキャンセルになっちゃいました。
そこで、この曲をやったことがある歌手を探し回ったわけです。あの時はちょうど2月くらいだったんですけど、「前にこの曲を歌ったことがある」と言ってきた歌手がサロメ・アレールさんでした。
彼女はその時、ちょうどヴァカンスでスキーに行っていたのですが、急いでつかまえて(笑)。早く帰ってきてもらって、練習して、ぱっと本番を迎えたんです。
それがすごく素晴らしくて、すごい歌手がいるなと思ったんです。そのあと、しばらく間があいて、うちのアンサンブルでシェーンベルクの《月に憑かれたピエロ》をやる時に、その歌手としてサロメさんを呼んで、何回か上演しました。あらためて、彼女の才能を再確認した形になりましたね。素晴らしいなと思いました。

最初のコンサートをやったときに経歴を見たんですけど、もともと現代音楽専門家ではなくて、むしろバロック専門の方なんですよね。バロックと現代音楽。すごいですよね。
それで、彼女と練習していて気付いたんですけど、読譜能力がすごく高いんですよ。
歌手の方・・・って一括りしてしまうとすごく失礼なんですけど、歌手の方って、そこが弱い方が多いんですよね。
でも、現代曲をやられる方はわりと絶対音感があったりとか、読譜能力の高い方が多いのです。
特に彼女はそれがずば抜けています。例えば、《月に憑かれたピエロ》をやった時、室内楽なので指揮者がいなくって(7重奏)、スコア見ながら演奏をしていました。
そうしたら、むしろ彼女の方が僕たちに合わせてくれたんです。「そこ、ずれましたよ」と指摘してくれるくらい。「あ、これはすごいな」と思いましたね。

――たぶん、このコンサートでフランス歌曲を初めて生で聞くという方もいっぱいいらっしゃると思います。そういった方々にもフランス歌曲の魅力をお伝え出来れば良いですよね。
それでは最後に、京都の聴衆のみなさまに一言、お願いします。

永野:僕が出演する第2回「ベル・エポック」には、さまざまな楽曲がプログラミングされています。歌だけではなく、室内楽もありますよね。
言葉が入っている作品と入っていない作品があると思いますが、言葉が入っている方がわかりやすいこともあるし、むしろその逆の場合もあります。
でも今回のプログラムの中では、言葉が入っている方が理解しやすいかもしれません。
おそらくナビゲーターの椎名先生がうまく説明してくださると思うんですけど、サロンってフランス文化の中でも特殊な文化なんです。
実を言うと、ドビュッシーはその中であぶれちゃった人なんだけど(笑)、今回のコンサートを通して、「色々な時代背景がありましたよ」、「こういう曲がありましたよ」ということを知っていただければ幸いです。

僕自身はフランス歌曲がとても好きですし、歌い手はフランスの方で、素晴らしい歌手です。とても良いコンディションで皆様に聴いていただけると思います。
フランスの「エスプリ」を100%肌で感じていただけると嬉しいです。

――素敵なお話をたくさんありがとうございました!
演奏会当日をいまから楽しみに待っています。

(京都コンサートホール事業企画課インタビュー@国立西洋美術館/2018年7月16日)


【特別連載①】ドビュッシーとパン(牧神)
【特別連載②】進々堂 続木社長インタビュー(前編)
【特別連載③】進々堂 続木社長インタビュー(後編)
【特別連載⑤】ハーピスト 福井麻衣に迫る<その1>
スペシャル・シリーズ《光と色彩の作曲家 クロード・ドビュッシー》の特設ぺージはこちら。

【光と色彩の作曲家 クロード・ドビュッシー特別連載③】進々堂 続木社長インタビュー(後編)

Posted on
インタビュー

スペシャル・シリーズ《色彩と光の作曲家 クロード・ドビュッシー》をより知っていただく特別連載。第3回は、京都コンサートホールと一緒にコラボレーション商品を考えてくださった株式会社進々堂の続木創社長へのインタビューの後編をお届けします。パン作りと音楽の共通点など興味深いお話が満載です。

* * *

★続木社長について★

――(前編では、続木社長の好きなクラシック音楽やドビュッシーについてお伺いしました)
続木社長は昔、弦楽四重奏をされていたということですが、音楽や楽器との出会いなどを教えていただけますでしょうか。

続木社長:両親ともに音楽が好きだったので、4歳の時からピアノを、7歳のときからヴァイオリンを習いはじめました。でも本当に音楽に興味を持ったのは中学2年のときだったかもしれません。僕は中学から東京の自由学園というキリスト教系の学校に行ったのですが、ヴァイオリンは卒業(?)したつもりで、寮にヴァイオリンは持って行かなかったんです。ところが自由学園で音楽の授業として毎年クリスマスに演奏していたヘンデルのメサイヤに接して、何て美しい音楽なんだって衝撃を受けて、オーケストラに入れてもらってメサイヤのヴァイオリンパートを演奏するようになったんです。そのうちに段々ヴァイオリンにのめり込んで、一番最初にヴァイオリンの手ほどきを受けた香西理子先生にお願いして、自由学園の大学2年のとき江藤俊哉先生をご紹介いただいて弟子入りしたんです。

――江藤俊哉先生と言えば戦後の日本を代表するヴァイオリンの大家ですね。

続木社長:大学では経済を勉強したのですが、ヴァイオリンが面白くてたまらなくなって、他のことしてる時間がもったいなく思いはじめ、後先考えずに自由学園の大学を中退しました。で、アパートを借りて毎日7〜8時間ヴァイオリンの練習をするような生活しながら、当時江藤先生が教えられていた桐朋学園大学のディプロマコースに2回挑戦したのですが、残念ながら2回とも落ちてしまいました。

実はそのころ、私の兄が父に「自分は進々堂は絶対に継がない」と宣言したんです。私は男ばかり4人兄弟の次男で、長兄が進々堂を継ぐので自分はヴァイオリニストになろうと思っていたのですが、今度は父が私にパン屋をやってくれないかと声をかけてきたんですよね。私は子供の頃から、お父さんがあんなに一生懸命やってる進々堂なんだから兄弟の誰かが継ぐべきで、兄がしないなら自分がやってもいいかなと思いながら育ってきましたので、「僕がするけど、その前にアメリカに留学して経営学を勉強したい」と父にお願いしました。そしてミシガン州立大学の経営学部ホテル・レストラン経営学科に行かせてもらいました。そこで運命の出会いがあったんです。

「Michigan State University」の画像検索結果
ミシガン州立大学(Michigan State University official Home Pageより)

ヴァイオリニストになる夢は捨てたけど、やっぱり趣味では弾きたくて、アメリカに楽器を持って行っていました。ある日、学生寮の音楽室で練習してたら同じ寮に住んでた音楽学部の生徒が僕の練習をこっそり録音して「うちの寮にこんなやつがいる」と音楽学部の学部長にテープを聞かせたんです。そしたらある日その学部長から呼ばれて何か弾いてみろと。で、バッハの無伴奏パルティータの1番を弾いたら「なぜ経営学なんて勉強してるのか。うちの音楽学部にはおまえのようなバッハに対するリスペクトを持っている学生はいない。奨学金を出すから音楽学部に来い」と言われたのです。もちろん、父との約束があるので転部はできないとお断りしました。そしたら、音楽学部の大学院生がカルテット(弦楽四重奏)を組むのに、第2ヴァイオリンが見つからないのでおまえがやれと言われて、カルテットの第2ヴァイオリン奏者を引き受けることになったのです。これにはとても喜びました。当時ミシガン州立大学の音楽学部には、ジュリアード・カルテットが年に6週間教えに来ていて、私の入った学生カルテットはそのレッスンを受けられたんです。

大学院生のカルテットのメンバーと、ロバート・マン先生(後列中央)を囲んで

――すごい巡り合わせですね!

続木社長:彼らのレッスンであらためて音楽に開眼してしまいました。江藤先生のレッスンではどちらかというと技術的なことを中心に教えていただいていましたが、カルテットのレッスンでは音楽の作り方・楽譜の解釈が全てだったのです。とても新鮮でした。音楽ってこうやって作るんだ!って。当時のジュリアード・カルテットのメンバーは、第1ヴァイオリンがロバート・マンで第2ヴァイオリンがアール・カーリス、ヴィオラがサミュエル・ローズ、チェロがジョエル・クロスニックでした。4人それぞれ世界一流の演奏家からレッスンを英語で受けて、英語で理解してというのは本当に楽しい体験でした。

――あの「ジュリアード・カルテット」からレッスンを受けられたのですね!

続木社長:1年目は大学院生のカルテットの第2ヴァイオリンだったのですが、3人の大学院生が卒業していなくなると、学部長から新しいカルテットを作るように言われました。私の好きなようにメンバーを選んでいいということで、ヴィオラとチェロはすぐに音楽学部の3年生で決まりましたが、ヴァイオリンはなかなか良い人が見つからなかったんです。

当時ピアノ科の看板教授にクライバーン・コンクール優勝者のピアニスト、ラルフ・ヴォタペック先生がいて、その娘さんのキャサリンがヴァイオリニストでした。当時まだ高校生でしたがとても弾ける子だったんです。そこで彼女を第2ヴァイオリンに指名していいかと学部長にきいたら何とOKだって言うんです。驚きました。OKを出す学部長も学部長だけど、ヴァイオリン科の学生や教授からクレームが出ないって、アメリカ流実力主義というか、アメリカ人の考え方ってすごいなと思いました。

――日本の大学では考えられないですね!

続木社長:そうでしょう?つまり2年間、ミシガン州立大学音楽学部を代表する学生カルテットは、第1ヴァイオリンが経営学部生(私)で、第2ヴァイオリンが高校生という異色のメンバーで、ジュリアード・カルテットのレッスンを受けながらながら、学内コンサートはじめ様々な演奏活動をしました。中でも一番思い出深いのは、年に一度、全米の音楽大学から学生カルテットがミシガン州立大学に集まって開催される「ジュリアード・カルテット・フェスティバル」に出させていただいたことかな。

そういうわけで、ミシガン州立大学では経営学も結構真面目に勉強してちゃんと卒業しましたが、音楽の面でも大変豊かな経験が出来ました。今でも付き合いが続いているのは、経営学部の友人よりもどちらかというと、音楽で結びついた友人が多いですね。当時高校生だったキャサリン・ヴォタペックとも親交が続いています。彼女はその後ジュリアード音楽院に進み、卒業後オハイオ州立大学で教鞭を取る傍らチェスター・カルテットのメンバーとして活躍し、今はミシガン大学の教授を務めています。

 

★パン作りと音楽の共通点について★

――そんなに貴重で濃厚な経験をされてしまうと、音楽の道から離れたくなくなりますね。

続木社長:そうなのですが、逆にアメリカでの音楽経験の中で自分はやっぱりプロの音楽家は無理だということがよくわかったし、やはりアメリカ留学の目的は進々堂を継ぐために経営学を勉強することだと思い続けていたので、父との約束通りミシガン州立大学卒業後すぐに進々堂に入社しました。

――音楽とパン作りに共通するものはありますか。

続木社長:共通点どころか、音楽作りとパン作りはとても似てるんですよ。パンも音楽も初めにイメージありきだと思うんです。

音楽の場合も、作曲家へのリスペクトや様式への理解をちゃんと持ちながら「こういう風に表現したい」というイメージというか熱意を持って演奏しないと、どんなにテクニックがすばらしくてもつまらない演奏になってしまいますよね。

パンの世界も同じです。生地の配合や工程は決まっていますが、その通り作ったとしても必ずしもおいしく焼き上がるとは限りません。素材や製法をしっかり知った人が「こういう食感、こういう味にしたい」というイメージをしっかり持って、そこに向かって微調整を重ねることでおいしく焼きあがるのです。でもこれは結構難しいことで、作り手が同じでも、昨日と同じパンはなかなかできません。音楽も同じですよね、昨日と同じ演奏をしなさいと言われてできる演奏家は絶対にいないでしょう。

「パン」は生き物です。パン生地は発酵するので生き物であるとわかりやすいですが、実は小麦粉も日々違うんですよ。少し専門的な話になりますが、小麦粉はほとんどがでんぷん質、あとはたんぱく質と水分ですが、その中に酵素というものが生きてるんです。アミラーゼやプロテアーゼという名前は聞いたことがあると思いますが、そういうたくさんの酵素がパン生地のなかで様々な働きをしてパンをおいしくしてくれるんです。日々それぞれの酵素の活性度合いが違うので、同じ配合・同じ温度で生地をこね上げても毎日必ず違う生地になります。ですから、品質を一定に保つには、その日その日の生地状態を見極めながら、生地の扱いを調整する必要があります。複数のスタッフが関わる場合には「こういうパンが焼きたい」という共通のイメージが職場に浸透していないと、品質がぶれてしまうんです。

――開発者だけじゃなくて様々な製作ラインの方の気持ちが一致する必要があるということですか?

続木社長:はい、その通りです。うちは、仕込みは仕込みで整形は整形、焼きは焼きとわかれているので、それぞれの部門に携わるスタッフがパンの最終的なイメージをちゃんと持って瞬時に判断できないと、同じパンを作りあげることはできません。個人店さんと企業パン屋ではそこの難しさが違います。個人店では親方が出て行って全部指示できますけども、我々は分担していますから、焼き上がりの同じイメージを皆が持って、そこに向かって仕事してくれることがとても大切なんですよ。

――私たち素人がショーケースを見ていると、毎日同じパンが並んでいるように見えます。

続木社長:プロの目で見ますと毎日必ず微妙にぶれているのがわかります。それを一般の消費者の方が見て食べてわからないブレ幅にしないと、皆さんの期待を裏切ることになってしまいます。

今回のパティスリーも、開発段階では同じ担当者が一から自分で作ったので、そんなにぶれていないですけども、これを通常の製造ラインに乗せて、毎日同じ状態に仕上げるとなるとそこでまた一苦労があるんですよ(笑)。

その中でやはり一番大事なことは、「こんな風に焼き上げたい」というイメージを皆に共有して持ってもらうことなんです。

――まるで続木社長はオーケストラの指揮者みたいですね。

続木社長:まさにその通り!実際、指揮者の仕事と同じだと思います。ものづくりって全てそうだと思いますよ。

 

★続木社長のもう一つの顔「教会オルガニスト」★

――私どもが毎月発行している「コンサートガイド」で、1年間(2016年6月号から2017年5月号まで)「パン屋社長の音楽コラム~思い出の名演奏~」というコラムを書いていらっしゃいました。そこに教会のオルガニストと書かれていましたが、ヴァイオリンをされていた続木社長がなぜオルガンをされているのですか?

続木社長:いま行っている京都聖マリア教会にはプロのオルガニストがいなくて、数人で役割分担して、だいたい月1回オルガンを弾いているんです。僕はもともとピアノをやっていたので、自由学園時代に通っていた教会でも時々オルガンの当番にあたって弾いていました。でも、きちんと足鍵盤までつけて弾こうと思ったのは社会人になってからです。

オルガンをやろうと思った理由は、仕事が忙しくなって練習時間がとれなくなって段々ヴァイオリンが弾けなくなってきたのですが、やっぱり音楽する手段がほしかったんです。オルガンはヴァイオリンと違って一人で音楽が完結するのですごく楽しいんです。しかも、演奏と呼べるかどうか別にしても、月に1回ですが当番の日には人前で演奏する機会もありますし。年に1,2曲ずつですが(礼拝の前後に弾く)奏楽曲のレパートリーを増やしていくのも楽しいです。

――讃美歌だけでなく、奏楽も弾かれるのですか?

続木社長:はい、奏楽も弾いています。新しい曲にチャレンジするときは同志社女子大学講師のオルガニスト中山幾美子さんに時々レッスンを受けています。

――そうなんですね!素晴らしいです。続木社長はパンにしても音楽にしても「表現者」でいらっしゃるのですね。
お忙しい中ありがとうございました!

(2018年7月4日京都コンサートホール事業企画課インタビュー@進々堂 本社)

*  *  *

【特別連載①】ドビュッシーとパン(牧神)はこちら
【特別連載②】進々堂 続木社長インタビュー(前編)はこちら
【特別連載④】ピアニスト 永野英樹に迫る
スペシャル・シリーズ《光と色彩の作曲家 クロード・ドビュッシー》の特設ぺージはこちら。

【NDRエルプフィル特別連載③】「北ドイツの雄、NDRエルプフィル」(中村真人、ジャーナリスト/ベルリン在住)

Posted on
京都コンサートホール

いよいよ公演が来月に迫った「NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団(旧ハンブルク北ドイツ放送交響楽団)」(11/1)。

本公演の魅力をお伝えする「NDRエルプフィル特別連載」。第3弾は、NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団についてご紹介します。ライターは、ベルリン在住のジャーナリストで、ドイツのオーケストラ事情に詳しい中村真人さんです。


「北ドイツの雄、NDRエルプフィル」
中村真人(ジャーナリスト/ベルリン在住)

NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団(エルプフィルハーモニーにて)

地方分権の伝統が強いドイツでは、公共放送も州レベルで置かれている。それら放送局を母体とするオーケストラがドイツにいくつもあり、いずれも高い水準にあることはこの国のオーケストラ文化の豊かさを物語っているといえるだろう。その中で、北の雄といえるのが、ハンブルクを本拠とするNDRエルプフィルハーモニー管弦楽団である。

NDR(北ドイツ放送)の放送オケであるこの楽団は終戦の年である1945年に創設され、初代首席指揮者ハンス=シュミット・イッセルシュタットのもと、短期間で飛躍的に実力を向上させた。その後、1982年から第4代の首席指揮者を務めたギュンター・ヴァントのもと、楽団は新たな黄金期を迎える。

筆者はドイツへ短期留学した1998年夏、当時日本で新譜が出る度に話題になっていたヴァント指揮北ドイツ放送響(当時の名称)の生演奏をどうしても聴きたくて、はるばるエジンバラ音楽祭まで赴いたことがある。曲目はブルックナーの交響曲第5番だったが、まるで建築物を思わせる堅固な構築と、完璧に調和の取れた、それでいて人間味を失わない深い響きが脳裏に焼き付いている。オーケストラの響きの差異が昔ほど聴き取りにくくなっているグローバル化の世界にあって、NDRエルプフィルはドイツのオケとしての独自の響きをいまに伝える楽団の一つだ。それは、彼らが長年本拠地としてきたライスハレという豊かな響きを持つホールと共に育まれてきたもので、ハンブルク生まれのブラームスを始めとするドイツもののレパートリーはかけがえのない魅力をもつ。

2017年1月、この楽団に新たな歴史が刻まれた。世界中の注目を集める中、新コンサートホールのエルプフィルハーモニーが華々しくオープンしたのである。ライスハレは名ホールだが、これまでオーケストラはリハーサルを行う放送局のスタジオと本番のホールとの間を毎回行き来しなければならなかった。1つのホールでリハーサルから響きを作り上げられるということは、世界の一流オケにとってきわめて重要な環境であり、そのための条件でもある。また、2100席のキャパシティを持つエルプフィルハーモニーでは、マーラーやワーグナーといった巨大編成の曲にも余裕をもって対応できる。ホールの話題性もあって、ほぼ毎公演が完売という盛況だ。NDRエルプフィルは、これ以上ないほどの音楽的環境を手にしたのである。

エルプフィルハーモニーの杮落とし公演の様子(C)michael_zapf

そういう中、2019/20年シーズンからアラン・ギルバートが首席指揮者に就任する。正式な就任はまだ1年後だが、ギルバートは2004年から15年までこのオケの首席客演指揮者を務めるなど、すでに緊密な協力関係ができている。新たな本拠地とシェフを得たNDRエルプフィルは、伝統的なレパートリーに加えて、より多彩な響きのパレットや柔軟性を獲得しつつある。ギルバートのもと、このオーケストラが新たな黄金時代を迎えるための条件は、すでに十分すぎるほど揃っているのである。


中村真人(なかむら・まさと)
フリージャーナリスト。神奈川県横須賀市生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、2000年よりベルリン在住。著書に『ベルリンガイドブック「素顔のベルリン」増補改訂版』など。ブログ「ベルリン中央駅」http://berlinhbf.com

 


【特別連載②アラン・ギルバート】スター指揮者のポートレート(山田治生、音楽評論家)

NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団特設ページ

【NDRエルプフィル特別連載②アラン・ギルバート】スター指揮者のポートレート(山田治生、音楽評論家)

Posted on
京都コンサートホール

ドイツの名門「NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団(旧ハンブルク北ドイツ放送交響楽団)」公演 (11/1) に向けて、前回からスタートした「NDRエルプフィル特別連載」。

4回にわたって、本公演の聞きどころや注目ポイントについて特集します。

第2弾は、今回タクトをとる指揮者アラン・ギルバートの魅力に迫ります。オーケストラ事情に詳しい京都出身の音楽評論家 山田治生さんが、マエストロの輝かしいプロフィールから知られざるプライベートな一面まで、様々な話を紹介してくださいました。

11月1日(木)19時開演の公演詳細はこちら


「アラン・ギルバート~スター指揮者のポートレート~」
山田 治生 (音楽評論家)

アラン・ギルバートは、1967年、ともにニューヨーク・フィルのヴァイオリン奏者であるマイケル・ギルバート&建部洋子夫妻の間に、ニューヨークで生まれた。ヴァイオリンを始め、ハーヴァード大学、カーティス音楽院、ジュリアード音楽院で学んだ。1994年のジュネーヴ国際音楽コンクールの指揮部門で第1位を獲得。その後、サンタフェ・オペラ音楽監督やロイヤル・ストックホルム・フィル首席指揮者を歴任。そして2009年に42歳の若さでニューヨーク・フィルの音楽監督に就任した。マーラー、トスカニーニ、バーンスタイン、ブーレーズ、メータ、マゼールなどの時代を代表するスター指揮者がシェフを務めたオーケストラ。ギルバートは、そんな名門楽団の音楽監督を8年間務めた。

ニューヨークフィルとアラン・ギルバート(C)Chris Lee
エルプフィルハーモニーの模型とアラン・ギルバート(C)Peter Hundert

2017年限りでのニューヨーク・フィルからの離任が発表されてから、ギルバートの次のポストが世界的に注目されたが、彼が選んだのはNDRエルプフィルハーモニー管弦楽団だった(2019年秋に首席指揮者に就任)。かつて北ドイツ放送交響楽団と呼ばれたエルプフィルとギルバートとの付き合いは長い。2001年に初共演し、2004年から2015年まで首席客演指揮者を務めた。今回、新たに首席指揮者を引き受けたのは、新しいホール、エルプフィルハーモニーができて、大きな可能性を感じたからだ。「新しいホールができて、ハンブルクは世界が注目する新たな音楽スポットとなり、オーケストラも変わりました」という。

また、この4月からは東京都交響楽団の首席客演指揮者も務める。7月の就任披露演奏会では大きな成功を収めた。もちろん、世界の一流オーケストラや歌劇場への客演も続く。2018-19シーズンには、ベルリン・フィルをはじめ、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団、シュターツカペレ・ドレスデン、バイエルン放送交響楽団、ウィーン交響楽団、クリーヴランド管弦楽団、イスラエル・フィル、ミラノ・スカラ座などに登場する。

(C)Peter Hundert

ギルバートにとって、オーケストラとの相性はとても重要だ。彼は、指揮者とオーケストラとが引き起こす化学変化や音楽を分かち合う気持ちを大切にしている。そして「音楽体験の質の高さは、よく言われているオーケストラのランキング通りではない」という。

彼は、オーケストラのメンバーとのコミュニケーションを積極的に図る。たとえば、今年の終わりには、ヴィオラ奏者として、東京都響メンバーとブラームスの弦楽六重奏曲を弾いたり、ゲヴァントハウス弦楽四重奏団(ゲヴァントハウス管の主力で構成)とドヴォルザークの弦楽五重奏曲第3番を共演したりもする。

もちろん、家族もとても大切にしている。両親がヴァイオリン奏者であることは最初に述べたが、妹のジェニファーもヴァイオリニストで、彼女はフランス国立リヨン管弦楽団のコンサートマスターを務める。アランには14、13、8歳の3人の子供がいて、家にいるときは料理や子供の学校の送り迎えもしている。14歳の長女が自らすすんで熱心にヴァイオリンやピアノの練習をしているのをアランは楽しんで見ているという。

 


山田 治生(やまだ・はるお)

音楽評論家。1964年、京都市生まれ1987年慶應義塾大学経済学部卒業。雑誌「音楽の友」などに寄稿。著書に「トスカニーニ」、小澤征爾の評伝である「音楽の旅人」、「いまどきのクラシック音楽の愉しみ方 」、編著書に「戦後のオペラ」、「バロック・オペラ」、訳書に「レナード・バーンスタイン ザ・ラスト・ロング・インタビュー」などがある。


【特別連載③】「北ドイツの雄、NDRエルプフィル」(中村真人、ジャーナリスト/ベルリン在住)

NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団特設ページ

【光と色彩の作曲家 クロード・ドビュッシー特別連載②】進々堂 続木社長インタビュー(前編)

Posted on
アンサンブルホールムラタ

2018年に没後100年を迎えるドビュッシーに焦点をあてたスペシャル・シリーズ《光と色彩の作曲家クロード・ドビュッシー》では、京都の老舗ベーカリーの進々堂様と特別コラボレーションをし、ご来場のお客様に記念パティスリーをプレゼントします。

シリーズをより知っていただく特別連載の第2回として、京都コンサートホールと一緒にコラボレーション内容を考えてくださった株式会社進々堂の続木創社長に、パティスリーの魅力をはじめ、パン作りや音楽についてお話を伺いました。非常に濃密な内容となりましたので、前編・後編と2回に分けてお送りします。

*  *  *

★コラボレーションについて★

――改めまして、この度は京都コンサートホールとのコラボレーションをお引き受けいただき、ありがとうございます。これまで、今回のように異ジャンルとのコラボレーションをされたことはございますでしょうか?

続木社長:はい、一番面白かったのは、京都市美術館がバルテュス展(2014)を開催した時のコラボレーション。美術館のみではなく、京都市内のいろんなところにバルテュスに関連したものが存在するような環境を作りたい、ということでバルテュスに因んだメニューを進々堂のレストランとカフェで出して欲しいというご依頼でした。
バルテュス未亡人が日本人の素敵な女性という幸運もあり、バルテュスが生前好物にしていた食事につき奥様にいろんなお話を聞くことができました。ところがこれが結構ハードルが高くて、「パン・ド・カンパーニュにハムを挟んだシンプルなサンドイッチ」とか、「スパゲッティも塩とバジルだけのシンプルなもの」とか。実はそういうのが一番難しいんですよね。あとは「チョコレートムースが好きだった」というお話もあったので、四苦八苦しながらも何とかメニューとしての体裁を整え、奥様に試作品を食べていただきOKが出たときにはみんなで大喜びしました。それまで知らなかったバルテュスという画家を身近に感じるようになって、とても楽しい仕事になりました。

 

――とても面白い試みですね!コラボレーションをするには時間もエネルギーもかかるかと思いますが、どういったところにコラボの価値を見出されますか?

続木社長:このようなコラボレーションをすると、僕にとっても社員にとってもとても良い刺激になります。やっぱりパンはヨーロッパの文化の中で育まれたものなので、「芸術家がどのようにパンを楽しんでいたか」を再現してみると、社員たちにとってもイマジネーションをふくらませる良い助けになります。そして、自分たちの仕事のルーツみたいなところを再確認することにもなります。普段なかなかここまで手間暇かけて商品開発は出来ないんですが、実際にコラボレーションに取り組ませることで、これだけ広がりがあって楽しいことができるということが社員たちの気持ちの中に芽生えます。今回のコラボレーションを担当した社員たちも、「仕事が全部こんなんだったら楽しいのにな」と言いながらやっていますよ。なおかつお客様にも進々堂の「食文化に対する姿勢」みたいなものが伝われば良いな、と社長としてはそういう打算(?)をたくさん持ってやっています(笑)。

★今回のコラボレーションと特別パティスリーについて★

――コラボレーションはパン作りの原点を見直す大切な機会なのですね。社員のことを大切に、そして真剣に考えていらっしゃる続木社長の想いがとても伝わってきました。
ところで私どもの企画である、京都・パリ友情盟約締結60周年・日仏友好160周年・ドビュッシー没後100年 スペシャル・シリーズ《光と色彩の作曲家 クロード・ドビュッシー》とのコラボレーションについてもお話を聞かせていただけますでしょうか。

続木社長:京都市・パリ市の60周年という記念すべき年に、進々堂がこのような形で関われるというのはとても光栄だと思っています。しかもドビュッシーの没後100年という時に、ドビュッシーにちなんだものを作れるというのはとても楽しいです。

 

――そう言っていただけて嬉しいです!今回のコラボレーションでは、とても素敵なパティスリーを作っていただきましたが、完成までにはどのような経緯があったのでしょうか?

続木社長:もともとは、ドビュッシーの生家があるサン=ジェルマン・アン・レー(SaintGermain-en-Laye) にある「メゾン・グランダン(Pâtisserie Grandin)」という老舗洋菓子屋さんの「ル・ドビュッシー(Le Debussy)」というチョコレート菓子を作ろうと真剣に考えました。ところが取り寄せて試食してみたら、味そのものがイマイチしっくりこなかったんですよね。その他にも色々難しい条件もあったので結局「ル・ドビュッシー」を作るのは諦めて、高野さん(京都コンサートホール 事業企画課)と相談しながらどんなことができるか考え、生まれたのがこの3つのパティスリーです。

――この3つのパティスリーはどうのように開発なさったのでしょうか?

続木社長:奇をてらうのではなく、もともとフランスの食文化の中にあるものを応用しながら、何か新しいものを作りたいと思いました。結局、第1回ではアーモンドクリームを包みこんだブリオッシュ、第2回では様々な形のフィナンシェ、そして第3回では南西フランス・ボルドー地方の伝統菓子カヌレにオレンジ・リキュールをきかせたものになりました。フランスの伝統的な「美味しさ」をうまく組み合わせて、今回のイベントにふさわしい味を作り出そうという試みだったんです。

例えば、第1回のブリオッシュ生地にアーモンドクリームを包んだヴェノワズリー(注:卵や牛乳、砂糖などを用いたリッチなパンの総称)なんてあって不思議じゃないのに、なぜか今まで無かった。第3回のカヌレも、カヌレに「グラン・マルニエ」のオレンジ・リキュールを加えるなんて今まで誰もやってないと思うんですけれど、やってみたらすごく美味しかったんです。「こんなに美味しいのになんで今までなかったのかな」というものを目指したので、皆さんがどのように召し上がってくださるかとても楽しみです(※詳しくは、当ブログ「進々堂様ご提供の特別パティスリー、詳細決定!」をご覧ください)。

★ドビュッシーについて★

――さて、続木社長はクラシック音楽がお好きだと聞きましたが、ドビュッシーはお好きですか?

続木社長:ドビュッシーはとても好きな作曲家です。僕自身はどちらかというと、バッハ、モーツァルトからベートーヴェン、ブラームスという流れのドイツ・クラシックが好きなんですけど、フランス音楽の中でも印象派のラヴェルやドビュッシーは好きです。実は僕は子供の頃からヴァイオリンを習っていて、学生時代に弦楽四重奏もやったのですが、ラヴェルの弦楽四重奏曲は弾いたことがあります。ドビュッシーも演奏したかったんですが、実はドビュッシーの方がずっと技術的に難しくて諦めました。でも、ロマン派以降の弦楽四重奏曲で一番好きな曲はと訊かれたら、多分ドビュッシーと答えます。特に子守唄のような第3楽章が好きですね。

それから今回のコラボレーションがはじまってもっとドビュッシーについて知りたいと思い、ドビュッシーの伝記、島松和正著 『ドビュッシー: 香りたつ音楽』(講談社エディトリアル刊)を読みました。お医者さんが書かれたすごく素敵な本で、ああいうディレッタンティズム(注:芸術や学問を趣味や道楽として愛好すること)ってすごいと思いました。読んでいて本当に楽しかったです。
今はユーチューブで世の中の曲ほぼ全てが聴けますよね。その伝記を読みながら、曲名をユーチューブに入力するとほとんど全部聞けてしまってびっくりしました。そして知ったのですが、ドビュッシーって若い頃に素敵な歌曲を本当にたくさん書いているんですね。後年に書かれた管弦楽曲とかは結構聞いていたんですけど、今回この企画に関わったおかげで若かりし日にドビュッシーが書いた歌曲たちという新しい世界を知ることができました。こういう出会いって本当に嬉しいものですね。

* * 後編につづく * *

(2018年7月4日京都コンサートホール事業企画課インタビュー@進々堂 本社)

*  *  *

インタビュー後編はこちら。
スペシャル・シリーズ《光と色彩の作曲家 クロード・ドビュッシー》の特設ぺージはこちら。
特別連載①「ドビュッシーとパン(牧神)」はこちら。

京都コンサートホール×ニュイ・ブランシュKYOTO 2018 「瞑想のガムラン――光と闇に踊る影絵、覚醒の舞」

Posted on
京都コンサートホール

みなさん、「ニュイ・ブランシュ(白夜祭)」というイベントはご存知でしょうか?
「ニュイ・ブランシュ」とは、パリ市が毎秋行う一夜限りの現代アートの祭典のこと。京都・パリ友情盟約締結60周年にあたる今年、日仏の現代アートを楽しめる「ニュイ・ブランシュKYOTO」が市内各所で盛大に開催されます。

今年のテーマは「五感」!視覚、聴覚はもちろんのこと、触覚、味覚、そして嗅覚を刺激するアートが、街のいたるところで繰り広げられます。
そこで京都コンサートホールでは、2018年に没後100年を迎えるフランス人作曲家クロード・ドビュッシーが大きな影響を受けた、インドネシアの伝統楽器「ガムラン」演奏と影絵「ワヤン」を皆さまにお届けします!

ガムラン
ワヤン(影絵)

ドビュッシーとガムランとの出会いは1889年にまでさかのぼります。その年、フランス革命100周年を記念して4回目のパリ万国博覧会が開催されました。エッフェル塔が建設されるなど、これまでにない盛り上がりを見せたこの記念すべきイベントで、作曲家クロード・ドビュッシーは「ガムラン」を初めて見聞きしたのです。その出会いは彼にとって衝撃的なものだったようで、友人のピエール・ルイスに宛てて次のように書き残しています。

ジャワの音楽を思い出してくれ。あらゆるニュアンスを、もうなんとも形容しがたいニュアンスまでも含んでいたではないか」。

とてもユニークで神秘的な響きを持つガムラン音楽。その秘密は、「スレンドロ」や「ペロッグ」と呼ばれるガムラン特有の音階にあります。「スレンドロ」とは一オクターブをほぼ均等に分ける五音音階、「ペロッグ」とは一オクターブを不均等に分けた七音音階のことです。先のパリ万博でドビュッシーが聴いたとされるガムラン音楽には、スレンドロ音階が使われていたと言われています。それを聴いたドビュッシーは、さっそく自らも5音音階を用いて作曲を試みましたが、あのガムラン独特の響きは再現出来ませんでした。それはなぜでしょうか?

その答えは「音律」です。スレンドロ音階では、五音の音程関係は固定されません。ところが、クラシック音楽で用いられる音律は「平均律(1オクターブを12音で均等に分ける方法)」。平均律では音程幅が固定されるので、スレンドロ風に5音を選んでも、均一な響きになります。つまりドビュッシーがガムラン風に作曲したとしても、基本の音律が異なるために、あの独特な響きを生み出すことは不可能なのです。ところが、このガムランとの出会いはドビュッシーの作曲家人生におけるターニングポイントとなり、「ドビュッシーらしい」響きを生み出すきっかけとなったのでした。

さて、今回のニュイ・ブランシュはそんなガムラン音楽を京都コンサートホールで聴くことが出来る、滅多とないチャンスです!
場所はホールではなく、京都コンサートホール1階のエントランスホール。演奏はインドネシア伝統芸能団「ハナジョス」の2人が担当します。

ハナジョス

身体に響きわたるガムラン音楽に酔いしれながら、幻想的なインドネシアの影絵「ワヤン」やバリ料理(特別出店・京都北山ダイニングカフェ バリガシ)も同時にお楽しみいただける、特別な一夜を演出します。入場は無料、21時30分スタート予定です。ぜひ、秋の夜長を京都コンサートホールでお過ごしくださいね。

 


出演:インドネシア伝統芸能団ハナジョス(ローフィット・イブラヒム&佐々木宏実)
入場無料(定員100名)
日時:2018年10月5日(金)21時30分開始予定(21時開場/22時30分終了予定)
場所:京都コンサートホール1階 エントランスホール
主催:京都コンサートホール(公益財団法人 京都市音楽芸術文化振興財団)、京都市
協力:北山街協同組合
特別出店:ダイニングカフェ・バリガシ https://baligasi.com/
お問い合わせ:京都コンサートホール ☎075-711-2980 ※第1第3月曜休館(休日の場合は翌平日)

181005Nuit Blanche KYOTO 2018 English Flyer

【光と色彩の作曲家 クロード・ドビュッシー特別連載①】ドビュッシーとパン(牧神)

Posted on
京都コンサートホール

2018年に没後100年を迎えるフランスの作曲家ドビュッシーを讃えて、全3回のスペシャル・シリーズ『光と色彩の作曲家 クロード・ドビュッシー』(10/13、11/10、11/23)を開催いたします。

よりドビュッシーを知っていただくため、そしてこのシリーズをより楽しんでいただくため、本ブログで特別連載を行います。

連載の第1回目は、本シリーズの第2回『ベル・エポック~サロン文化とドビュッシー~』で演奏される《ビリティスの3つの歌》をはじめとする3作品から、ドビュッシーとパン(牧神)の関係に迫ります。

* * *

牧神の午後への前奏曲、シリンクス、ビリティスの3つの歌。
ドビュッシーが残したこの3つの作品に共通するもの――それは「パン(牧神)」です。

ルーベンス:パンとシュリンクス

「パン(牧神)」とはギリシャ神話に登場する牧人と家畜の神。顎髭を生やし、山羊の角と脚を持ち、半人半獣の姿をしています。そしていつもトレードマークとも言われる「パンの笛」と呼ばれる笛を手にしているのですが・・・。この「パンの笛」とはいったい何でしょう?

パンは大の女好きでした。毎日、森や川の女神(ニンフ)を見つけては追いかけまわし、見つけては追いかけまわし・・・の繰り返し。そんなある日、パンは「シュリンクス(フランス語読みではシランクス)」というニンフに出会いました。女好きのパンはもちろんシュリンクスに声を掛けますが、パンのその醜い容姿に恐れおののいたシュリンクスは逃げ回ります。でも、パンの恋心は高まるばかり。あきらめきれないパンはしつこくシュリンクスを追いかけまわし、とうとう川辺まで追い詰めました。そしてパンがシュリンクスを抱きしめようとした瞬間・・・!シュリンクスは神に助けを求め、その姿を葦(あし)に変えてしまいました。
シュリンクスを失い悲しみに暮れるパン。するとヒューっと風が吹き、その風にそよいで葦が音を鳴らしました。その音色はまるでシュリンクスの声のよう。葦に彼女の姿を重ねたパンは「少なくとも、あなたの声と共にいることができた」と喜び、その葦を束ねて笛を作りました。そしてその笛に「シュリンクス」と名前をつけて、肌身離さずいつも身につけていたといいます。この「シュリンクス」と名づけられた笛が「パンの笛」です。

 

ドビュッシーはなぜこの「パン(牧神)」をテーマに3つの作品を書いたのでしょうか?

そのひとつのきっかけとなったのが、19世紀を代表するドイツの大作曲家、リヒャルト・ワーグナー(1813-1883)の存在です。

リヒャルト・ワーグナー

ドビュッシーが生まれる1年前の1861年、ワーグナーの楽劇「タンホイザー」のパリ初演がオペラ座で行われました。結果的には大失敗となったこの初演ですが、パリの文化人には多大な影響を与えることとなったのです。中でも、ボードレール(ドビュッシーが最も好きな詩人として名を挙げた人物)は『リヒャルト・ワーグナーと《タンホイザー》のパリ公演』を執筆しワーグナーを称え、マラルメ(「牧神の午後への前奏曲」の作者で、19世紀フランス印象派最大の詩人)は『ワーグナー論評』に論文を寄稿したというように、とりわけ文学者から絶大な支持を得ました。しかし音楽家にとって、このワーグナーの影響は少し違うものでした。ワーグナーが独自の手法で己の音楽様式を確立していく中で、フランスの音楽家たちはワーグナーの音楽に対してフランス独自の音楽を生み出すことの必要性を感じたのです。さらに、その思いに拍車をかけたのが1871年普仏戦争の敗戦。これまで音楽をはじめとする文化の中心地であったフランスですが、この敗戦を機にドイツの存在を意識せざるを得なくなります。そしてそれはドビュッシーが活躍する19世紀末まで続いたのです。サン=サーンス(1835-1921)は1871年に国民音楽協会を設立、フォーレ(1845-1924)らとともにフランス音楽の再興に尽力、近代フランス音楽の基礎を築きました。続くラヴェル(1875-1937)は古典的な形式や表現に回帰し、若くして独自の様式を確立。ドビュッシーはというと、全音音階や半音階、五音音階やギリシャ旋法を用い、これまでの調性・機能和声からの逸脱を図り独自の手法を見出したのですが、それらを音楽の中で実現する格好の題材のひとつがギリシャ神話、とりわけ「パン(牧神)」、そしてパンの笛から奏でられる音楽だったのです。

《牧神の午後への前奏曲》はマラルメの詩『牧神の午後』の官能的で夢幻的な世界を描写した作品ですが、この作品によりドビュッシーは独自のスタイルを確立するとともに、20世紀音楽の扉を開いたとも言われています。《シリンクス》(作曲当初は《パンの笛》と名付けられていました)では、音階や旋法を駆使してパンが奏でるその笛の音を、そしてギリシャ神話の世界を、たった1本のフルートで見事なまでに表現。《ビリティスの3つの歌》でもその東方的な旋律で、瞬く間に人々をドビュッシーの世界に惹きこみます。

ドビュッシーは「パン(牧神)」を通じて自らの音楽を創出していったのです。

* * *

さて、ここまで書いてきたことはドビュッシーのほんの一面に過ぎません。ドビュッシーにはまだまだ我々が知らないたくさんの魅力が隠れています。

そんなドビュッシーを、そして彼の音楽をより深く知っていただくため、京都コンサートホールではスペシャルシリーズ『光と色彩の作曲家クロード・ドビュッシー』を開催いたします。計3回にわたるコンサートでは、ドビュッシーに精通した専門家によるナビゲーションとともに、ドビュッシーにまつわる様々な作品をお届けいたします。

ドビュッシーを知りたくなった方、ますますドビュッシーに興味を持った方。この機会にドビュッシーの世界に浸ってみませんか?

スペシャル・シリーズ《光と色彩の作曲家 クロード・ドビュッシー》の特設ぺージはこちら。

(京都コンサートホール 事業企画課)


【参考文献】
広瀬大輔 2018 「パリでわき起こったワーグナーへの熱狂」産経新聞社『モーストリー・クラシッック』254: 56
大嶋義実 2014 「無伴奏フルートアナリーゼ」アルソ出版『ザ・フルート』139: 56-57
松本 學 2012 「連載 Wagneriana ワグネリアーナ~ワーグナーにまつわるあれこれ 2」(『東京・春・音楽祭』ウェブサイト内) http://www.tokyo-harusai.com/news/news_1047.html (2018年8月2日閲覧)

特別連載②「進々堂 続木社長インタビュー(前編)」はこちら。

オルガニスト大木麻理 特別インタビュー(9/8オムロン パイプオルガン コンサートシリーズ Vol.62「オルガニスト・エトワール」)

Posted on
インタビュー

人気シリーズ「オムロン パイプオルガン コンサートシリーズ」の62回目、“オルガニスト・エトワール”にご出演いただく大木麻理さん。

大木さんは、第3回ブクステフーデ国際オルガン・コンクール優勝など輝かしい受賞歴を持つ、今注目のオルガニストです。その活躍は飛ぶ鳥を落とす勢いで、今年4月からミューザ川崎シンフォニーホールのオルガニストに就任されました。

今回、京都コンサートホール初登場を記念して、国内オルガニストの期待の星“エトワール”である大木さんに、オルガンの魅力や珍しい和太鼓との共演についてなど色々とお話を伺いました。

――こんにちは!この度はお忙しい中ありがとうございます。
まず大木さんのオルガンとの出会いをお聞かせいただけますでしょうか?

大木さん:小学校4年生の時に、地元静岡に新しいコンサートホールが完成し、そこにパイプオルガンが入りました。市民を対象に新しいオルガンの見学会が開催され、そこに参加したのがオルガンとの出会いです。
その豪華な見た目と、音色に一瞬で心をつかまれ・・・今に至ります!

――パイプオルガンは他の楽器にはない圧倒的な存在感がありますよね。大木さんにとって、パイプオルガンの魅力とは何でしょうか?

大木さん:心の琴線に触れるような繊細な音色から、天地がひっくり返りそうなダイナミックな音まで、一人で奏でることができることです。
また手だけではなく足を使って演奏したり、ストップ操作など、大きなおもちゃを操っている様な感覚になります。

――オルガニストの方々が両手両足を駆使して、大きなオルガンから様々な音色を引き出されている様子にはいつも感銘を受けます。この4月から務めていらっしゃる「ミューザ川崎シンフォニーホール・オルガニスト」について、具体的にどのようなお仕事をなさっているのか教えていただけますでしょうか。

大木さん:ソロやオーケストラとの共演など演奏のお仕事はもちろんのこと、「弾き込み」と称して、ホールが空いている時間は出来るだけ多くの時間楽器を鳴らすようにします。その中で楽器に不調がないか、チェックをしてオルガンが常に良い状態に保たれるように努めています。また外部からオルガニストをお招きする際には、その公演が円滑に進み、気持ちよく演奏をしていただくために“黒子”のような存在になることもあります。
そしてオルガンの魅力を一人でも多くの方に知っていただくため、オルガンの見学会やレッスンなども行っています。

(C)Mari Kusakari

――演奏だけでなく、様々な形でオルガンと関わっていらっしゃるのですね。大木さんは大学で教鞭も取られていますが、「教える」ことはお好きですか?また、「教える」ことによってオルガン演奏にどのようなプラス面がありますか?

大木さん:教えることは好きです。大きなやりがいを感じています。自分が教わってきたことを多くの人に伝えたいと思いますし、そのことがオルガンを習う人にとって何か助けになると嬉しいと考えています。レッスンをすることで音楽や演奏法などを客観的にそして冷静に見ることができ、自分が弾いている時には気付かない悪い癖などを知ることができます。
逆に生徒さんのオルガンと向き合う姿勢から学ぶことも沢山あり、レッスン後にはいつもオルガンが弾きたくなるんです!

――レッスン後でも弾きたくなるほど、オルガン愛に満ち溢れた大木さんから教えてもらえる生徒さんは幸せですね!
今回の演奏会では和太鼓との珍しいデュオを聞かせてくださいますが、なぜ今回和太鼓を選ばれたのでしょうか?

大木さん:いつかオルガンとコラボレーションしたい楽器の筆頭に「和太鼓」がありました。私の長年の夢だったのです!躍動感溢れる音、リズム、そして奏者の肉体と(誤解しないで下さい 笑)魅力的な要素が沢山詰まった楽器だと思います。

そしてもう一つの理由にオルガンと打楽器の相性の良さがあります。オルガンは繊細な音から地を揺らすような音まで、非常に大きなダイナミックレンジを持つ楽器ですが、アンサンブルをする時にお互いに音量の遠慮し合うことなく、つまりオルガンと対等のダイナミックレンジを持つ唯一の楽器が打楽器だと思います。

昨今ではオルガンとクラシック楽器としての打楽器との演奏機会は増えてきましたが、和太鼓はとても珍しいですよね・・・。日本人として日本の楽器を大切にしたい気持ちもあり、今回は同じ打楽器でも「和」なものを選んでみました。

大多和正樹(和太鼓)

――夢の共演を京都コンサートホールで聴けるのはとても楽しみです!
今回のプログラムの冒頭に演奏される、大木さんお得意の作曲家ブクステフーデについて、彼の作品の特徴や魅力などを教えていただけますでしょうか。

大木さん:得意なのかは正直わかりません・・・笑。でも大好きな作曲家の一人です。ブクステフーデの存在なしには、恐らくJ.S.バッハは誕生しなかったでしょう!
(青年バッハが約400kmの道のりを歩いて彼の演奏を聴きに行き、その虜になったという逸話が残っているくらいですから。)
ブクステフーデの音楽は、私にとって非常に「魅惑的」です。一筋縄ではいかない音楽の進行、そしてドラマチックなお芝居を見ているかのような劇的な音楽の展開に心を摑まれています。

――ブクステフーデはオルガン界にとって大切な存在で、時代や国を越えて多くの人を惹きつけた作曲家なのですね。
ところで、今回のプログラムについて、テーマや聴きどころをお教えいただけますでしょうか?

大木さん:私の中でのテーマは「未知への挑戦」です!オルガンと和太鼓によってどんな音楽が誕生するのか、私自身もわからないのです。でも面白いものになるという確信は持っています。
本音を言うと、私も一聴衆としてこの演奏会を聴きたいくらいです!
そして聴きどころは・・・「全部」!!

――プログラムを最初に拝見した時からずっとワクワクしております!
それでは最後に、演奏会を楽しみにしている皆さまへ、メッセージをお願いいたします。

大木さん:オルガンと和太鼓が一緒に演奏するなんて、どんな演奏会になるのだろう・・・と思われているお客様もいるのではないかと想像していますが、安心してください!きっとオルガンの新たな魅力を感じて頂ける機会になると思います。

個人的に最近気に入っている言葉に「オルガン浴」というものがあります。オルガンを聴くのではなく、リラックスしてオルガンの音を浴びて頂きたい、と思いついた言葉です。日光浴、森林浴などと並んで、この言葉がスタンダードになったら嬉しいな・・・なんて思っています。

初めての京都コンサートホールですが、新しいオルガンとの出会い、そしてお客様との出会いを今から心待ちにしております。オルガンの音を思う存分浴びにいらして下さい!

――色々なお話を聞かせてくださいまして、誠にありがとうございました。9月の公演がとても楽しみです!

(7月31日 京都コンサートホール事業企画課 メールインタビュー)

♪♪ 公演情報 ♪♪

オムロン パイプオルガン コンサートシリーズVol.62「オルガニスト・エトワール」

2018年9月8日(土)14:00開演(13:00開場)大ホール
[オルガン]大木 麻理(ミューザ川崎シンフォニーホール・オルガニスト)
[ゲスト]大多和 正樹(和太鼓)

[曲目]
ブクステフーデ:前奏曲 ト短調 BuxWV149
J.S.バッハ:トッカータとフーガ ニ短調 BWV565
J.S.バッハ(A.ラントマン編曲):シャコンヌ(無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番より)
ボヴェ:「東京音頭」による幻想曲
ラヴェル(K.U.ルードヴィッヒ編曲):ボレロ
ほか

[チケット料金]
全席自由 一般 1,000円 高校生以下 500
〈京都コンサートホール・ロームシアター京都Club、京響友の会の会員〉 900円

※障がいのある方:900円(同伴者1名まで)
京都コンサートホール・ロームシアター京都のみで取扱。
窓口でご本人様が証明書等をご提示ください。

詳しくはこちら♪

和太鼓奏者・大多和正樹 特別インタビュー(9/8 オムロン パイプオルガン コンサートシリーズVol.62「オルガニスト・エトワール」共演者)

Posted on
京都コンサートホール

9月8日(土)午後2時から開催される「オムロン パイプオルガンコンサートシリーズ vol.62 “オルガニスト・エトワール”」。今回の“エトワール”は、ミューザ川崎シンフォニーホールのオルガニストを務める大木麻理さんです。

オルガニスト 大木麻理

彼女が今回のプログラミングを考える際、一番最初に見せたこだわりが「和太鼓奏者の大多和正樹さんと共演したい」ということでした。
わたしたち京都コンサートホールもパイプオルガンと和太鼓の共演は初めてということで、どのようなコラボレーションになるか、わくわくしています。
そこで、和太鼓奏者の大多和正樹さんに、共演される際の聞きどころなどについてお話を伺うことにしました。

✥ ✥ ✥ ✥ ✥ ✥ ✥ ✥ ✥ ✥ ✥ ✥ ✥ ✥ ✥ ✥

――はじめまして、今回のパイプオルガンと和太鼓のコラボレーション、とても楽しみにしています。大多和さんは普段、どのような活動をなさっているのか教えていただけますか。

大多和さん:最も大事なのはその場に合った音量、音色と考えています。
故に呼吸を伴った演奏ができることを心がけています。
様々なアンサンブルやソロにて多様な音量幅で活動しております。
尺八、津軽三味線、箏、篠笛などの和楽器はもちろん、ジャズ、ラテン、アフリカン、クラシックなどあらゆる音楽、ダンサー、書家、役者など様々な創作者の方々と共演しております。

和太鼓奏者 大多和正樹

――従来の和太鼓のイメージにとらわれずに、様々な楽器と一緒に演奏されていらっしゃるのですね!その中で和楽器である和太鼓と、洋楽器(今回で言えばパイプオルガン)とのコラボレーションにどのような可能性を見出されていますか?

大多和さん:どんな楽器も先人のお陰で今日まで受け継がれてきていることの素晴らしさ、また歴史ある楽器が今回共に奏でられることに大変感謝しております。
互いに音量幅の広い楽器であること、このダイナミクスレンジの幅が似ていると思われる両者の音から生まれる新たなスタンダードアンサンブルに期待しています。

――なるほど、一緒に演奏することで魅力も2倍になるということですね。
ところで、大多和さんと大木さんが今回共演されるきっかけを教えてくださいますか。

大多和さん:昨年11月の東京オペラシティで、あるオーケストラと共演した際、楽屋前で大木さんから今回のお声掛けをいただいたのがきっかけです。
そのときは二人の共演はなかったのですが、和太鼓とのアンサンブルにとても興味を持っていらっしゃいました。
同時に私も「どんな繊細かつ壮大なアンサンブルになるのだろう!」とワクワクしたことを覚えています。

――ということは、今回が記念すべき「初共演」でいらっしゃるのですね!余計に楽しみになってきました。
さて、今回のコンサートで大木さんと共演なさる曲について、聞きどころをそれぞれ教えてくださいますか。

大多和さん:《トッカータとフーガ ニ短調》については、いくつかのビートが出ているなかで各シーンが演奏されることになるかと思います。少しロック寄り?かもしれません。いずれにしても珍しいかたちで演奏されることになると思います。
《ボレロ》は当然の音量の変化と共に、両手で同時に鳴らされる太鼓の移り変わりにご注目ください。
《東京音頭》に関してはオルガンバージョンをまだ聴いたことがなく、今のところ全く見当もつきません。後日大木さんの演奏音源を頂いたらイメージが浮かぶと思います。

――バッハでロック寄りですか!?《トッカータとフーガ ニ短調》はもう何回も聴いている作品ですが、まったく新しい《トッカータとフーガ》に出会えるような気がします。バッハ=ロックは想像つかないのですが、絶対カッコイイですよね。
それでは最後に、当日お越しくださるお客様に大多和さんから一言お願いできますでしょうか。

大多和さん:演奏とは、イメージを擦り合わせるために会話をしていくことと似ている気がします。言語を使って人と意思を伝え合うように、その楽器を操る人、お客様と共感できることは大変大きな喜びです。
パイプオルガンと和太鼓の「繊細かつ壮大な音世界」、大木さんと私の「音の会話」から皆さんと共感できる瞬間が生まれることに期待しながら、とても楽しみです!是非体感しにいらしてください!

――ありがとうございました!新しいパイプオルガンの世界を創ってくださること、いまから楽しみにしております。どうぞ宜しくお願い致します。

(7月23日 京都コンサートホール事業企画課メールインタビュー)

✥ ✥ ✥ ✥ ✥ ✥ ✥ ✥ ✥ ✥ ✥ ✥ ✥ ✥ ✥ ✥

【公演情報】

2018年9月8日(土)14:00開演(13:00開場)
大ホール
Saturday 8, September 2018 2:00 p.m. at Main Hall

いま注目の若手女流オルガニスト
待望の京都コンサートホール初登場!

輝かしい国際コンクール受賞歴を誇る、若き女流オルガニストの大木麻理。十八番のドイツ・バロック音楽はもちろん、和太鼓奏者の大多和正樹氏をゲストに迎えて、オルガンと和太鼓のコラボレーションまで披露します。
この魅力的なプログラムは、京都コンサートホールのためだけに組まれたものです!どうぞお見逃しなく!

[オルガン]
大木 麻理
(ミューザ川崎シンフォニーホール・オルガニスト)
Mari Ohki, Organ (Organist of MUZA Kawasaki Symphony Hall from1st April 2018)

[ゲスト]
大多和 正樹(和太鼓)
Masaki Otawa, Taiko (Japanese Drum)

[曲目]
ブクステフーデ:前奏曲 ト短調 BuxWV149
J.S.バッハ:トッカータとフーガ ニ短調 BWV565
J.S.バッハ(A.ラントマン編曲):シャコンヌ
(無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番より)
ボヴェ:「東京音頭」による幻想曲
ラヴェル(K.U.ルードヴィッヒ編曲):ボレロ
ほか