京都コンサートホールが誇る国内最大級のパイプオルガンをお楽しみいただける人気シリーズ「オムロン パイプオルガン コンサートシリーズ」。11月1日に開催するVol.76にご出演いただくのは、本シリーズ初登場となる日本オルガン界の第一人者 松居直美さんです。
7月中旬、教会での演奏を終えた松居さんにお話を伺いました。
――素敵な演奏をお聴かせいただきありがとうございました!11月のコンサートがますます楽しみになりました。今日は松居さんとオルガンのお話をたくさん聞かせてください。早速ですが、松居さんとオルガンとの出会いはいつですか?
私の両親はクリスチャンでしたので、幼いころから毎週日曜日は教会に通っていました。私が中学生の頃、当時通っていた教会にパイプオルガンが導入され、その時にオルガンの音色を聴いたのが出会いです。当時はピアノも習っていましたし、通っていた学校もミッション系でしたので、教会音楽は非常に身近でしたが、導入されたオルガンの披露演奏会を聴いたときに今までに聴いたことのないような音が聴こえてきたのです。オルガンは教会の2階に設置されたため、上から音が降ってくるような、そんな感覚でした。いま見ればごく一般的な楽器ですが、中学生だった私は「オルガンを弾いてみたい!」と思ったのです。
――そこからオルガンを演奏されるようになったのですか?
そうですね。教会では子どもが興味を持てばオルガンを弾かせてくれましたし、そのうち伴奏をさせてもらったり、慣れてきたら礼拝の奏楽も弾かせてもらえました。そういう点では、恵まれていたと思います。
――当時はオルガンを教えてくださる方がいたのですか?
当時は教会内にキリスト教音楽学校(現キリスト教音楽学院)があり、そこに通いオルガンを習いました。教えてくださったのは日本人の先生です。
――国立音楽大学への進学は、どのように決められたのですか?
ミッション系の一貫校に通っていたのですが、オルガンが好きで、もっとたくさんの作品を演奏してみたいと思い、音大に進学しました。周りのオルガン科の学生は牧師の娘さんや、日頃から教会に通ってオルガンを弾いているような方ばかりでした。
――大学卒業後はオルガニストになりたいと思っていましたか?
オルガニストになるというビジョンは全くなかったですね。実は一度、オルガンを辞めようと思ったことがありました。大学院を卒業してから1年くらいの時期です。オルガン科を卒業しても “何かになれる” というモデルがあったわけではありませんし、可能性も考えられませんでした。私が学生の頃はオルガンのあるコンサートホールはなかったので、ホールオルガニストという職もありませんでした。しかし、その頃たまたま誘われて行った国際基督教大学でのコンサートを聴いて、 “もう一度オルガンを演奏したい” と思ったのです。そのコンサートで演奏していたのは、東ドイツのトーマス教会のオルガニストだったハンネス・ケストナーでした。
※ハンネス・ケストナー
J.S.バッハも音楽監督を務めていた、ライプツィヒの聖トーマス教会のオルガニストであった人物。
――その演奏会を聴いて、ドイツ留学を決められたのですか?
はい。ただ迷いはありましたね。20代半ばというのはその後の人生を大きく左右する、とても大切な時期です。そのような時期にドイツに行って何年も時間を費やしてよいのかと悩みました。
ドイツの大学院では、ジグモンド・サトマリー先生のもとで3年半ほどオルガンを学びました。サトマリー先生は演奏の解釈にしても、音色の作り方にしても、私の視野をとても広げてくれた方です。古典作品だけでなく現代音楽にも取り組まれており、たくさんの方に作品を委嘱していました。現代音楽では楽譜が完成されていない(演奏しながら作り上げていく)こともありますが、その点においては不完全な楽譜から最大限のものを引き出すことができる素晴らしい方です。
※ジグモンド・サトマリー
1939年ハンガリー生まれのオルガン奏者。1970年にハンブルクのルター教会の音楽監督・オルガン奏者に就任。1978年よりフライヴルク音楽大学の教授を務める。京都コンサートホールでは1999年11月7日にリサイタルを開催している。
――ちなみに、オルガンはどのように学んでいくのでしょうか?同じ鍵盤楽器でもピアノとオルガンでは楽譜も奏法も違いますし、オルガンは音作りも自身でしなければいけない楽器ですよね。
音色に関して言えば、最初は先生が作ってくださいます。そのうち基本的な音の作り方を習いますが、オルガンひとつひとつ全く違いますので、基本的な考え方をそのまま当てはめてもどうしようもありません。留学した初めの頃は、初めて弾くオルガンの場合は先生が音色を作ってくださって、それを覚え、 “この組み合わせだとこういう音になるんだな” という経験を積み重ねていきました。楽譜や本に書いてあるものを読むだけではどうしようもありません。今でもほかのオルガニストが作った音の組み合わせを聴いて、 “こういうこともできるのだ” と思うときもありますし、これからも無限にあると思っています。奏法に関しては、まずは弾き方を習い、そして曲の解釈や演奏技術、様式などを習っていくという感じでした。
――ドイツ留学のあと、オランダにも留学されていましたよね?
ドイツ留学から戻ってきてしばらくしてから、オランダへ留学しました。オランダへは文化庁の海外特別派遣生としていきましたので期間は短かったのですが、主人がオランダに駐在していたため、日本とオランダを行き来するような生活を送りながら、オランダでも演奏活動をしていました。
――ドイツとオランダでオルガンを学ばれましたが、日本と海外ではオルガンを学ぶ環境は違いましたか?
当時、NHKホール以外に大きなオルガンはありませんでした。NHKホールは日常的に通えるような場所ではありませんし、サントリーホールができたのも私が留学から帰ってきて半年くらい後のことです。ですので、それまで私が日本で弾いてきたオルガンは小さな楽器でした。今のようにインターネットもなければYouTubeで見たり聴いたりすることもできない時代で、レコードを聴いたり本を読むくらいしか情報を得る方法はありませんでした。それが留学先ではいきなり大きくて響きのある楽器、そして石造りの教会で弾くのですから、違う楽器に出会ったような感じでしたね。
――オルガンが好きでオルガンを学ばれてきたなかで、オルガニストになろうと決心されたのはいつ頃ですか?
オルガニストになろうと思ったのは留学から帰ってきた後ですね。留学した時はオルガンが好きでオルガンが生まれた場所に行ってみたいという思いで行きましたので、海外の大学の卒業資格を取って何かになる・何かの職に就く、ということは考えられませんでした。
私が留学から帰ってきたときはちょうどバブルの時期でした。輝かしいものへの興味としてコンサートホールでオルガンを聴いてみたいという人がたくさんいるような状況で、演奏の機会もたくさんいただきました。ただ、日本はキリスト教国ではありませんし、教会も国教会のように国や人のサポートがあって存在しているわけではありませんので、日本でオルガンが楽器として人々にどのように定着していけるのかは分かりませんでした。そもそも、それまで日本のコンサートホールにはオルガンもなかったのですからね。演奏曲も今回(11/1)の公演のようなプログラムを出しても敬遠されてしまうというか、宗教的なタイトルが付いてしまうと、引かれる感じはあったように思います。ただ、ヨーロッパのような教会の縄張り争いはありませんでしたので、公共的な存在としてオルガンには別の道があるのではないかとも思っていました。
――貴重なお話をたくさんお聞かせいただきありがとうございます。インタビュー後半では、この続きや日本のオルガンにまつわるお話、そして今回のプログラムについてお話を伺いました。後編もお楽しみに!
(2025年7月 東京にて 京都コンサートホール事業企画課インタビュー)
♪11月1日(土)開催「オムロン パイプオルガン コンサートシリーズVol.76 松居直美 presents “J.S.バッハに至る道”」の詳細はこちら!

20世紀を代表するフランスの偉大な音楽家 ピエール・ブーレーズの真髄に迫る、京都コンサートホールのオリジナル企画「ブーレーズへのオマージュ」。コンサートの翌日11月9日(日)には、ブーレーズの作品や思想への理解をさらに深めていただくため、京都市立芸術大学 堀場信吉記念ホールにてスペシャルイベント「ピアニスト永野英樹による公開マスタークラス」を開催します。
ブーレーズに初めて会ったのはIRCAMでした。確か2009年です。私は2007年から2009年まで研究員として2年間、IRCAMに滞在していました。当時、修了作品を制作するため施設によく寝泊まりしていたのです。確か夜の22時頃だったと思うのですが、カフェで休憩しようと飲み物を取りにエレベーターを降りたら、ブーレーズが目の前にいたのです。僕は『え?』となりましたし、ブーレーズも『え?』となっていましたね(笑)。不思議な出会い方でした。その後、私の修了作品がポンピドゥー・センターでアンサンブル・アンテルコンタンポランの演奏により初演されることになったのですが、その時にもブーレーズは聴きに来ていました。作品を聴いていただいた後に直接お話ししたのですが、ものすごく緊張していて何をしゃべったかは覚えていません。でも『よかったよ』とは言ってもらえましたね。当時、ブーレーズはかなり高齢でしたので、一緒に活動をすることはなかったのですが、ブーレーズの存在感、そしてオーラのようなものを強く感じました。
パリに住んでいるときにブーレーズが指揮する姿を見たことがあります。作曲家としてのブーレーズと直接的な繋がりがあるかはわかりませんが、ブーレーズのリハーサルは極めて合理的なのですよね。楽譜を通してブーレーズの人柄を知ることは難しいと思うのですが、指揮者としてのブーレーズはきわめて厳格な音楽づくりをしていました。ただそれと同時に、ユーモアを忘れないという一面もあって、そういった場面に出会ったときに、『ああ、やっぱりブーレーズも人間なんだな』って思いました。僕が楽譜を通して知るブーレーズ以上に、指揮者ブーレーズは人間的だなと思います。楽譜からも論理だけでは片づけられない作曲家の顔みたいなものは見えるのですが、実際に指揮をしている姿を見ると結構インパクトがありました。
実は、この作品を演奏するのは今回が初めてです。作品のことはもちろん知っていましたし、重要なレパートリーであるということも分かっていましたが、これまで演奏する機会がありませんでした。《ドメーヌ》は、一時期親交のあったジョン・ケージの ”偶然性” の考え方から発展した “管理された偶然性” の作品です。 “管理された偶然性” というのは、ケージのように全てをコインやサイコロといった不確定なものに委ねるのではなく、全てが作曲家の意図のもとに統制されたうえで、奏者自身が演奏するフレーズの順番や奏法を選択しながら演奏するものです。
原曲が大編成の作品で、それをウェーベルンが五重奏に編曲しました。五重奏版では、原曲にある全ての音が入っているわけではありませんが、元の編成を踏襲した形でとてもよくできています。ピアノがたくさんのパートを担っているので音数も多く、どうしても響きが重厚で分厚くなってしますが、それに対し他の4つの楽器(フルート、クラリネット、ヴァイオリン、チェロ)がどうバランスをとっていくかが難しさの一つでもあります。また、指揮者がいれば問題なく合わせられるところも、5人の場合はアンサンブル力が試されます。大変ですがやりがいのある作品です。




毎年、名だたる指揮者と共に熱演を繰り広げてきた本フェスティバル。今年の指揮者はフェスティバル史上初となる海外の指揮者――オランダ出身の名匠
偉大なる2つの交響曲に挑む今年の「関西の音楽大学オーケストラ・フェスティバル」。





今年生誕100年を迎えた、20世紀の偉大なる作曲家 ピエール・ブーレーズ。2009年には「京都賞」を受賞し、ここ京都コンサートホールで彼の作品が演奏されるなど、京都とも縁の深い人物です。

2024年度から「京都コンサートホール 第3期登録アーティスト」として、アウトリーチ活動を行っているピアニストの福田優花さんと宮國香菜さん。2025年3月9日開催の「ジョイント・コンサート」では、それぞれの想いが詰まったプログラムを皆さまにお届けします。★ぼかし-208x300.jpg)
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