伊東信宏さん・三ッ石潤司さん・三輪郁さん オンライン・インタビュー(2021.10.02ラヴェルが幻視したワルツ)

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アンサンブルホールムラタ

10月2日(土)15時開催「ラヴェルが幻視したワルツ」(京都コンサートホール アンサンブルホールムラタ)。出演者の伊東信宏さん(監修・レクチャー)、三ッ石潤司さん(ピアノ・作曲)、三輪郁さん(ピアノ)にオンライン・インタビューを実施しました。

お三方共に旧知の仲でいらっしゃるということで、非常に濃い内容のお話を伺うことができました。ぜひ最後までご覧ください。

――今日はお忙しい中、お集まりいただきありがとうございます。まずは監修してくださった伊東さん、本公演のコンセプトについて教えていただけますでしょうか。

伊東信宏(監修・レクチャー)

伊東信宏さん(以下敬称略):コンセプトの中心にあるのは、ラヴェルの《ラ・ヴァルス》という曲です。
    コロナ禍が始まった頃、フランソワ=グザヴィエ・ロトが指揮する《ラ・ヴァルス》の映像がYouTubeにアップされたのですが、それを観てピンとくるものがありました。
    ラヴェルが《ラ・ヴァルス》を作曲したのはスペイン風邪のパンデミック下、今からちょうど100年前のことです。コロナ禍の今こそ、この作品を演奏すべきなのではないか、と思うようになりました。
    ラヴェルという人は、非常にシャイな人で、本音を言いたいときでも誰かのふりをしてしか言えないタイプ。《ラ・ヴァルス》も“ウィンナ・ワルツのふりをして”、自分の表現したいことを表現している曲なのだろうと昔から思っていました。
    《ラ・ヴァルス》の中には、ウィンナ・ワルツの断片みたいなものがたくさん出てきますが、それらはくっきりとは見えてこず、全部に紗がかかったかのように聞こえます。
    そういった「ウィンナ・ワルツの断片」を寄せ集めて、「紗幕の向こうにあるワルツ」を再構成してみたくなりました。つまり、《ラ・ヴァルス》から「本物のウィンナ・ワルツ」を仕立てるというような事をしたら面白いんじゃないかなと思ったのです。
    どなたにお願いしようかと考えた時、すぐに三ッ石さんのお顔が思い浮かびました。三ッ石さんはウィーンに長年住まれておりましたし、「ウィーンのインサイダー」とも言える人です。三ッ石さん自身がちょっとラヴェルに似たシャイなところがあって、でもこういう形の曲なら乗ってくださると思ってお願いしてみたら、快諾してくださいました。

三ッ石潤司さん(以下敬称略):即答しましたよ、やります!と。

伊東:快諾してくださって、とても嬉しかったです。三ッ石さんはピアノの名手でもありますので、新作委嘱と一緒に《ラ・ヴァルス》の演奏もお願いしました。この作品はピアノ・デュオですから、ピアニストが2名必要です。そうなると、やはりウィーンに長年住まれている三輪郁さんにお願いするしかないなと思い、打診しました。三輪さんにもご快諾いただき、よかったです。

三ッ石:三輪さんには僕の弾けないところを全部カバーしてもらおうと思っています(笑)

三輪郁さん(以下敬称略):いやいや、それはこちらのセリフです(笑)

伊東:こうなったらせっかくなので、音楽会として単純にウィンナ・ワルツを楽しんでもらうような面も必要だと思い、シェーンベルクとウェーベルンが室内楽版に編曲した、ヨハン・シュトラウスII世のウィンナ・ワルツなどもプログラミングしました。

――三ッ石さんの委嘱作品《Reigen(輪舞)―― La Valse の原像》について教えてくださいますか。

三ッ石潤司(ピアノ・作曲)

三ッ石:僕はもともとパロディという精神がすごく好きなんです。
    そもそも作曲っていうのは、最初は模倣から入るものだと思います。ですので、「様式を理解する」ということと、「それを模倣して曲を書く」ということは、作曲家としても演奏家としてもすごく重要なことなのではないかと考えています。
    作曲家としてパロディを書くということは、とても面白いことです。「どーだ!良く似ているだろう」ってドヤ顔もできるしね(笑)。
    だから今回、伊東さんから委嘱作品のお話をいただいた時、「面白そうだな」と思いました。もちろん、「いいものができるかな」と不安にはなりましたが。

――ラヴェルの《ラ・ヴァルス》でも、三ッ石さんの《Reigen(輪舞)――La Valseの原像》でも要になる「ウィンナ・ワルツ」について教えてくださいますか。

三輪:ウィンナ・ワルツの最大の特徴は、「ウン・チャッ・チャ」というように3拍が均等に演奏されず、「ウ・チャッッ・チャ」というように2拍目が通常より早いタイミングで入るんですよね。
    1980年代の終わり頃にウィーンで勉強していたのですが、実際に現地の舞踏会に呼ばれたことがありました。綺麗なドレスを着て壁の花になっていたら、地元の知らない青年がやってきて、私の手を取って一緒に踊ってくれました。周りの人たちの動きを真似ながらステップを踏んでいると、2拍目の間にドレスがひるがえることが分かったり、あるいは、それまで右回りで踊っていたのに左回りに変わった瞬間に「間」が誕生することが分かったり、だんだん回転のスピードが増していく等といったことを体感できました。ウィンナ・ワルツ特有のリズムは、舞踏会の場で必然的にそうなったのだということが分かりました。
    あともう一つ、ウィンナ・ワルツの拍節感に関する体験談があります。
    私たちにとっては少し早いタイミングに感じられる2拍目ですが、ウィーンの音楽家たちは「普通に弾いている」らしいのです。彼らと共演する時、2拍目のダウンボウ(上から下に弓を下ろす)や3拍目のアップボウ(下から上に弓を上げる)で自然と勢いが出たり、弓の動きが突き上げられたりするのですが、そこにワルツの回転が加わり、ウィンナ・ワルツ独特のテンポ感や抑揚が生まれていました。その自然な動きの中からウィンナ・ワルツの拍節感が生まれていたのです。

三ッ石:三輪さんはすごく丁寧にウィーン人の3拍子の説明をしてくれましたが、実はウィーンの人たちはそう言いながらも違うことを考えているのではないかなと思ったりもします。確かに理論的にはそうなのですが、彼らはおそらく理論では生きていない(笑)。そこがまたウィーンの面白さじゃないかなと思います。

――それでは続いて、コンサートのメインである《ラ・ヴァルス》についてお伺いします。今回はピアノ2台版で演奏していただきますが、ピアニストからみた《ラ・ヴァルス》とはどんな曲ですか?

三輪郁(ピアノ)

三輪:《ラ・ヴァルス》は、私にとってずっと憧れの曲でした。
だけど、絶対弾けないと思っていて、これまでずっと遠ざけていた曲なんですよね。
    忘れもしないのですが、三ッ石さんにピアノを始めて聴いてもらった時に「音色的にラヴェル。ドビュッシーっていうかラヴェルかもね。」と言われた事がありました。

三ッ石:え、そうなの。

三輪:その当時、自分にはどちらかというとドビュッシーの方が合っていると思っていました。でも、三ッ石さんからそう言われたので、ラヴェルを何曲か弾いてみました。ラヴェルの世界って、スペイン的な要素がありますよね。モヤッとした響きの中にきらきら感を感じたり、陰影みたいなものを感じたり。そういったものをお洒落に表現できるといいのかな、とは考えていました。私の父はトロンボーン奏者なのですが、オーケストラで奏でられるラヴェルの音楽を聴いたら、もう圧倒されちゃって。それをコンパクトにまとめたピアノの世界で、それも一人で全部やるなんて、そりゃ無理よって思っていましたが、「オーケストラみたいな音で、ラヴェルのピアノ作品を弾けたらいいな」とはずっと思っていました。
    だから今回、この演奏会のお話をいただいた時は、ものすごく嬉しくって。すごくワクワクしています。しかも、今回パートナーとして、三ッ石さんと一緒にできるっていうのは、もうめちゃめちゃ楽しみです。

三ッ石:僕がまだ大学生の頃、アルゲリッチが弾く《夜のガスパール》の録音を聴いた時に、「こんな事がピアノでできるんだ」と驚きました。あまりに驚いたので、実際に楽譜を買ってみて弾いてみたのですが、「なるほどこんなふうになっているのか」という箇所がたくさんありました。おそらくアルゲリッチは、ただシンプルに演奏しているのではなかったのだと思います。一種の「手品」ですよね。手品として成立するくらいの腕前が、ラヴェルのピアノ作品には必要なんです。
    ラヴェルのピアノ音楽は弾きやすくはないのですが、弾けるようには書いてある。そこがラヴェルのずるいところです。「これ弾けないとだめでしょ?」という、ギリギリのラインで書かれているので、僕らはそれに翻弄されるというか……。どうしても完璧に弾かないとまずいな、という気分にさせられますね。

――それでは最後に、公演にお越しくださるお客様へメッセージをお願いします。

伊東:まずウィンナ・ワルツの楽しさ、そしてラヴェルの魅力が伝わればと思います。それをお客様が色々な角度で楽しんでいただけると嬉しいです。色んな楽しみ方をしていただければ、と思います。

三ッ石:今回、プログラミングされている作品すべて、サービス精神旺盛な曲ばかりです。難しいことですが、表面的には楽しい曲ではあるけれど、その裏にどこか一抹の腐敗みたいなものを見せることができればいいなと思います。

三輪:変幻自在に変わっていく響きの面白さ、あとは色合いを楽しんでいただきたいです。ウィーンの自由さの中には、たくさんの色合いが存在します。例えばウィーンのオペラ座では、歌い手によって伴奏の仕方を変えています。そういうことを毎日やっているような人たちがいる国なので、その日・その時・どう弾きたいか、舞台上でいきなり変わるかもしれません。ウィーンにはそういった面白さがあります。
    今回のコンサートでは、そういった面白いことを仕掛けられる作品がたくさんプログラミングされています。舞台の演奏者が楽しんでいる空気感がお客様に波及するくらい、楽しいステージになるといいなと思います。

伊東:京都のお客様ですから、きっとそういう演奏を楽しんでくださる方も多いんじゃないかなと思います。

――興味深いお話をたくさんお聞かせいただき、本当にありがとうございました。
我々もコンサート当日を楽しみにしております。

 

 

洛和会ヘルスケアシステム 特別インタビュー(「The Power of Music~いまこそ、音楽の力を~」開催に寄せて)

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アンサンブルホールムラタ

京都コンサートホールがお送りする特別な4公演のシリーズ『The Power of Music~いまこそ、音楽の力を~』。
本シリーズは、新型コロナウイルス感染症で大変な今だからこそ、音楽の力を信じて前に進みたい――そんな思いを込めて企画いたしました。

いよいよ10月2日「ラヴェルが幻視したワルツ」(京都コンサートホール アンサンブルホールムラタ)からシリーズがはじまります。

開催に向けて、本シリーズのサポーターである洛和会ヘルスケアシステム様に、メールインタビューを行いました。お答えくださったのは、12月4日「クリスマス・コンサート」(大ホール)のプレコンサートに出演される、和田義孝さん(洛和会京都音楽療法研究センター次長・音楽療法士)です。

ぜひご覧ください。

――長年、京都で「医療」「介護」「健康・保育」「教育・研究」の4本柱で人々の暮らしを守ってこられた洛和会ヘルスケアシステム様ですが、1990年代から「音楽療法」を積極的に取り入れられています。医療の現場から見た「音楽の力」について教えていただけますでしょうか。

和田義孝さん

和田義孝さん:みなさんも音楽を聴いて自然に足や体が動いたことや、ひと昔前の音楽を耳にするとそれを聴いていた時の状況や情景を思い出したご経験などおありかと思います。いずれも音楽が働きかける力によるものだと考えます。
医療現場では、音楽療法士がその力を患者さんのニーズに応じて利用した音楽療法を行っております。病気により生きる意欲を失われた患者さんが音楽療法を通して新しい楽器と出会い、楽器の演奏を通して少しずつ自信や意欲を取り戻されたこともありました。またリハビリスタッフと連携して、好きな音楽を歌唱、鑑賞しながらリハビリを行うこともあります。このように「音楽の力」はさまざまな形で医療現場において活用されています。

 

――洛和会ヘルスケアシステム様が応援してくださる本シリーズ『The Power of Music~いまこそ、音楽の力を~』では、コロナ禍だからこそお客様に聴いていただきたい作品を集めています。音楽を通して、アフター・コロナをお客様とシミュレーションしてみようという試みです。
洛和会ヘルスケアシステム様の当シリーズに対する想いや、ご出演いただく「クリスマス・コンサート」のプレコンサートへの意気込みを教えていただけますでしょうか。

和田義孝さん:コロナ禍であっても新しい音楽は常に生まれ続けています。この1年間で、リモートでの多重録音による音楽制作、オンラインを活用した音楽配信など、新しい音楽制作や演奏形態が生まれました。音楽が私たちの生活の中に無くてはならない存在だからだと思います。過去にも世界でこのような危機的な状況が幾度と起こりましたが、音楽は絶えませんでした。そのような状況は作曲家や作品にも何らかの影響を与えていると思います。
『The Power of Music~いまこそ、音楽の力を~』では、4つのコンサートを通して過去を振り返り、そしてアフター・コロナの世界を考えるきっかけとなる大変興味深いプログラムだと思います。
シリーズ最後のクリスマス・コンサートでは、洛和会京都音楽療法研究センターがプレコンサートに出演させていただくことになりました。音楽療法で使用している楽器なども取り入れて、当センターならではの楽しいプログラムにできればと考えております。

※プレコンサートは、当日14:15よりステージ上で予定(クリスマス・コンサートのチケットをお持ちの方のみご覧いただけます)。

——最後に、このコンサート・シリーズにお越しになられるお客様へ、一言メッセージをいただけますでしょうか。

和田義孝さん:コンサートホールで聴く生の音楽は、耳で聴くだけではなく、目で演奏者の様子を見たり、体で音の振動を感じたり、演奏者や指揮者の緊張感を一緒に味わったりと、五感で楽しむことができます。クラシック音楽に対して堅苦しいイメージを持っている方もいらっしゃるかと思いますが、気軽にコンサートホールにお越しいただき、音楽のいろいろな楽しみ方や、新しい音楽との触れ合いを体験していただけたらと思います。

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「The Power of Music~いまこそ、音楽の力を~」特設ページ

ラヴェルが幻視したワルツ(10/2)
京都コンサートホール presents 兵士の物語(10/16)
オピッツ・プレイズ・ブラームス~withクァルテット澪標~(11/13)
京都コンサートホール クリスマス・コンサート(12/4) ※プレコンサート(和田義孝さんご出演)

【第1期登録アーティスト】ジョイントコンサートに向けて①(ピアニスト・田中咲絵)

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アンサンブルホールムラタ

2019年度よりスタートした「Join us(ジョイ・ナス)! ~キョウト・ミュージック・アウトリーチ~」。

初年度の2019年度は1年にわたり、京都コンサートホール登録アーティストの3組(石上真由子さん、DUO GRANDE[上敷領藍子さん・朴梨恵さん]、田中咲絵さん)と共に京都市内の小学校をまわり、たくさんの子どもたちに生演奏を届けることができました。その締めくくりとして2020年3月1日に「ジョイント・コンサート」を開催する予定でしたが、新型コロナウイルス感染症の影響により直前に公演中止となりました。
2020年4月からの2年目のアウトリーチ活動も中止を余儀なくされましたが、2021年3月7日に、1年越しでジョイント・コンサートを開催いたします(※チケットは完売)。

登録アーティストたち3組4名はこの1年間、自分の内面を見つめなおす時間として前向きに捉え、ネガティヴな感情とも向き合いながらも、新たな曲に取り組んだり、インターネットでの配信を試みたり、改めて楽譜を深く読み返したり、感染対策を施して自主演奏会を行ったりと、今できる音楽活動を精一杯重ねてきました。

そんなアーティストたちがコロナ禍で取り組んだことやコンサートに向けての思いを本ブログにて順番に紹介していきます。
まず1回目は、ピアニスト・田中咲絵さんからのメッセージです。ぜひ最後までご覧ください。

* * *

2020年は世界中の誰もが、思い描いていた未来とは全く異なる1年を過ごされたのではないでしょうか。

私も、当初2020年3月に予定されていたこのジョイント・コンサートが中止になるなんて、去年の今頃は夢にも思っていませんでした。出演予定だったコンサートが中止になるということ自体が初めての経験でしたし、周りの音楽家の皆さんのコンサートも軒並み中止になっていく光景をSNSを通して目の当たりにし、胸が痛みました。

しかし、個人的にはコロナ以前は常に何かに追われるようにスケジュールをこなしていたので、「これは一旦立ち止まって自分自身を充電するチャンス」と捉え、前向きな気持ちで自粛期間を過ごすことができました。

自粛期間には、この時にしかできないことをしようと思い、ピアノに関して言えば、これまでに取り組んだことのない作曲家の作品や、ずっと弾いてみたかった曲にいくつか挑戦しました。(7月に京都コンサートホールのYouTubeにアップされたメッセージ動画内で演奏しているシューマン=リストの献呈も新しく取り組んだ曲です。)

本番のステージで皆さんに演奏を聴いていただけることはとても幸せなことですが、じっくりと自分のためだけにピアノと向き合えた時間もとても尊く感じました。この期間が少しでも自分の肥やしとなっていればいいなと思います。

夏以降は、他の楽器の方の伴奏として動画収録にご一緒させていただく機会や、感染症対策を施した上でのコンサートや試演会など、これまでにない形での演奏の機会が徐々に戻ってきました。お客さんの立場としても、いくつかのコンサートを聴きにホールへ足を運びました。

今までの普通が普通でなくなってしまった今、このようなご時世でも音楽を聴きに会場へ足を運んでくださる方々、感染症対策を始め、コンサート開催までにあらゆる面でサポートをしてくださるスタッフの皆さんのおかげで、コンサートが成り立っているということを改めて実感しています。

そして何よりも、「生の音楽を演奏者とお客さんが同じ空気の中で共有できることの喜び」をとても強く感じました。

ジョイント・コンサートの開催が1年越しに決定し、チケット発売後すぐに売り切れ状態になったことからも、多くの方々がこのコンサートを楽しみにしてくださっているんだなと、とても嬉しく思っています。このコンサートが今度こそ無事に開催され、皆さまと楽しいひと時を過ごすことができますよう、私も心から願っています。

★「 Join us !~キョウト・ミュージック・アウトリーチ~」特設ページはこちら

【京響スーパーコンサート特別連載④】スウェーデン放送合唱団メンバー 特別インタビュー

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インタビュー

2019年11月23日開催の「京響スーパーコンサート」では、世界トップクラスのスウェーデン放送合唱団と京響が初共演します。

公演の魅力をより知っていただくための連載を本ブログにて行っております。
第4回は、スウェーデン放送合唱団のメンバーにメールインタビューを敢行しました。お答えいただいたのは、2010年からアルトパートを務める、クリスティアーヌ・ヒューランド(Christiane Höjlund)さんです。

合唱団の活動や今回歌っていただくモーツァルト「レクイエム」についてなどお伺いしました。
ぜひご覧ください。

クリスティアーネ・ヘイリュントさん

――この度はインタビューにお答えいただきありがとうございます。
創団からまもなく95年が経ちますが、長年受け継がれている伝統などはありますでしょうか。

クリスティアーネ・ヒューランドさん(以下「ヒューランドさん」)この合唱団が創団された当初から、ラジオでの生放送はとても大切な仕事です。
創団当時はラジオ放送が開始されてまだ間もなく、ライブ・パフォーマンスが聴衆へ音楽を届ける唯一の方法でした。たとえテクノロジーが発達し、コンサートの録音を後で聴くことができるようになっても、生放送はいつもどこか神経質になってしまうものです。しかし、ラジオ放送を聴く人々にとっては、これがライブ・パフォーマンスだと知っていただくだけで、音楽をより一層楽しんでもらうことができるのではないかと思っています。
また、長年にわたり現代音楽に取り組んでいる合唱団のメンバーたちは、ラジオの前で音楽を聴いてくださる聴衆の皆さまに、まさしく今ここで起きていることを伝えようと力を尽くしています。

――今回演奏いただくモーツァルトのレクイエムについて、歌い手から見た時の魅力は何でしょうか。

ヒューランドさん:モーツァルトの《レクイエム》は、世界中のクラシック音楽シーンにおいて最もよく演奏されている作品の一つと言えるでしょう。合唱団のメンバーはこの曲を何度も歌い熟知していますが、それでも音楽の真価を語るこの作品に回帰するたびに、大いなる喜びを感じます。

この《レクイエム》はすべての構成要素が歌手たちによって表現されます。ソプラノ、アルト、テノール、バスはそれぞれ個々の旋律を持ち、そのどれもが喜びに満ちて歌いがいのあるもので、恐れをなすようなフォルテッシモから穏やかなピアニッシモまで、表現の幅に富んでいます。この作品は全体を通して多彩で、オーケストラと歌手はそれぞれ美しいソロのパートを持ち、印象的で穏やかな合唱のパートはその中間を成します。生と死、天国と地獄といった永遠の問題を扱った、死のミサのラテン語テキストがすべてを繋ぎとめています。創造的な遊び心と美の混交、かたやテキストの持つ引力、これらが聴衆と奏者の双方に訴えかけるのだと思います。

――合唱団としての強みや特徴はどういうところにあると思いますか。

ヒューランドさん:スウェーデン放送合唱団はよく、温かく深みのある(ワインの)フルボディのようなサウンドを持つ多才な合唱団だと言われています。
また、私たちには作曲家たちと共に新しい音楽を創り上げていく伝統があります。初めはどんなに不可能に思えることでも果敢に挑戦し続ける私たちですが、この合唱団の持つ献身や意欲といったものが作曲家たちの限界を押し広げることができるのです。このように、知られざる領域へと音楽を導き続けることは、合唱団にとってもっとも大切な仕事の一つだと考えています。

一方で、現代音楽以外の作品も喜んで歌います。その音楽が可能な限り自然に聴こえるように曲に合わせてサウンドや歌い方を調整するのは、この合唱団の象徴とも言えます。

スウェーデン放送合唱団(C)Arne Hyckenberg

――スウェーデン放送の合唱団として、自主コンサートとツアー以外にはどのような活動をされていらっしゃいますか。

ヒューランドさん:コンサートとツアーが大部分を占めていますが、マスタークラスや音楽学校との共同事業を通じた、合唱指揮者、作曲家、歌手たちの教育活動も積極的に行っています。これらの活動により、未来の合唱芸術とそれを担う合唱団の大いなる可能性を確かなものにできるのです。

――世界のオーケストラとの共演も多いかと思いますが、近年行ったオーケストラと公演の中で、印象的なコンサートがあれば教えてください。

ヒューランドさん:2018年の春、ベルリンでモーツァルトの《ミサ曲 ハ短調》を歌いました。ダニエル・ハーディングの指揮でベルリン・フィルハーモニー管弦楽団と共演させていただき、本当に光栄でした。スウェーデン放送合唱団はクラウディオ・アバドの時代にベルリン・フィルと密な関係を築き、この合唱団における伝説を残しました。世界屈指のオーケストラと名高いステージで共演できるというのは素晴らしいことです。

我らがスウェーデン放送交響楽団とも、いつも楽しんで共演しています。最近では、ブラームスの《ドイツ・レクイエム》を共演し、ライブ録音もしました。音楽の魔法が煌めいた瞬間を経験しました。

――最後に、京都のお客様へのメッセージをお願いします。

ヒューランドさん:京都の皆さまに私たちの演奏を聴いていただけること、感謝に尽きません!日本という美しい国を訪れることを、どれだけ私たちは楽しみにしていることでしょう!食べ物、電車、自然、街並み、人々の親切さやホスピタリティが大好きです。そして何より、各地には素晴らしいコンサートホールがあり、訪れるたびに思いやりのある素晴らしい聴衆の皆さまが温かく迎え入れてくださり、私たちに大いなる愛と音楽への想いをくださるのです。Thank you, Dōmo arigatō ” ”Tack så mycket”!

――お忙しい中ご協力いただきまして、誠にありがとうございました!23日の公演を楽しみにしております!

(2019年10月事業企画課メールインタビュー)


★公演情報はこちら

★特別連載
第1回「スウェーデン放送合唱団の魅力~人間の声の可能性は無限大~」
第2回「スウェーデン放送合唱団 前音楽監督ダイクストラ氏に聞く」
第3回「広上淳一氏 特別インタビュー」

【京響スーパーコンサート特別連載③】広上淳一氏 特別インタビュー

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インタビュー

2019年11月23日(土・祝)に開催する「京響スーパーコンサート」では、広上淳一氏指揮の京都市交響楽団が世界トップクラスの合唱団「スウェーデン放送合唱団」と共演し、オール・モーツァルト・プログラムを披露します。

本ブログでは、インタビューなどを通して公演の魅力をお伝えする特別連載を行っております。連載の第3回は、本公演で指揮を務める、京響常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーの広上淳一氏にお話を伺いました。スウェーデン放送合唱団やモーツァルトについて色々と語っていただきました。


共演するスウェーデン放送合唱団について


――本日はお忙しい中、インタビューをお引き受けいただきありがとうございます。昨年11月に行われた記者会見で、スウェーデン放送合唱団を聴いたとおっしゃっていました。その時のことを含めて、同団の印象を教えてください。

広上氏:スウェーデンのノールショピング交響楽団の首席指揮者(1991~95年)をやっていた時、アムステルダムに住んでいて、ストックホルムへ仕事に行った時、聞いたことがあります。

スウェーデン放送合唱団はとても有名な合唱団で、亡くなったクラウディオ・アバド先生がベルリン・フィルの常任指揮者でいらっしゃった時、必ず彼らを使って合唱曲を録音したり演奏会をしたりしていました。もともとはスウェーデン放送局のオーケストラ(スウェーデン放送交響楽団)と一緒に編成されている合唱団でしたが、1990年代から2000年の初めにかけて、世界的な名声を確立するところまで有名になりました。

ペーター・ダイクストラ氏(※2007年~2017年スウェーデン放送合唱団の常任指揮者を務めた世界的合唱指揮者)の前の常任指揮者、エリック・エリクソン氏(”合唱の神様”と称され、スウェーデン放送合唱団の常任指揮者を長く務めたスウェーデン出身の大指揮者)が彼らを高いレベルにまで育ててダイクストラ氏につなげて、合唱団の自力をあげるためにものすごく貢献したと聞いています。アバド先生がぞっこんになったように、これまで世界中で成功してきました。

私がストックホルムで聴いた時は、スウェーデン放送交響楽団と一緒で、たしかヴェルディのレクイエムを演奏していたと記憶しています。とても上手な合唱団で、独特で透明な性質の声を持っていました。


公演プログラムやモーツァルトについて


――今回は「オール・モーツァルト・プログラム」です。広上さんは、モーツァルトが大変お好きだと伺いましたが、どのようなところに惹かれますか?

広上氏:モーツァルトのすごさは、偉大だという意味で共通の認識がありますよね。ベートーヴェンの作品も偉大なのですが、厳しいんですよね。いわゆる古典派からロマン派の最後の中で、ロマンティストな人でしたから、いろんな意味で楽譜に書かれた音符の中に全てエネルギーを注ぎ込んでいます。ピアノだろうとオーケストラだろうと指揮であろうと、彼の作品を演奏しようとする時は、エネルギーを吸い取られるようなパワーがあります。なんてことない譜面をちょっとでも気を抜いて演奏すると本当につまらない演奏になってしまうのがベートーヴェン。それくらい気を抜いたり、リラックスすることを許してくれないんです。だから恋人としては嫌なタイプですね。

――(一同笑)

広上氏:それくらい彼は大真面目というかロマンティストだったと思います。シンフォニーに限らず彼の作品すべてに言えることで、“美しい”というよりは、人間愛に満ちた悲しさや苦しさ、優しさなど、いろんな喜怒哀楽が全部そこに含まれている、というイメージを持っていますから、時々逃げ出したくなります。

モーツァルトはロマン派で例えると、R.シュトラウスに近くて、ベートーヴェンはマーラーに近い。自分をいじめていく中でエネルギーを発散しながら相手に表現していく、という魅力がベートーヴェンの作品にあると思うんです。一方、モーツァルトはもっと楽で、例えが正しいかわからないですけど、全身麻酔みたいな感じです。はーっとさせてくれる。だけどその中には、ものすごく精緻で精巧で高貴なものが流れていて、時々頭が真っ白になっても許してくれるように作品が導いてくれます。まさに、天才が故に人間愛に満ちている、と言いましょうか。人間の弱さに対しても寛大なんですよ。

ベートーヴェンは、自分が弱い質でしたから、自分も含めて人間に対して寛大ではないんですよね。どちらかというと要求をしていく。それに対して彼には成し得た能力があって、耳の疾患にしても父親の虐待にしてもそういうものを乗り越えていくだけのエネルギーと能力があったわけですけれども、みんながみんな、それをできるわけではないじゃないですか。

ですけど、モーツァルトっていう人が書いた作品の中には、そういう怒りとか悲しみとかフラストレーションを増殖させないで癒してくれるようなものがあります。モーツァルトの曲を聞くと、病院でも患者さんにとっていい、っていうのはそういうところ。その流れている音波と構造は多分がシンプルなんだけど、複雑なんですよね。シンプルに聞こえるんだけど実は精緻な計算の中に組み込まれたシンプルさなので、おそらく気が付かないうちに気持ちよくなって、まさに全身麻酔のよう、というのがモーツァルトの魅力だと思います。

――聞いている感じだとシンプルだけど、演奏する方はかなり気を遣わないといけない、ということでしょうか?

広上氏:いえ、聞いているとシンプルに聞こえるようですけど、実はそうではないということです。でもそれは、彼がすごく簡単なように見せてくれているだけで、すごくシンプルである裏側には、実はものすごい人間の人体と同じような細かな計算と優しさがある、というのがモーツァルト。ベートーヴェンの方が、もちろん精緻で考え抜かれているのですけども、そこに要求が入る。モーツァルトやバッハは要求はしません。こうしようとか、これが絶対だとか、“俺が正義”だと言わないんです。

広上氏:「正義」っていうのは自分が思い込んでいる誤解だと思います。相手にだって「正義」があって、そこで意見が違うと衝突する。私の方が「正義」だと。でもそれは誤解です。どちらも正義でどちらも間違っているかもしれないんです。それを絶対的な「正義」だと言ったのがベートーヴェンで、音楽家としては時々逃げ出したくなります。

――ちなみに広上さんは、モーツァルトとベートーヴェン、どちらのタイプですか?

広上氏:モーツァルト(笑)。私たち演奏家は役者なので、ベートーヴェンの作品をやるときは、ベートーヴェンが乗り移ったように演奏しないといけない、そういう顔でアクションをしないといけないのです。僕自身は立派な人じゃないですし。

ベートーヴェンは、サヴァン症候群ではないかと思うんです。これだけのことはできる、っていうある種の特殊能力ですから、ある部分に欠けていた部分もあったでしょう。例えば彼の晩年の家の中に行くと、床に排泄物が落ちたままだったりして、それを女中さんに毎日掃除させて、それができなければやめさせて、1週間に3人くらい女中さんを変えていたということが日記に残っています。娼婦のところへ毎日行って、「今日も女の人を狩ってしまった、なんてことだ」と自分自身を痛めつけたという日記もある。とっても人間的ですけれども、ある意味では激しい人だと思います。ピアノも上手かったですしね。

モーツァルトの場合は、ベートーヴェンと異なり、貴婦人にモテたんです。女性がどことなく「かわいいわね」って言っちゃうようなチャーミングさがありました。2人は、時代も40,50年違います。貴族社会が壊れ始める真ん中くらいの時代がモーツァルトで、ベートーヴェンの場合はフランス革命の前後ですから。

――京響と過去に共演したモーツァルトの中で、印象に残っている曲や演奏会があれば教えてください。

広上氏:ずいぶん前に交響曲「リンツ」をやりました。モーツァルトの「レクイエム」はたぶん僕と京響でやるのは初めてではないでしょうか。なので、ちょっと緊張しています。

この曲はモーツァルトにとって最後の作品です。これまで、いかにもそう言われてきましたけど、この作品を書いた時、本人は死ぬつもりじゃなかったんですよ。生の豚肉をあまり焼かずに食べて、ばい菌が入って亡くなったらしいですよね。どこかの貴族が、自分の書いた曲としてみんなに宣伝したいからということで、お金渡すからゴーストライターとして作曲してくれというお願いだったようです。たまたまそれが絶筆になってしまっただけ。それがいかにも「モーツァルトの神秘」、「モーツァルトの謎」のように独り歩きしているわけです。しかも彼の墓に関して言えば、共同墓地のどこに入れられているかわからないんですよね。不思議といえば不思議です。

――レクイエムは他の曲と比べて使っている楽器が違いますよね。

広上氏:バセットホルンなどですね。彼は、初めて「神様の楽器」と言われていたトロンボーンをこの曲の中で使いました。ちなみにトランペットは天使の楽器、ホルンは俗人の楽器、といわれています。

 

――今回京響と「レクイエム」を演奏するは初めてということですが、広上さん自身は何度か演奏されているのでしょうか。

広上氏:今まであまりやっていなくて、おそらく3回目くらいです。この曲は聞くのは好きで、素晴らしい作品ですけど、演奏するのは怖い。
怖いというか、恐れ多い感じがします。絶筆になって、可もなく不可もなくという弟子ジュスマイヤーが完成させましたが、師匠の作品をあまり壊さないように気を付けているのがよく分かります。一応モーツァルトのスケッチは残っているらしく、オーケストレーションした研究家もいます。

いずれにしても「ラクリモザ(涙の日)」の途中で絶筆していますから、そういう意味で畏怖も感じますし、巡り合わせは感じますが、あまりそういうところに焦点を合わせないで演奏したいと思います。集大成の素晴らしい作品です。彼はそのつもりで書いてなくて、これからいっぱいシンフォニーをたくさん書きたいと言っていたそうです。41番までしか残ってないけど、60番くらいまで書きたい気持ちがあったそうですから。モーツァルトが長生きしていたら、ベートーヴェンからの影響も受けた作品が出来ていたかもしれませんよね。

――レクイエムとのカップリングの曲として、レクイエムにつなげるために、「ト短調」の交響曲2曲(第25番あるいは第40番)を京都コンサートホールからご提案させていただきましたが、第25番を選ばれた理由を教えてください。

広上氏:第25番は「アマデウス」の最初のシーンで使われていますよね。第40番にすると重くなってしまって、かなりエネルギーを取られてしまい、メインの前にお腹いっぱいになってしまうから第25番にしました。

歌劇「皇帝ティートの慈悲」は、彼のオペラ中でもシリアスな悲劇です。普段、「フィガロの結婚」や「ドン・ジョヴァンニ」、「魔笛」など、モーツァルトのオペラは明るいイメージがあるかもしれませんが、悲劇もたくさん書いています。普段はあまり取り上げないのですが、今回は割と珍しい曲を取り上げてみました。

――「皇帝ティートの慈悲」は、レクイエムと同じ年に書かれたオペラですよね。

広上氏そうそう、死ぬ間際に書かれた最後のオペラですよね。今回の選曲はなかなかいいプログラムだと思っています。


みなさまへのメッセージ


――最後に、コンサートを楽しみにされているお客様へ、メッセージをお願いします。

広上氏満席になってほしいです。一番嬉しいのは、放っておいても常に市民の生活の一部として、一か月に一回の定期演奏会が満席になること。私たちは市民の皆さまに応援していただき、活動しています。だから、私たちは市民の皆さまに音楽で還元する存在にならないといけません。皆さまが一年に一回京響のコンサートに行ってみようと思うだけでも全てのコンサートが満席になると思います。

口コミでいいのですが、「知らない曲でも良い演奏を常に聴かせてくれる場所ですよ」という宣伝をしてもらえると嬉しいですね。有名な曲をやると人が来るというのはどこも同じですけど、聞いたことのない曲を「知らない」と思わないで、「なんか知らないけど面白いらしい」って言ってくださると、市民の生活の中に少しでもオーケストラが染み込んでいきます。それが正のスパイラルに入れば、放っておいても2,3年先までコンサートが全て売り切れになると思います。そんな状態になってほしい、というのが私の夢です。

(2019年6月事業企画課インタビュー@京都コンサートホール大ホール楽屋にて)


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★特別連載
第1回「スウェーデン放送合唱団の魅力~人間の声の可能性は無限大~」
第2回「スウェーデン放送合唱団 前音楽監督ダイクストラ氏に聞く」

【フィラデルフィア管弦楽団 特別連載⑤】ピアニスト ハオチェン・チャン特別メールインタビュー

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インタビュー

アメリカ“ビッグ5”の一つである「フィラデルフィア管弦楽団」の魅力を様々な視点からお伝えする「特別連載」。

第5回は、11月3日の京都公演でラフマニノフ《ピアノ協奏曲第2番》を演奏するピアニストのハオチェン・チャン氏へのメールインタビューの模様をお届けします。チャン氏自身のことをはじめ、直近のフィラデルフィア管弦楽団との共演や、今回のプログラムについてなど色々とお聞きしました。

――インタビューを引き受けてくださり、ありがとうございます。
11月3日の京都公演で共演するマエストロ・ネゼ=セガンとフィラデルフィア管弦楽団(以下「フィラデルフィア管」)とは、今年5月の中国ツアーで共演されましたね。どのような演奏会でしたか?

ハオチェン・チャン氏:コンサートは素晴らしい出来でした。私たちはラフマニノフの《パガニーニの主題による狂詩曲》をしたんですけど、フィラデルフィア管ってラフマニノフのお気に入りのオーケストラだったんですよ。ラフマニノフは、フィラデルフィア管が長年培ってきたロマンティックな音色と音楽作りが好きだったようです。それは今のフィラデルフィア管にも引き継がれています。
ですので、《パガニーニの主題による狂詩曲》をフィラデルフィア管とマエストロ・ネゼ=セガンと演奏できたことは、本当に感動的な経験でした。

 

――今回のプログラム、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番は、これまで何度も演奏されていると思いますが、ピアニストとして感じるこの曲の魅力を教えてください。

チャン氏:私にとって、この作品の最大の魅力は、ラフマニノフの精神や彼の音楽観が最もよく表現されている点にあると思います。つまり、ラフマニノフの表現力の深さや彼が追い求めようとする豊かで色鮮やかな和声です。ラフマニノフは本当に独創的天才です。彼の音楽には、不自然なことや取ってひっつけたような箇所が全くないのです。

 

――ハオチェン・チャンさんはフィラデルフィアにあるカーティス音楽院で学ばれたので、フィラデルフィアという土地は非常に思い入れのある場所かと思います。音楽的側面から見てフィラデルフィアはどういう魅力を持つ街でしょうか。

チャン氏:「フィラデルフィア」という街は、カーティス音楽院で学んだ私にとって切っても切り離せない存在ですし、私の人生において非常に印象深い街です。また「カーティス」という町は、私が聴いて育ったフィラデルフィア管の本拠地で、最高峰の室内楽シリーズが開催されていたり、美術館が多くあります。これらの芸術的側面を脇に置いたとしても、「フィラデルフィア」はユニークな都市です。その理由は、大都市のキャパシティを持ちながら、小さな町にあるような親密さも兼ね備えているからで、私にとって理想的な組み合わせです。

(c) B Ealovega

――音楽以外では絵や詩を書くことがお好きだと、あるインタビュー記事で見ました。どういった絵や詩を書くことが多いですか。また普段の演奏につながるところはありますか。

チャン氏:明確なスタイルを持っているわけではありませんが、純粋に自分の喜びのために、余暇を楽しむだけの“ただの”アマチュアです。技法的には、コンテンポラリーのスタイルだと思います。ただ“コンテンポラリー(現代的)”というカテゴリーは、いつが“現代”かとても曖昧なんですけどね…。
絵や詩を書くことで明確なアイディアを得られるとは思っていませんが、私の芸術的視点を豊かにしてくれます。また、きっと書かなければ見過ごしてしまうような音楽の細部に対して、自分の感性をこれまで以上に少し鋭く敏感にしてくれていると思います。

 

――来年で30歳を迎えられると思いますが、30歳になったら何か挑戦しようと思うことはありますか。

チャン氏:「挑戦」って何か特別なことであるべきではない、と私は思っています。芸術って、つまりは“成長すること”ですよね。だから私たちは常にチャレンジすることをやめないのです。例えば、私は今シーズン、いろんな場所で違うオーケストラと2公演形式でベートーヴェンの5つのピアノ協奏曲全曲を演奏します。でも、私が30歳になる時に特別なことにチャレンジしているかどうかは、今の私には分かりません。

 

――最後に、京都のお客様へのメッセージをお願いします。

チャン氏:フィラデルフィア管とマエストロ・ネゼ=セガン、そして私が皆さまへお届けする刺激的なプログラムをお楽しみいただけましたらと思います。また、過去にリサイタル(※2011/10/11と2012/10/22に大ホールで行われたリサイタル)をさせていただいて以来、特にその美しいデザインと感動的な音響から、京都コンサートホールで音楽作りをできることに惚れ込んでいます。なので、また京都へ戻って、皆さまと音楽を共有できることを大変楽しみにしております。

 

――お忙しい中インタビューにお答えいただきまして、誠にありがとうございました!11月3日の公演を楽しみにしております!


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★特別連載
【第1回】受け継がれる伝統とフィラデルフィア・サウンド
【第2回】アメリカ在住ライターが語るフィラデルフィア管弦楽団の現在(いま)
【第3回】フィラデルフィア・サウンドの魅力
【第4回】指揮者 ヤニック・ネゼ=セガン特別メールインタビュー

フォーレに捧ぐ特別インタビュー④ 田原綾子さんインタビュー(後編)

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アンサンブルホールムラタ

11月10日(日)開催「フォーレに捧ぐ――北村朋幹×エール弦楽四重奏団」では、国内外で活躍する若手トップ奏者たちが、フォーレの傑作を披露します。

公演に向けて、エール弦楽四重奏団(以下「エールQ」)のヴィオラ奏者である田原綾子さんへのインタビューを敢行。前編では、田原さんとヴィオラの出会い、そしてフォーレについてお話いただきました。後編では、共演するエールQと北村さんについて伺いました。

――これまで、田原さんご自身のこと、そして今回演奏していただくフォーレについてお話伺いましたが、今度はエールQについてお聞きします。

エールQのメンバーは、皆それぞれソリストとして活躍し、住んでいる場所も違うため、集まる機会は少ないと思います。メンバー3人についてご紹介いただけますか?

田原:えー、なんだか改めてだと恥ずかしいですねー(笑)

まず山根君は、たしか、私が小学校6年生の時、河口湖でのセミナーで初めて出会いました。やんちゃで、憎めない感じの男の子だったのですが、当時から天才肌で、私とは全然違うところにいる人だなぁと思っていました。すごく華があって、「こういう人いるんだなあ」って出会った瞬間に思っちゃいました。私は本当に不器用な人間なので(笑)。

昔からとても恵まれた環境にいさせてもらっていたのですけど、ぱっと弾ける方ではなく、ちゃんと練習しないと弾けないタイプでしたので、山根君は本当に凄いなと思っていました。何より山根君の持っている、音楽に対する愛情や想いなどは、彼にしかない強さや鋭さだと思います。私たちにとって、山根君は大切なヴァイオリニストです。

――同じ弦楽器奏者でもいろんなタイプの方がいますね。毛利さんはどうでしょうか。

田原:毛利さんは通っていた音楽教室が同じで、弦楽アンサンブルで同じクラスになって以来ずっと一緒で、本当に大事な友人です。彼女とはよく一緒に弾いていて、なんと言いますか、もうカルテットのメンバーは全員そうなんですけど、家族みたいな感覚です。演奏していても普通に一緒にいても、考えていることがなんとなく分かります。まぁ向こうがどう思っているか分からないですけどね(笑)。

多分彼女には、私の思っていることは全部バレていると思います。よく「分かりやすい」って言われていますし。一緒にいて本当に居心地が良いです。実家も割と近くにあるのですが、そういったところも含めて、何でも話せる仲だと思っています。毛利さんはすごく大人で、常に上を目指している人なので、彼女がいてくれていたからこそ、私は今まで頑張ってこれたんだと思います。

――何でも話せる存在って大事ですし、そういうところは演奏にも出ますよね。

田原:チェロの上野君は、エールQで初めて出会いました。彼は昔から有名な存在で、名前はもちろん知っていたので、まさか一緒に弾くことになるとは思いもしませんでした。私は彼のファンでもあるので、一緒に弾くだけで嬉しいですし、音の受け渡しをしただけでちょっと嬉しくなっちゃいます(笑)。
そういう話を山根君にすると「なんで上野には甘いんだ、僕には全然優しくしてくれない」って言われちゃうんですけど、しょうがないですよね、そういうものなんです(笑)。

上野君はもともと無口なタイプなんです。例えば4人で弾いていて「ここの部分はどう弾く?」ってなった時は、だいたい山根君が「こう思うんだけど、どうかな?」と言ってやってみます。だた、みんなで行き詰まった時に上野君が「ここはこうしてみようか」とパッと提案すると、すんなりまとまることがあるんです。女性同士もそうなのですが、山根君と上野君も非常に信頼し合っているのがよく分かります。

本当にかけがいのない、良い仲間に出会えたと思っています。彼らがいなかったら、私はヴィオラを弾いていなかったでしょうから。

――聞いているだけでも楽しそうですね。田原さんにとってエールQはヴィオラの原点でもありますよね。

田原:そうなんです。なのでメンバーには頭が上がらないですね。

(C)Hideki Shiozawa

――以前、エールQの公開リハーサルを見学したことがあったのですが、本当に楽しんで演奏している様子が伝わってきました。今度演奏されるフォーレのピアノ五重奏曲は、それぞれに高度な技術が求められますが、それ以上にお互いの音楽性や方向性といったものを合わせる必要がありますよね。ですので、田原さんがメンバーについてお話される内容を伺って、今回のプログラムはエールQにぴったりだなとあらためて思いました。

田原:本当にそう思います。いま、みんなで集まる機会ってなかなかなくて、久しぶりにメンバーに会うとそれぞれの変化が手に取るように分かります。
ただ、不思議なのですが、そうやって久しぶりに会って一緒に演奏しても、「あぁ、この感触・・・!」ってなるんですよね。
こんなふうに思える人たちがいるっていうのはありがたいことだと思います。カルテットの活動を続けるのって本当に難しいのですよ。よくメンバーチェンジもしますしね。

前に毛利さんと「私たちはカルテットという名前だけど、多分『カルテット』じゃなくて『ファミリー』なんじゃないかな」という話をしたことがありました。すぐに恥ずかしくなって「自分たちでなに言っちゃってるんだろうね」ってなったんですけど(笑)。
「カルテットを組んでいるから」と言って、無理に集まるのも「少し違うね」という話もしていました。目の前のことだけではなく、ずっと繋がっていられるように長い目で見るというか。それに、私たちはたとえ半年ぶりでも昨日も会った感じで、自然に集まることが出来るので。

今回、エールQとして弾かせていただくのは、なかなか久しぶりな感じがするのですが、メンバーみんながベストコンディションで集まることが出来たら良いなと思っています。

――エールQは、「組んでいないから解散のない」カルテットだと耳にしたことがあります。

田原:はい。「組みましょう」と言って組んだカルテットではなく、「気が付いたら集まっていた」カルテットです(笑)。メンバー全員が、エールQで室内楽を始めました。私たちの原点ですよね。友達と一緒に音楽を作るのも初めてでしたし、長いリハーサルもこなして、そのあとはみんなでご飯を食べに行って・・・。いわゆる「青春の1ページ」と言っても良いと思います。高校生の時の話です。
いまは少し年を重ねてきて、それぞれが色々なことに取り組み始めてきたので、「仕事」というものがどのようなものか分かってきた気がします。だからこそ、エールQは本当に純粋に音楽でつながっている仲だということをあらためて感じるんです。
こういう仲間は欲しくても出来るものではないし、巡り合わせですよね。本当に運が良かったんだなと思います。

――たしかに、最初に室内楽をやろうと言ったメンバーでずっと一緒にできるって幸せですよね。なかなか珍しいですよね。

田原:そうですね、本当に「ご縁」だと思います。あと、多分どのカルテットもそうなんじゃないかなと思うんですけど、メンバーそれぞれが大事にしている本質的なものが非常に近いというか、そこも良かったんだろうなと思っています。

カルテットって面白くって、例えば、4人いるうちの3人が同じメンバーだったとしても、たった一人が入れ替わっただけで全く別のグループの音になってしまいます。それくらい、カルテットは繊細で面白いもので、奥深い世界だと思います。そこにピアニストが入ると、4人だけで出来上がっている世界を広げてくれる。きっと北村くんなら、さらに広げてくれるような気がするので今から本番がすごく楽しみです。


共演する北村朋幹さんについて


――今回共演するピアニストの北村朋幹さんとは以前からお知り合いでしたか?

田原:北村君と私は以前、それこそフォーレの《ピアノ五重奏曲第2番》を一緒に弾いたことがあります。さらに、エールQと北村君の組み合わせでは、ブラームスの《ピアノ五重奏曲》を演奏したことがあります。北村君の演奏を聞かせてもらったり、一緒に弾いていると、あんなに命を削って音楽に向き合っている人はいないだろうと思います。すごく自分に厳しい人なので、『(自分の甘さに反省しつつ)ごめんね、いつもありがとう』と思いながらいつも弾くんですけど(笑)。
北村君はとてもリハーサルを大切にしているのですが、私もその考え方には共感しているので、一緒に演奏出来ることがとても嬉しいです。

――一緒に演奏していて、やはり刺激を受けますか?

田原:そうですね。自分一人で演奏していると、自分の中で完結してしまう。例えば、感じ方であったり音楽の捉え方であったり、自身で経験したこと以上のものは広がらないのですが、他の人と一緒に演奏すると「あぁ、こういう考え方もあるのか」と刺激を受けます。
特に私は、エールQを組んだ当初は、ヴィオラも初心者でしたし、何もかもが初めてだったので、刺激を受けてばかりでした。ヴィオラに転向した後は、様々な人と出会い、これまでよりも一層色んな刺激を受けています。自分以外の人から新しいことを知ることになるので、視野が広がるような感じです。

――演奏する時の「相性」も関係しますか?

田原:相性はありますね。不思議なもので、演奏の相性は本当に人間関係と一緒だと思います。
少し喋ると「この人とはちょっと話しにくいな」、「噛み合いにくいな」って思ってしまうことがありますよね。人それぞれタイプや性格が違うから当然のことなのですが、演奏する時にもきっとそれがあると思うんです。
ヴィオラって相手とシンクロさせることが多い楽器なので、一緒に演奏しているとその人の本質を感じやすい気がします。もちろん大変なことはあるのですが、それゆえに室内楽ってすごいなぁ、音楽って素晴らしいなぁと思います。演奏している最中に「楽しいな」と思える出会いがあると幸せですし、本番で良いものが生まれると「音楽をやっていて良かった」と心底思います。

ピアニストの北村君の場合で言うと、彼がメロディーを弾いている上で私が演奏する時、あるいは同じ旋律やハーモニーを彼のピアノに重ねた時に、とっても幸せな気持ちになります。またそういう気持ちを味わうことが出来るんだと思うととても楽しみです。


今回の演奏会に向けて


――今回の演奏会に向けての抱負をお聞かせください。

田原:個人的にはエールQ&北村君と一緒にこのホールで演奏させていただける、それだけで何よりも嬉しいというのが正直な気持ちです。大切で特別なメンバーたちと長い時間、この素敵なホールで弾けるというのは本当に幸せなことですし、みんなの背中を追いかけて頑張ってきて本当に良かったなと思いますね。

――最後に聴衆の皆さまへメッセージをお願いします。

田原:普段なかなか耳にできないプログラムを私たち5人の演奏で聴いていただき、「芸術の秋」・「音楽の秋」の日曜のひと時を過ごしていただけたらいいなと思います。そしてたくさんの方に聞きに来ていただけましたら嬉しいです。

(2019年4月アンサンブルホールムラタにて)


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特別インタビュー①「北村朋幹さん×山根一仁さん(前編)」

特別インタビュー②「北村朋幹さん×山根一仁さん(後編)」

特別インタビュー③「田原綾子さんインタビュー(前編)」

10月5日開催!京都コンサートホール✕ニュイ・ブランシュKYOTO2019

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インタビュー

“ニュイ・ブランシュ(白夜祭)”とは、パリ市が毎秋行う一夜限りの現代アートの祭典。
今年も市内各所で、“ニュイ・ブランシュKYOTO”が盛大に開催されます。
毎年設定されるテーマに沿って現代アートが繰り広げられるのですが、今年のテーマは「Dialogue」。フランス語で「対話」を意味します。
京都コンサートホールでは、今となっては貴重な存在となった「ミニ・ピアノ」2台を使って、様々な「ディアローグ」を表現します。

9月某日、出演者のお二人、ピアニストの砂原悟さん・田中咲絵さんによるリハーサルが京都市立芸術大学で実施されると聞き、練習風景を覗きに行きました。

初めて目にするミニ・ピアノは想像以上に小さく、どこか懐かしい音色を持つ楽器でした。例えるなら、むかし幼い頃に訪れた異国で聴いたことがあるような、ないような――ミニ・ピアノの音はそんな不思議な魅力を放っていました。

ミニ・ピアノ

「ミニ・ピアノ」とは、現代ピアノよりも小さなサイズのアップライト・ピアノのことで、戦後の物資が揃わなかった時代に、当時の河合楽器が楽器製作への情熱を注ぎ込んで出来上がった楽器です。
現在「ミニ・ピアノ」を見かける機会は滅多にありませんが、そのような激動の時代に生み出され、生き抜いた楽器であると知り、小さい楽器ながらその存在感に圧倒されてしまいました。

ニュイ・ブランシュ当日に演奏されるプログラムには、さまざまな国・時代・スタイルの作品が並びます。

ラヴェル:《クープランの墓》より第2番〈フーガ〉
ドビュッシー:《6つの古代のエピグラフ》より第1, 4, 5, 6番
マショー:《ノートルダム・ミサ》より〈キリエ〉
リュリ:オペラ《アルミード》より〈パッサカーユ〉
ライヒ:《ピアノ・フェイズ》
藤枝守:《植物文様クラヴィーア曲集》第13集より D, B  第28集よりD

この日のリハーサルでは、マショーの《ノートルダム・ミサ》より〈キリエ〉や、リュリの《アルミード》より〈パッサカーユ〉、ライヒの《ピアノ・フェイズ》などが演奏されました。

マショーとミニ・ピアノ

いずれの曲もまるでミニ・ピアノのために書かれた作品かのように美しく響き、思わずその世界観に引き込まれてしまいました。そこで砂原さんに、今回のプログラムはどのように選曲されたのか、尋ねてみました。

「ミニ・ピアノが2台並ぶ機会なんて、そうそうないですよね。
だから、2台で演奏したときに綺麗に響く曲、響きがぴったり合う曲を選びたかったんです。そこでぱっと思いついたのが、ドビュッシーの《エピグラフ》。
弾いてみたらやっぱり良かった。いい感じで響いてくれました。

藤枝さんの《植物文様クラヴィーア曲集》(※植物研究家でありメディアアーティストの銅金裕司が考案した「プラントロン」という装置との出会いから生まれた曲集。装置から採取された植物の葉表面の電位変化のデータに内包された音楽的な価値に着目しながら、コンピュータ・プログラムによって、この電位変化のデータをメロディックなパターンに読みかえるという手法が一貫して行われ、作曲されている)はいつも僕はソロで弾いているんですけど、最近になって台湾のお茶のデータで作られた曲集が出版されました。その曲集に収録されている作品は、これまで出版された作品よりも音の数が多いのです。もちろん1台でも演奏出来るんですけど、同じ音が重複している箇所がある。
例えばソプラノもアルトも同じ音で演奏する箇所がありますが、それを1台で演奏すると、ただの1音になってしまう。ただ、2台で弾くとその同じ音がちゃんと2声になるのです。
そういうところが2台のピアノで演奏すると良いんじゃないかなって思いました。

あとはやっぱり、音域かな。現代のピアノよりも狭いので、そういう音域のものをプログラムに並べてみました。

藤枝守:植物文様クラヴィーア曲集第28集より Dパターン

ライヒの《ピアノ・フェイズ》に関しては、最初に2台のミニ・ピアノが12音の音列を演奏しますが、少しずつこの音列がずれていきます。色合いが少しずつ変化していくような音やリズムの移り変わりに注目して聴いていただきたいです」。

ライヒ《ピアノ・フェイズ》から 基本となる12音の音列

また、共演者の田中さんは、この演奏会の反響の大きさを教えてくださいました。

「チラシや情報を見た人から“見たよ!すごく面白そう”とたくさん反響をいただいています。このコンサートに対しての皆さんの興味の示し方が、いつも私たちが出演しているようなピアノの演奏会に対しての反応とは全く違うんですよね。“ミニ・ピアノっていう楽器があるんだ~!どんな音が鳴るの?”って、楽器自体に興味を持ってくださっている方が多いみたいです。
ピアノ以外の楽器の人たちや、音楽以外の分野が専門の方からも“見てみたい”という声をたくさん頂いたことも印象的でした。興味を持ってくださった方たちに、良い演奏をお届けできたら良いなと思います」。

砂原さんも次のように語ってくださいました。

「ミニ・ピアノみたいなものって、たぶんご存知ない人が多いでしょう。ミニ・ピアノの音を聞いてみて、新しい体験をしていただけると思う。
今まで聞いたことのない音を聞かれると思いますので、どういう反応がかえってくるのかこちらは楽しみですね」。

京都コンサートホール✕ニュイ・ブランシュKYOTO2019「ディアローグ――ミニ・ピアノが投影する“対話”」は、10月5日(土)20時開演、入場無料です。
京都コンサートホールにとっても貴重なコンサートになると思われるミニ・ピアノによる公演をどうぞお見逃しなく。
Nuit Blanche Kyoto 2019 公式ページ

(2019年9月12日、京都コンサートホール事業企画課インタビュー@京都市立芸術大学)

フォーレに捧ぐ特別インタビュー③ 田原綾子さんインタビュー(前編)

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アンサンブルホールムラタ

いま旬の若き日本のトップ・プレイヤーたちが一堂に会し、京都でフォーレの名曲ピアノ五重奏に挑むコンサート(2019年11月10日(日)京都コンサートホールアンサンブルホールムラタ)。

本ブログで、北村さんとエール弦楽四重奏団(以降、エールQ)の山根さんへのインタビューをお届けしましたが、今回はエールQのヴィオラ奏者、田原綾子さんにお話を伺うことが出来ました。

前回のインタビューで山根さんと北村さんが「田原さんはフレンドリーで、温かさなどを感じる人」とお話されていましたが、お会いしてみるとその言葉通り、本当に気さくでとてもチャーミングな方でした!


――こんにちは!お忙しい中、京都コンサートホールまでお越しいただき、ありがとうございます。さて、関西では過去に何度か演奏されていますが、京都での演奏は初めてですか?

田原さん(以下敬称略)実は京都コンサートホールは初めてで、来たのも今回が初めてです。同じ京都にあるバロックザールとアルティでは演奏したことがあるんですけどね。私の祖父母が京都在住なので、京都にはよく来ます。

――そうなんですね!京都のどちらですか?

田原:宇治です。また、毎年3月に京都で開催される「京都フランス音楽アカデミー」に参加していたのですが、祖父母の家から通っていましたので、年に1回は京都に来るという感じでした。

――ということは、いま師事されているブルーノ・パスキエ先生とは、京都フランス音楽アカデミーがきっかけで出会われたのですね。

田原:そうです。パスキエ先生に師事したくてパリのエコール・ノルマル音楽院へ行きました(※現在も在学中)。


ヴィオラとの出会い、ヴィオラの魅力


――よく尋ねられることだとは思いますが、改めてヴィオラとの出会いについて、そして田原さんが感じるヴィオラの魅力を教えてくださいますか。

田原:もともとヴァイオリンを5歳から弾いていて、「桐朋学園大学音楽学部附属 子供のための音楽教室」の鎌倉教室に小学校の時からずっと在籍していました。
高校では桐朋女子高等学校のヴァイオリン科に入りまして、ヴァイオリンを一生懸命弾いていたんですが、ちょっと息苦しいところがあったりしまして…。
もちろんヴァイオリンが好きで、音楽が好きで桐朋の高校に入ったんですけどね。

音楽教室に在籍していた頃からずっと、室内楽で色々な人と一緒に演奏するのが楽しくて、桐朋の高校に入ったら室内楽をやりたいと思っていましたので、高校2年生の時に、カルテットを組むことにしました。それが、いまのエールQです。
エールQを組むときに初めてヴィオラを触りました。それまではヴィオラとは縁がなかったのです。でもなんとなくヴィオラという楽器に
興味はあったのです。
「ヴィオラを弾いてみたいなぁ」と思っていたので、その時に「山根くんと毛利さんはヴァイオリンで、私はヴィオラ弾く!」って言いました。
「ヴィオラとの出会い」はこの時ですね。

――カルテットを始めた時に、ヴィオラへ転向したのですね。

田原:はい、カルテットを始めると同時にヴィオラを始めました。
当時は独学だったので、メンバーの足を引っ張ってしまっていたと思います。
思うように演奏出来なかったことがあまりに悔しかったので、当時師事していた藤原浜雄先生(※国際的に活躍する名ヴァイオリニスト)に「ヴィオラをしっかり習いたい」と相談しまして、岡田伸夫先生(※ヴィオリスト、著名な海外オーケストラのヴィオラ奏者を歴任)を紹介してもらい、高校3年生の時にヴィオラを習うようになりました。なので、実質的にヴィオラをちゃんと始めたのは高校
3年生、18歳の時です。

――エールQで始めた時は自己流だったということに驚きました。

田原:最初は見よう見まねでやっていたのですが、やっぱりヴィオラ弾きが出すヴィオラの音と、自分の弾いている「大きなヴァイオリンを弾いている」音とは全然違いました。どうしたらいいんだろうと思い、色々な方々からアドバイスをいただいたり、演奏会を聴きに行ったりしたのですが、どうしてもわからなかったんです。
岡田先生の下では、本当に基礎から始めました。最初は楽器の
構え方や解放弦だけ弾いていまして、「あぁ、こういう風にヴィオラの音を出していくんだな」と学び始めました。

――そういう時間を積み重ねていくうちに、ヴィオラという楽器にどんどん魅入られていかれたのでしょうね。

田原:ヴィオラの魅力は、ヴァイオリンとは違って、何より音色が暖かくて、深みがあるんです。
ヴァイオリンの華やかな音色とか、チェロの包容力のある音の響きなどももちろん大好きで素晴らしいんですけど、ヴィオラは旋律を演奏した時に、ヴィオラにしか出せない、心に響くような独特の音の力を持っているのではないかなと私は思っています。

カルテットなどでしたら、第二ヴァイオリンと一緒に内声を作ることが多い役割を持つのがヴィオラです。
「内声」っていうのは、「内なる声」と書くように、作曲者の内なる声がすべて凝縮されているように思います。
かつて今井信子先生(※日本を代表するヴィオラ奏者)が、カルテットをワインに例えて、「ラベルが第1ヴァイオリンで、ボトルがチェロで、ワインそのものが内声ね」と仰ったことがあります。
それくらい内声は大事な声部なんです。結局ラベルがよくないと手には取ってもらえないですし、ボトルが脆いと中身が漏れてしまいますが、最後は内声が大事なんですよ、と。

私自身、ヴァイオリンは歌って欲しいし、チェロは綺麗にしっかり心強く支えていてほしいです。でも「最後は内声が大切になってくるんだ」というように、強く意識して弾くようにしています。
今回演奏するフォーレもそうですけど、その曲を実際に演奏してみると「ヴィオラが持っている音色を意識して、とても大事に思って曲を書いてくれたな」と思うことが多いです。
ヴィオラ・ソロももちろん素敵なのですが、室内楽では必要不可欠な存在であるということが、ヴィオラの一番の魅力であると感じています。

――たしかに室内楽を聞いていると、ヴィオラが和声の要になっているなと感じることがたびたびあります。

田原:あまりヴィオラがしゃしゃり出てしまうと、それはそれで中身が溢れかえっちゃうような印象を与えてしまいますので、それには気をつけています。
ヴィオラにはヴァイオリンとチェロを上手くつなげる役割を持ってい
ますし、リハーサルをしていても、ヴィオラの人は「今日このメンバーの調子が悪いな」とか「あ、今日は調子がいいな」など、よく考えていると思います。

――今回のフォーレの楽譜を見ていると、ヴィオラの重要さが際立っていますよね。2番は、ほぼ全ての楽章がヴィオラからスタートしているし、1番はほかの室内楽と比べてちょっとヴィオラの役割が違うのかなと思いました。

田原:2曲共に、とてつもない大曲です。私自身、2番は演奏したことがあるのですが、今回はとてもやりがいのあるプログラムを組んでいただいて「頑張らないといけないね」ってメンバーで話しています。


フォーレ作品の魅力、特にピアノ五重奏曲について


――田原さんがフォーレを演奏している時、どういったところに魅力を感じられますか?

田原:フォーレは室内楽や歌曲をたくさん残していますが、和声の進行や、そこから作り出される響きが、本当に精巧に作られているんです。
ラヴェルやドビュッシーは、「いかにもラヴェル!」「いかにもドビュッシー!」っていう感じがしませんか?
でもフォーレは、最初にパッと聴いても、ラヴェルやドビュッシーほどは分かりやすいものではないと思います。宗教的な色が濃い、と言ったら良いのかな。
でもその分、聴けば聴くほど、フォーレの奥深さや味わいが伝わってくるのではないかなと思っています。
個人的に、フォーレの音楽を聴いていると背筋が自然と伸びるような、そんな印象を持っています。
だから今回のプログラムは本当に大変なんですよね(笑)。

――フォーレのピアノ五重奏曲第二番を演奏されたと仰っていましたが、どのような作品でしたか?

田原:4楽章構成なのですが、なによりも第3楽章がこの世のものとは思えないくらい美しくて、演奏していると心が洗われていくような気持ちになります。
それゆえに難しいんですけどね。
1, 2, 4楽章もそれぞれに素晴らしいのですが、3楽章だけ音楽の次元が少し違うような印象を持ちました。皆さんにもこの3楽章を是非聴いていただきたいです。
ただ、演奏される機会があまりないんですよね。

――そうですよね。なぜでしょうね。

田原:ピアノ五重奏曲と言えば、やはりブラームスだったりドヴォルザーク、シューマンなど、そういった作曲家の作品をイメージされる方が多いですよね。
フォーレは内容からみても演奏技術からみても、難しい曲かもしれません。
フォーレのピアノ五重奏曲は、メンバー5人全員が同じ方向性を持って「こういう音楽をこのような表現で、このような音にしたい」という気持ちを持って演奏しないと、フォーレ作品の深さまで到達することは出来ないだろうと思います。
たくさんの深い内容を持つ作品なので、色々なアイディアがメンバー間で生まれますし、皆でディスカッションして納得して、まとめていくことが大切だと思っています。

――そうなってくると大切なものがリハーサルですね。

田原:そうですね。でもリハーサルをする以前に、どういう風に作りたいか、それぞれのヴィジョンがしっかりしていないといけませんね。もちろん全員で過ごす時間も大事だし、一人で曲と向き合う時間も大事なんじゃないかなと思ったりします。

――以前、北村さんと山根さんにインタビューをした際、北村さんが「リハーサルをしっかり出来ないなら、この曲(フォーレのピアノ五重奏曲)は引き受けられない」というようなことを仰っていたのが印象的でした。

田原:この前少し考えていたのですが、リハーサルってお化粧に例えられるなと思ったんです。お化粧をする時、化粧水で肌を整えたり、下地を塗ったりしますよね。それと一緒で、例えば時間がなくて丁寧なリハーサルが出来なかったら、どれだけ本番で濃い演奏をしたとしても、綺麗には見えないんだなと思いました。
リハーサルとゲネプロと本番って考えた時に、本番に向けて、どれだけ良い肌の状態にもっていけるかみたいな(笑)
ゲネプロっていうのは最後の仕上げ。どこまで見栄えが変わったりするか、そういった場がゲネプロです。本番は、もう出来上がったものを最後にどうなるか、例えば誰かと会っている時に表情が華やかだと一層美しく見えるみたいな、そういうふうに考えていたことがありました。

だからこそ、リハーサルはすごく大事で、やっぱり時間をかけないといけない。ゲネプロ、本番に持って行くまでに出来るだけ良い状態に仕上げていかないといけません。

――お化粧に例えられたのはとても面白いと思いました。まさにそのとおりです。肌を整えないと、どれだけメイクしても厚化粧になったり、逆に肌が汚く見えたりしますからね。
それでは次はいよいよ、エール弦楽四重奏団のメンバーについてお聞きしたいと思います。

後編につづく・・・

(2019年4月アンサンブルホールムラタにて)


★公演情報はこちら

特別インタビュー①「北村朋幹さん×山根一仁さん(前編)」

特別インタビュー②「北村朋幹さん×山根一仁さん(後編)」

 

【京響スーパーコンサート特別連載②】スウェーデン放送合唱団 前音楽監督ダイクストラ氏に聞く

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インタビュー

京都市交響楽団が世界トップクラスの合唱団「スウェーデン放送合唱団」と初共演する、京響スーパーコンサート「スウェーデン放送合唱団×京都市交響楽団」(11/23開催)。

公演の魅力をより知っていただくための連載を本ブログにて行っております。連載の第2回は、8月25日に開催された京都市交響楽団 第637回定期演奏会で指揮を務めた、スウェーデン放送合唱団 前音楽監督のペーター・ダイクストラ氏にお話を伺いました。

スウェーデン放送合唱団と京響の両方を知るダイクストラ氏から、合唱団の魅力と両者が共演する本公演について語っていただきました。


――去る京都市交響楽団の定期演奏会では、素晴らしい演奏会を届けて、くださりありがとうございました。
さて、今年11月23日(土・祝)に京都コンサートホールで、ダイクストラさんが音楽監督を務めていた「スウェーデン放送合唱団」と京響が共演します。両団の共演でどのような化学反応が起こると思われますか?

(C)Astrid Ackermann

京都市交響楽団とスウェーデン放送合唱団との出逢いは、きっとわくわくするものになるでしょう。

スウェーデン放送合唱団のメンバーは優れた歌唱技術を持ち、声のコントロールも極めて優れていますので、多彩な表現が可能です。

この度、私は京都市交響楽団とハイドンの「天地創造」を共演する機会をいただき、皆さんと非常に充実した時間を過ごすことができました。京都市交響楽団は本当に素晴らしいオーケストラです。柔軟性があり、クラシック音楽を演奏することへの情熱を持っています。

京都市交響楽団とスウェーデン放送合唱団、この二つのアンサンブルのコンビネーションは、幸福に満ちたものとなることを確信しています。

ダイクストラ氏とスウェーデン放送合唱団

――両団の共演から生まれる音楽を聴くのがとても楽しみです。ダイクストラさんは、スウェーデン放送合唱団の音楽監督を2007〜2018年の11年間務められたということなのですが、その間に心掛けられたことや大事にされたことは何でしょうか?

スウェーデン放送合唱団の首席指揮者、そして音楽監督を務めることができたことを、心から光栄に思っています。

首席指揮者に就任したのはたしか28歳の時だったと思いますが、そのような若手の指揮者が長い伝統を持つこの合唱団の一員になるということは、本当に名誉あることなのです。私なりにではありましたが、この素晴らしい合唱団の伝統に少しでも貢献できればと、様々な興味深いレパートリーに取り組みました。そして更なる高みを目指し、彼らの持つ壮健な声、そして声の持つ柔軟さに気付いてもらうように努めました。

その道のりはとても充実したもので、彼らと共に音楽を創ることができたことをとても幸せに思います。

スウェーデン放送合唱団とダイクストラ氏(C)Arne Hyckenberg

――現在のスウェーデン放送合唱団が持つ魅力はどういったところにあると思いますか。

スウェーデン放送合唱団の持つ数々の特別な点の中で、私が直に感じたことの一つは、録音を聴いている時にいったい誰が歌っているのかわからないことなのです。この素晴らしい合唱団は鮮明さと同時に、密度の濃いサウンドを創り出しています。舞台には32人のメンバーが見えると思いますが、そのサウンドはたった32人とは思えないほど大きなパワーを持っています。彼らと共に音楽を創り上げていく過程は活き活きとした喜びに満ち溢れています。聴衆の皆さんにも同じように感じて頂けると信じています。

――スウェーデン放送合唱団と京響の共演が今からとても楽しみです!
お忙しい中、インタビューにお答えいただきありがとうございました。

(2019年8月28日事業企画課メール・インタビュー)


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★特別連載①「スウェーデン放送合唱団の魅力~人間の声の可能性は無限大~」